卑怯な大人の攻防戦 ‐前編‐

 

 手土産は、何がいいのだろう。

 この服で、いいだろうか。

 何を話せば、時間が持つだろう。

 

 部屋の中、ベッドの前をうろうろと意味もなく歩き回った。

 ベリルがこの部屋に足を踏み入れたのが四日前。センターでのシュイの緋天の攻撃から三日が経過していたが。出勤はしたものの、シュイの接触対象となっていた自分は、軽い警護をつけたまま仕事についた。

常に傍に他人がいるという事態は、落ち着かず疲れるものではあったのだが。一人でいるよりは数倍マシで。

その手配をしてくれたベリルは、頻繁に自分の様子を確かめにくるという行動をとる。例えそれが忙しさの合間を縫った、たった数分のものであったとしても、戸惑いながらもそれを受け入れていた自分がいたのは事実。

それから、夕飯時。

家に帰れば、温もりを残す食器が台所のテーブルの上に置かれていた。幻でない証拠に、きれいな字のメモも必ず一緒に存在していて。そこに書かれているのは絶品の料理の正体と、勝手に家の中に入られた、と怒る気になれないような、甘い言葉のデザート。

 

「っもう!」

 

 淡い桃色のセーターは、甘すぎる気がする。

 無意識下でそれを着ていた自分を呪いながら、そのボタンを乱暴に外して。水色の、自分の目と同じ色のシンプルなカットソーに着替えた。それから、闇を切り取ったような黒いスカートをクローゼットから引っ張り出す。足首まで届くそれは、軽い布地のせいか裾がひらひらと舞い、少しだけ華やかさも持ち合わせるのだけれど。

 

「アールージェー、迎え来たぞー」

「ちょ、ちょっと待ってて!」

 

 更に固い印象を与える服を探す余裕がなかった。

 時間通りに迎えに来たシンに返事をし、ベッドの上に散らかした服を見やってから諦める。

 

 ようやく落ち着きを取り戻したセンター、忙しさも一段落したベリル。そっと食事を置くだけの日々に終止符を打った彼は、今日直接に。自分を昼食にベースに招いた。これだけ慌てるのなら断ればいいのに、断れないのは何故だろう。

 

「お待たせ。途中でお菓子を買いたいんだけど、選ぶの手伝ってくれるかしら」

 

 ハーフコートを羽織って、扉の外で立つシンに微笑む。

 嬉しそうな顔を見せる彼に、気負った笑顔でなく本当に笑みがこぼれた。

 

 

 

 

「・・・ベリルさん。何で黙ってたんですか?」

 二階から少々慌てた様子で降りてきた緋天が、恨めしそうに自分を見上げて頬を膨らませた。そこをつついてやりたい気分だったが、手は粉だらけで実現できそうにない。

「えーと?何か悪い事したっけ?」

 大量の土産物の包みを喜んで開けているのだろうと思ったのに。彼女ひとりでここに戻った事と、それから本人の機嫌があまり良さそうではない事に。首をひねりながら問い返す。

「写真!!何で寝顔なんか撮って、おまけに蒼羽さんがそれ持ってるんですか!?」

「あ、・・・あー・・・見ちゃった?」

 事態の収束を迎え、ようやく蒼羽の機嫌が治ったと思えば。今度は思わぬ伏兵、普段は穏やかな緋天が荒れ気味で。しかもその矛先は、どうやら自分に向いているらしい。

 彼女の言葉に、何がどうやってその怒りを招いているか思い当たった。蒼羽が発って一週間が経過した頃、ここで開いたシンの歓迎会。その夜、緋天を心配して電話をかけてきた蒼羽の焦燥が、あまりに哀れに思えたので。ほんの出来心、小さな親切のつもりで、その日に撮った彼女の写真をメールで送ったのだ。ついでに蒼羽の部屋で眠る緋天も、こっそりと写して。

「うーん・・・緋天ちゃん、怒ってる?」

「怒っ、てはないですけど・・・でも知らない間に撮られるのはイヤ、です」

 おそるおそる問いかけると、急に大人しくなって答える彼女。頬が染まっているその理由は、恥ずかしさの表れだろうか。蒼羽が未だ緋天を追って来ないのをみると、写真が見つかって随分と気まずい思いをしたに違いないが。

 

「・・・写真って・・・何に使うんですか?」

「っっえぇ!?」

 

 しばしの沈黙が流れた後、緋天がぽつりと呟いて。

 回しながら広げ始めた生地を、思わず落としそうになってしまった。

 

「使う、って・・・蒼羽がそう言ったの?」

 こくん、と頷いた緋天の頬はまだ赤い。半ば理解しかけているのか、それとも全く想像もつかないのか。

「緋天ちゃん、本当に知りたい?」

 蒼羽が直接触れることのできない緋天の写真を見て、何を想い、何をしていたか。

 それを口にするのは簡単だったが、自分から伝えるというのは良くない気がした。純粋な彼女にそれを教えるなど言語道断というのは建前で、蒼羽がその事実を知れば、後々面倒なことになりそうだというのが本音。

「あのね・・・蒼羽は向こうにいる間、本当に緋天ちゃんのこと心配してたよね?寂しかったのは蒼羽も同じなんだよ。だから写真を見るくらいでも、少しは埋められるんじゃないかと思って送ってあげたんだけど」

 彼女が納得しそうな、最もな言い訳を並べ立ててみる。

「緋天ちゃんも、蒼羽の写真を携帯に入れてたよね?あれと一緒」

 案の定、緋天自身のことを取り出せば。情に流されてくれたのか、頷いている。

「使う、っていうのは、緋天ちゃんの写真を見て、いいことを思い浮かべてさ。それで良く眠れるようにしてたってことだと思うよ」

 さらさらと出てくる、真実に近い言い回し。

 あまりかけ離れた事を言えば、嘘に聞こえてしまう確率も上がるだろうと思う。

「ほら、緋天ちゃんが蒼羽のベッドでちゃんと眠ってる写真を見れば、蒼羽も安心するよね?」

 反論は聞こえない、否、紡がせる間を与えずにこちらが言葉を重ねているだけなのだが。

 すっかり騙されてくれた彼女はじっと立ち竦んで、それから小さな息を吐いた。

「・・・というワケで、ご機嫌治してくれるかな?」

 丸く伸ばし終えた生地の厚さが均等であるかを確認してから、最後の手段、下から彼女を覗き込んで申し訳なさそうな顔をする、ということを実行してみた。

「・・・はい」

「それじゃ、蒼羽の機嫌もついでに治してきて」

「え、っと、それ・・・は、無理、かも・・・っていうか今は無理です!」

 困った顔で天井を見上げ、ぶんぶんと手を横に振る彼女。

 喧嘩ではないようだけれど、とにかく気まずそうにする緋天の頬は相変わらず赤い。蒼羽の行動が少し見えた気がした。

「・・・まぁ、私にも責任はあるしね・・・ちょっと見てくるから、緋天ちゃん、そこのピーマン切っといて?」

「はーい・・・」

 こんな些細な事で、とも思ったが、また蒼羽が緋天に触れられなくなる事態だけは避けたかった。

 とりあえず手を洗い、上へと向かう。ちらりと見た壁の時計は正午30分前。

 アルジェが来る前に、焼く寸前の段階まで完璧に仕上げられるだろうか。それだけが気になった。

 

 

 

 

「ただいまー」

「お邪魔します」

 シンに続いてベースの中へ入って。

 笑顔を浮かべて出迎えるのだろうと予想していた、長身の彼が見当たらないことに気付いた。

「あれ?お客さんってアルジェさんだったんだ。こんにちは。シン君、おかえりー」

 同じ笑顔でも、決してこちらを緊張させることはない、柔らかな笑みで緋天がカウンターの中から顔を出す。それにほっとして、肩から余計な力が抜けた。

「・・・ベリルは?」

 おかえり、と言った緋天に対して照れくさそうにそっぽを向いたシンが、部屋の中を見回す。

「んー、と蒼羽さんのお部屋」

「ふーん」

 一瞬彼は上を仰いだけれど、それ以上、ベリルと蒼羽の行動にまざろうとする様子は見せない。少し前までならば、蒼羽のいる場所ならば、同じ所にいようとしていたのだけれど。

 

「お、来たね」

 三人そろって束の間の静寂を共有していると、響くのは軽い足音。次いで、耳の奥を刺激する声。

 ベリルだと判ったので、反射的に目を伏せて。笑顔の彼に頭を下げる。

「お招きありがとうございます、っ」

 上擦った声が出てしまい、頬が熱くなった。何でもない風を装おうとしていたのに、これで全て台無しだ。

「はい、いらっしゃい。緋天ちゃん、蒼羽がもう何もしないから戻ってきてって」

 我慢して抑え込んでいるような、含み笑いの音が降ってくる。その声音のまま、カウンターの中へと入って緋天の背中を押し出すのが見えた。

「焼けたら呼ぶから。あー、そんな顔しない、ほら、行ってきて」

 できるなら、彼女にはこのままここにいて欲しい。喉まで出てきた思いを何とか飲み込む。蒼羽の傍へ行くことを何故かためらいながらも、結局緋天の姿は二階へと消えていった。

「さてと。そちらの緊張してるお嬢さんには、お手伝いをお願いしようかな」

「っっ!?」

「抜け駆け禁止!! つーか、客に手伝わせんな!!」

 立ち竦んでいるところに、かかった声。

 ベリルが自分に何かを頼むのは、記憶にある限り初めてで。いつもなら、カウンターの中の彼の横でアシスタントを務めるのは緋天の役目。それが判っていただけに、今日は彼女と同じ扱いをしてくるベリルに対して驚きが先に走った。

「だって緋天ちゃんは猛獣手なずけに行っちゃったし。っと、逆に懐柔されてるかもだけど」

 にっこりと笑いながら、ね? と首を傾げるその仕草。大の男がやっていいものだとは到底思えなかった。それがわざとらしく見えるから、尚更に。

「というワケで、はい、エプロン。この生地の上に具を並べてね」

 何故こんなものがここにあるのだろうか、と思ったけれど、口に出して彼を仰げなかったから。フリルがたっぷりついた可愛らしいエプロンを手渡されても、黙ってそれを受け取る。身に着けて、それから腕まくりをして。

 不満げな顔をするシンがカウンターの椅子に腰を下ろしたら、それを待っていたかのようにベリルの腕が伸びてきて、体ごと奥へと引っ張られる。

「かわいいね」

 こそりと耳の上に落とされた囁き声。そうやって引き寄せられたのは一瞬で、反射的に顔を上げると彼は流しの横の、丸められた生地の前にいた。数秒前まで自分に触れていたその手が、今は白い粉をまぶしている。

何とか頬に上る熱を抑えながら、自分に課せられた仕事をこなすことに集中した。

 

そうしなければ、いけないような気がして。

その理由を追いかけるのは、まだ、できなかった。

 

 

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