手のひらの上の陽動作戦 - 前編 -

 

「蒼羽、二階にいるよ」

 手首から先を小麦粉だらけにしたベリルが、くすくすと笑いながら天井を指差した。

 何かの生地を力強くこねる彼は、どうやら今日は特別忙しくはないらしい。この三日間、ベリルがここで料理する姿をあまり見かけなかった理由、その根源が自分にあると充分承知していたので少しほっとした。

「・・・何作ってるんですか?」

 センターでのシュイとの遭遇やその他諸々について、ベリルは何も言い出さない。にこにこと楽しそうに手を動かすその姿は、先日まで抱えていた不安や後ろめたさなどの暗いものを、呼び起こすことはしなかった。

「ピザの生地。今日はお客さんが来るから皆で食べようね」

「お客さん? お手伝いしましょうか?」

 休日である自分は、基本的にはヒマだ。ただ、蒼羽がおいでと言ってくれるから、それに甘えてここを訪れただけ。自分を含め、普段よりもその手料理を振舞う量が多いなら、ベリル一人では大変だろうと思って口にすれば。

「いいよー。蒼羽のとこに行ってお土産見ておいで。さっき届いたんだ」

 相変わらずの笑みとご機嫌な口調で返される。

「えーと、じゃあ、忙しくなったら呼んで下さいね」

「うん」

 ひらひらと白い手を振る彼を背に、廊下への扉を開ける。

 あまりの忙しさに疲れているのでは、と思っていたのだけれど。ベリルが笑顔でいれば、こちらも自然と嬉しい。

 だから、原因は何だろうなどと、それ以上は気にしないことにして。

 もう一人、笑顔を向けて欲しい人の部屋へと足を運んだ。

 

 

 

 

「蒼羽さん」

 部屋の入り口、その奥が見える前から声をかける。早く彼に気付いて欲しいというのが本音。

 間を置かずに姿を見せた彼は、にっこりと笑って最後の段を上がる自分の腰を持ち上げた。その勢いのまま抱き上げられて、いつもとは違う角度からキスをされる。

「・・・今日のお昼ピザだって」

 蒼羽を見下ろすことが恥ずかしくて、そんな事を口にすれば。

「ん、っふぁ」

 それを咎めるように更に口付けられる。それだけでもう、こちらは蒼羽でいっぱいなのに、何故彼は自分を抱いて部屋の中へと移動しながら、キスを続けるという芸当ができるのだろう。おまけに背中に回った手が髪を弄りだす始末。

「っ蒼、羽さん! もう!!」

 ベッドの上に腰掛けた彼の、その膝の上。笑顔のままで首筋を舐められて、そのままシーツへと倒されそうだったので、さすがに身を引く。

「・・・緋天が悪い」

 隣へと降ろしてはくれたものの、憮然とした顔でじっと見られる。受け止めるにはあまりにも熱くて、目線をずらした。右側から少々わざとらしい溜息がすかさず返ってくる。それに続いて苦笑する声も。

「緋天、そこに積んであるの開けていいぞ」

「え?どれ?」

 ベッドの足元側を示す蒼羽の指を辿って。床に置かれた様々な包みを視界に入れた。掌にのりそうな小さな箱から、平たいポスター大の袋、ベッドの高さを追い越す大きな丸みを帯びた紙包みまで。大きさは色々と。

「全部お前のだ」

「・・・こんなにいっぱい・・・?」

 どう見ても、一人に対する土産物の量ではない、その一角。少し離れたところにもある段ボールにも、何かが入っているようなのだけれど、明らかにそれに収まりきれない質量が蒼羽の指の先にあった。その証拠に既に梱包の役目を終えた箱が潰されて机の横に立てかけられている。

「いらないのか?」

「そ、んなことない、けど・・・」

「緋天が気に入らないなら、捨てるだけだから」

 まっすぐに、彼の指差すものに飛びつけないのは当然。それでも蒼羽の声が、その後ずさりしそうな気持ちを消そうとしていた。

「ほら、どれから開ける?」

 再度抱き上げられ、床の上に座らされて。背中に蒼羽の体温。

「・・・えっと、じゃあ・・・これ。開けていい?」

「ん」

 一番手前にあった長方形の紙箱を持ち上げる。捻った上半身で、彼の首肯を確認した。

 包装された大量の品々。

 全てお前のものだと言われて、驚愕と、申し訳ない気持ちと。同時に浮かんだわくわくした気持ち。

 零れ落ちてしまう笑みが、少しでも蒼羽に届いていればいい。

 

 

 

 

「ふわふわだ〜」

 頬を緩めて緋天が茶色の毛並みのぬいぐるみに抱きつく。床に座る彼女よりも背丈の高いそれは、当たり前だが細い腰を抱き返すことはせずに、ただじっと緋天の抱擁を受け入れていた。

「ふふー、蒼羽さんみたい」

 ひとしきりそれを撫で回した後、背中を預けて。あろうことか、無生物が自ら動けない代わりに、その腕を腰に回して彼女は微笑んでみせた。先程までは、自分がその位置にいたはずなのに。人間には似ても似つかない毛だらけの熊のぬいぐるみが、緋天の背を支えるだけで自分みたいだと言われた事は、少なからず癪に障る。

「緋天」

「っわ、え、・・・っっ!?」

 堅い板の間の上で、緋天が体を痛めないように。

 柔らかく適度に弾力もあるそれを緋天の背に敷いて、自分の体を彼女の上に乗せる。緋天の体重で無様に潰れるぬいぐるみを目の端で確認してから、驚き顔のその唇に口付けて。

「・・・気に入ったか?いい下敷きになるだろう?」

「っだめー!! つぶれちゃう!! やだやだ、蒼羽さんどいて!!」

 ガラス玉の熊の目線が、どことなく恨みがましいものに見えた。

 コーディアが、絶対に緋天は喜ぶはずだ、と言うから購入したはいいものの。思っていたよりも彼女がこのぬいぐるみに情をかけるので、それが気に入らない。嬉しそうな笑顔の緋天を見るのはいいが、物に対しての過剰な慈愛は必要なかった。

「ふぁ、あ、っん、蒼っ、羽さん!」

 何とかして熊の上からどこうとする緋天を、少し力を入れて押し付ける。控えめな甘い声を存分に味わってから、ようやく彼女を引っ張り上げた。再び腕の中に閉じ込めて座らせ、床に転がったままの邪魔者はそのままに。

「せっかく蒼羽さんがくれたのに・・・」

 ほんの少し頬を膨らませて、その指の先を屍のような毛だらけの固まりに伸ばす緋天。

 それを掴んで薬指の金属を撫でる。直接持ち帰ったこれだけが、彼女の世界とは異質のものだった。今日荷物として届けられた買い漁った品々は、自分の焦燥を何とか抑えようとした、緋天を喜ばせたいが為の疑似餌。

 

再度ぬいぐるみに触れることを諦めたのか、徐々に体重を預けてくるその様子。無防備な右耳の縁を緩く噛むことで、緋天は簡単に最後の抵抗を手放した。吐息は小さく絞られ、反比例してその甘さを増したような気がする。まだ未開封の包みが残されているのにじっとしている事で、彼女の神経は自分に向いていることを確信して。

「・・・え、何あれ・・・」

「っっ!!」

 倒れた熊の、その頭の先。

 彼女が欲しいと言っていた、古城の写真集。それを購入した本屋の袋、その中から数枚の紙が飛び出していた。綴じられた本とは違う、あまり画質の良くないカラー写真。見覚えがあるどころか、本部を発つまで、食い入るように何度も見つめていたその数枚の写真達の存在は、できれば緋天に知られたくなかった。

「えっ!?・・・蒼羽さん???」

 彼女を腕の中から離し、その視界に入っていたそれらを素早く拾い上げる。拾い上げたはいいが、今度はそれをどうすればいいだろうと逡巡している内に、緋天の当惑した表情が目に入った。

「それ、って・・・あたし、の」

 気付いている。

 言葉を切った彼女を見て、それを悟った。

 後ろめたい気持ちがせりあがり、何を言えばいいか判らなくなってきて。

 緋天を宿した紙に目を落とした。

 

 

 

 

「・・・あ、え、どうされたんですか?こんな所まで」

「一台貸して欲しい。すぐ済むから」

 

 本部の建物は、センターよりも更に広大で、穴の外には所有するビルがあった。外の世界で自分達が動きやすくする為の、カモフラージュ。法人化された組織が確かに存在していて、国際規模で動く為にそれなりの地盤を持つ。

 一部は本当に一般の、緋天の世界の人間が社員として属してはいたが、彼らが何かを知ることはない。本部の穴の裏側、見せ掛けの企業になるべき組織。それを構成するのは、それでも殆どがこちら側の人間だった。穴を行き来する人間の数が多いからこそ、警備は厚い。

それが自分の行動を左右することは然程なかったが、目的もなく表側をうろつくような事もなかったので、最先端のネットワーク機器が置かれたこの部屋に足を踏み入れた自分を、幽鬼のように見る彼らの反応は当然のこと。

 

 連絡もせず、いきなり来た自分に対して声をかけた男は、どうやらこちらを知っている様子で。それなら話は早いと用件を口にした。

「あ、こちらで宜しいですか?他に御入り用のものは・・・」

「印刷したい。繋がってるか?」

 手近の空いている席を示した男に頷きながら、その言葉通りに必要なものを伝える。ほっとした様子でそれに肯定する彼と、何事かと遠巻きに自分を見る他の人間達を視界から消して、逸る気持ちを抑えながらパソコンのモニターに目を移した。

 無機質に響く、手元のマウスのクリック音。

 焦りながら、ネット上のメールアドレス、そこにアクセスをする。ベリルから送られた新着のメールを開き、添付された画像、それを完全にローディングした瞬間に、周りの音が全て聞こえなくなったような感覚に陥った。

 

「緋天・・・」

 

ベースの自分の部屋、ベッドの上で目を閉じる彼女。

 細い髪が枕の上に無造作に広がり、その一部は白い頬を覆っていて。

 

 シンの歓迎会だとベリルが開いた集まりに、彼女が参加し、そのまま自分の部屋で眠りについた。一夜明けて、朝早くに目を覚ました緋天の声を聞いたのは、昨日のこと。消せない焦燥感を察したのか、ベリルが写真を撮ったから送ると言って、つい先程携帯にメールを寄越したのだけれど。

 

 くすくすと小さく笑う、緋天の顔。カメラを持つベリルに気付いていない、横顔。その一瞬後なのか、今度はこちらを見て、はにかんだように頬を染めて微笑を浮かべた彼女。カウンターで頬杖をついて、その奥を見る緋天。

 

 こんな風に自分が傍にいない彼女の姿を目にした事を、少しだけ後悔した。

 知らない間にベリルに写真に収められる緋天、自分ではない人間に向けた笑顔。特に一枚目の寝顔は誰にも見せたくないというのに。

 

 かつん、と指先が硬質のものに当たる。

 それがブラウザの感触だということを、ようやく悟って。

 微笑する緋天に手を伸ばして触れようとしていた自分を、苦笑することでどうにかやり過ごした。

 

「あの、ウィスタリア様」

 

 父の名で自分を呼ぶ声にようやく我に返る。今更とは思いながら、急いでモニター上の画像を印刷指定にして、彼の目が緋天に触れないようにした。いくら目上の自分とは言えど、セキュリティーやシステム上の余計なものを触らないようにと、彼は監視していたはずだ。

 室内を見回し作動するプリンターを確かめた。気を利かせたのか、それが置かれたすぐ横のデスクの男が立ち上がって印刷物の出力口に手をやるのを見て、焦りながらそこへと足を進める。

「見るな」

 半ば強引に彼の肩を押して、二次元に集約された緋天を手にした。

 呆気に取られたような周りの人間達を気にする余裕はどこにもない。踵を返してメール画面からログアウトする。

早く自分の部屋に戻りたかった。

邪魔する者のいない場所で、彼女の姿を見ながら眠りにつきたい。

 実体ではない彼女を脳内で抱き寄せることしか、できないのだから。

 

 

 

 

「緋天・・・何に使っていたか知りたいか?」

 手にした紙に視線を落として、こちらの疑問に答えずにいた蒼羽が。

 何かを振り切ったかのように、顔を上げてにこりと笑う。

「つ、かう、って・・・?」

 彼にもらったぬいぐるみ、その上に体を倒された拍子。近くにあった袋から数枚の写真らしきものが飛び出していたので、中身を確認しようと目をやれば、自分がそこに写っていたのだ。何故、彼からの土産物の袋にそれが入っているのか、という事と。いつ、その写真を彼が手にしたのか、という事。判らない事だらけで呆然としている内に、蒼羽は蒼羽でそれを隠そうとするかのように拾い上げるから。

 

「緋天の写真を、俺がどうやって使っていたか知りたいか?」

 

 使う、というのは何かおかしくないだろうか。

 写真は“見る”ものだと思う。

蒼羽の笑みが、どこか退廃的な空気を、と言うよりも、夜に彼が醸し出す空気を含んでいて。咄嗟に体を引いてしまう。それを面白そうに眺める彼は、ほら、と言って、先程は自分に見せないように素早く拾った写真達を、今度は何の躊躇もなく手渡してきた。

「あ、これ・・・」

 シンの歓迎会の時に、ベリルが手にしていたデジカメ。

 初めて買ったんだと、嬉しそうにそれを使っていた彼に、自分も何枚か撮られた記憶はある。けれど後日に渡された現像済みの写真の中には、今ここにあるものは入っていなかった。

 蒼羽のベッドで毛布にくるまっている自分。寝顔なんていつの間に撮られていたのだろう。こんな顔をして眠っているのだ、と初めて見た自分の寝顔は、恥ずかしい事この上なかった。蒼羽がいつもじっと見ているのがこれかと思えばこそ。

 

「緋天」

 

 一気に血の気が上ったところで、蒼羽の声が上から降ってくる。

 顔を上げれば、間違いなくキスを落とされる。落とされたら、その次は。

 

「っやっぱりベリルさんのお手伝いしてくるっ!!」

 

 今の蒼羽はとても。

 とても、夜に近い。

 そのまま身を委ねてしまうことは簡単で、一番楽なことではあったが、それはどうしても避けたかった。

 階下にベリルがいる、もうすぐ他の人間もベースに来る、そんな状況で全身を甘さで満たすのは、とても危険なこと。同時に、今の蒼羽にこれ以上近付くのも、とても危険なこと。

 勢いよく立ち上がって、階段に向かう。

 

背後で落とされた溜息には、聞こえない振りをしてやり過ごした。

 

 

手のひらの上の陽動作戦 ‐前編‐

手のひらの上の陽動作戦 ‐後編‐

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