トリスティンの白珠姫 9

 

「・・・の、これ、・・・だよぅ」

 腕の中の緋天が、小さな声を出す。

 それが寝言だと気付いて、頬が緩んでしまう。言葉として、断片しか聞き取れないそれに耳を澄ませていたら、部屋の、寝室ではなく隣のリビング、廊下からのドアが開けられた気配がした。

 メイドの誰かが朝の用意でも始めたのだろう、と然程気にせずに放っておく。本来なら、使用人が許可なく部屋へと入ることなどないが、昔からどうでも良かった事なので、世話を焼く彼らを咎めた事はない。ただ、緋天を自分の部屋に置くと伝えた時から、寝室には入らないようにと告げていた。

 こんな風に自分の生活の事で、彼らに指示を出すのは、考える限り初めてのような気がする。

 

緋天が起きない程度に髪を撫でながら、ぼんやりと思考を巡らせていると、扉の開閉音が耳に届く。入るなと命じているのに、入ってくるような不届き者は誰だと、枕の下からナイフを取り出した。以前なら、そんな瑣末事を気にするような自分ではなかったのに。

 

「蒼羽っ、緋天ちゃんがいなくなっちゃった!」

「お前か・・・」

 軽い衣擦れの音を立てて上げられた薄布。

 その向こうに、焦った顔のコーディア。

「あ! なんだ、ここにいたんだぁ・・・良かった」

 ふ、と視線を下にずらした彼女が、毛布の中の緋天を見る。ナイフを元に戻し、頭をその枕に戻した。ついでに緋天が目を覚ましてしまわないか、覗き込んで確認する。

「・・・勝手に入ってくるな」

「緋天ちゃんがいるから?」

「そうだ。さっさと帰れ。緋天が起きる」

「わ、ごめん」

 小さく呟いていた寝言はぱたりと聞こえなくなって、その顔がほんの少し顰められている。コーディアの大声と、今の会話で、緋天は覚醒しかかっていた。それに気付いたコーディアが、途端に小声になって身を引いて。

「・・・ん、ぅ〜〜〜」

 身じろいで、寝返りを打った彼女の声は、不快を訴えている。

「緋天、まだ寝てていい」

 こちらに背中を向けた緋天に、後ろから囁いてみると、吐息をもらして頷いているようにも聞こえる。動いた際に、肩先から毛布が外れてしまい、寒さの為か無意識で手を動かしていた。

 その小さな動きにまたも笑みをこぼしてしまう。

「え・・・なんで何も着てないの・・・?」

 露出した白い肩と、鎖骨。それを見て、コーディアが独り言のように呟いた。

 本気で言っているのだろうか、と彼女を見上げる。緋天の首から下を再度毛布で覆いながら。戸惑ったその表情は、忙しく辺りを見回していた。

「暑いんじゃ、ないよ、ね・・・?」

自分に向けられている訳ではない。この家では就寝時に上着を着ない男が多いのだから、自分の姿、裸の上半身を見て言っているのではないと、それは分かっていた。

 それなのに、この反応はどうだ、と少々心配になる。母であるリラ、それから姉のヴィオランやヘリオドールは、何も教えていないのだろうか、と。

「・・・う、そ・・・っ」

 昨晩脱がせた寝間着と、緋天の下着。

 広いベッドの片隅にそれを見つけたコーディアの頬が、一瞬で赤く染まっていた。どうやら知識としては理解しているらしい。妙にほっとして、彼女の次の行動を待った。

「・・・や、っっ!!」

 身を翻して、脱兎のごとく部屋を出て行くコーディア。

 そんな事でこの先やっていけるのだろうか、とどうでもいい事にしばし頭を使う。自分の記憶が確かであるならば、今年16歳になったのだから、今夜はコーディアの正式なデビューとなるのだ。

 サンスパングルの本家の娘はあと一人。ヴィオランもヘリオドールも結婚しているから、チャンスはあと一回しか残っていない。

 男達がこぞって彼女の元へと集まるはずだ。この家の権力や財産を狙うものも含め。

 

「・・・にゃぅ」

 腕の中で再び声がする。

 いつの間にか落ち着いたらしい緋天から発せられたそれに、思考を中断して耳を傾けた。

 かすかに動く唇に、自分の人差し指を這わせてみる事に激しく興味を覚えて。

 それを実行する事に、専念した。

 

 

 

 

「蒼羽さん〜」

「いいから、緋天ちゃんはこっち!」

「あっ」

 蒼羽と繋がっていた手を、ヴィオランに離され、それに不安を覚えたら。

気にする様子の見えない彼女は、ぱたん、と鼻先で扉を閉めた。眉をしかめた彼が、最後に見えて。

「ほーら。後ですぐ会えるのよ? 大丈夫だから、こっち来て着替えて」

「ひゃっ、はーい・・・」

 目の前で手を振られて、ようやく我に返る。

 背中から、くすくすときれいな声が聞こえた。どうやらそれは、窓際で刺繍をしているヘリオドールから発せられたらしい。

「コーディアちゃん、今朝はごめんね?」

「へっ!? っあ、い、いいよ! 全然平気だから!!」

 ヘリオドールの横で、その手元を覗き込んでいたコーディアに謝る。

 蒼羽から聞いた話では、朝、自分がベッドにいない事に驚いた彼女が、彼の元まで来ていたらしい。何故だか目を反らされて、焦った様子でそう返事をされる。

「ほっぺた赤いけど・・・大丈夫?」

「っ平気!! 風邪とかじゃないから!!」

 大きく手を振りながら、またも目を反らされて。嫌われてしまっただろうか、と少々気落ちした。彼女に無断で部屋を出たからには、それを受け入れなければいけないのだけれど。蒼羽を求めて彼の部屋に戻った自分を後悔してはいなかった。

「はいはい。お喋りは後よ。緋天ちゃん、いらっしゃい。びっくりするから」

 

 手招きするヴィオランを追い、奥の部屋へと入る。

 高そうな、実際に値段の張るものだと思われる調度品の置かれたベッドルーム。誰もいないと思われたそこには、髪をきちりと結い上げたメイドの女性が二人、頭を下げて待っていた。

「はい、これが緋天ちゃんのよ」

「えっ、・・・わぁ」

 壁にかけられていたのは、真珠色の光沢を放つドレス。細かな飾りと刺繍が、裾を優美なラインで彩っている。純白、とまではいかないけれど、それに近い白。丈が短いウェディングドレスのようでもあった。

「かわいい・・・」

「叔父様からのプレゼントよ。金持ちの道楽だから、気にしないでね」

「え!? オーキッドさん、ですか? 昨日はそんな事・・・後でお礼言っておきます」

 昨日、彼の家に挨拶に行った時には、ドレスの事に関してなど、少しも口にしなかったのに。驚かせるつもりだったのだろうか。本来なら、こんな高価なものを受け取れないのだけれど、ヴィオランが明るい調子で言うので、素直に頂戴することにする。

「ついでに頬にキスでもしてあげれば喜ぶわ。あ、蒼羽が許さないか」

 ふふ、と笑った彼女につられて、蒼羽が怒るところを思い浮かべる。

「緋天様、こちらへどうぞ。私どもがお手伝いさせて頂きます」

「じゃ、よろしくね。私はアルジェ姫連れてくるから」

「かしこまりました」

 去っていったヴィオランに頭を下げた彼女達。くるりと自分に向き直って、さっそく、とばかりに着ているニットに手をかけた。

「あっ、自分で着ます!!」

 あまりの恥ずかしさに叫ぶようにそう言うと、三十程だろうか、とにかく自分よりも年上のメイドが首を傾げて口を開いた。その後に、彼女よりさらに五つほど年上のメイドも続く。

「緋天様、ですが、このドレスはお一人で着るには大変ですので」

「お手伝い致します。ご安心下さい」

 伸ばされた手をそれ以上拒めずに、結局てきぱきとした二人に脱いだ服を一枚ずつ取られていく。そして情けなくも下着姿になったところで、ドレスを被って。後ろに回りこんだ一人が背中のリボンを編み上げていった。

 つるつると指に触るなめらかな生地。

 小さな真珠のような粒が縫い付けられていて、それがきらきら光る。

 

「やはり、アップがよろしいですわね。腕が鳴ります」

 最後にぎゅ、とリボンを結んで、背中で若い方の彼女が嬉しそうに呟いた。鏡台の前へと誘導され座る。失礼します、と声をかけられて彼女が髪を梳かすために半分ほど持ち上げた瞬間。

「あら・・・まぁ」

「これは・・・無理かしら」

 口々にそう言う二人。驚いたように手で口元を隠しているので、気になって後ろを振り返る。

「あの、何か・・・」

「アルジェさん連れてきたわよー。ん? どうしたの?」

 トントン、と軽いノックの後、メイドの一人に扉へ向かいそれを開けて、ヴィオランとアルジェが部屋に入る。

「ヴィオラン様、私達、緋天様の髪はアップにした方がいいと思ったのですが」

「うん、そうね。デザイン的にも背中が可愛いから上げた方がいいわ、ねぇ?」

「ええ、私もそう思います」

 困った顔をしたメイドに、答える二人。

「ですが・・・あの、蒼羽様の」

 ふわ、と首の後ろの髪を全部持ち上げられる。

「うっそ! 蒼羽、わざとやったわね・・・」

「諦めた方が良さそうですね。・・・カールして軽く落とすのはどうでしょう?」

「ナイス!・・・うん、それも可愛いわ」

 後ろで交わされる会話についていけない。アルジェの提案にヴィオランが頷いて、同じようにメイド達も頷いていた。

「えっと、あの、何かあるんですか?」

「緋天ちゃんったら。ダメよ、ちゃんと言わないと」

 ヴィオランが軽く眉をしかめて、折りたたみ式の鏡を開く。それを自分の背中に向け、鏡台と合わせ鏡に。

「っっ!!」

 うなじから、背に向かってつけられた、赤い痕。

 蒼羽の、キスマーク。

「確信犯よね・・・面倒くさい男だわ」

 ふぅ、と溜息を吐いたそれに、答えようもなく。ただ熱が上昇するだけ。

「真っ赤よ、緋天ちゃん。大丈夫、隠すようにセットするから」

「緋天様、ご心配なさらず。お任せ下さい!」

 妙に嬉しそうなメイドに力強く励まされ、彼女に頭を預けた。もう、自分としては、キスマークが見えさえしなければいいのだ。

 

 自分で見えない場所に痕をつけるなんて、と思う反面。

 蒼羽の意図が、ヴィオランの言葉から何となく判って、少し嬉しくもなる。

 重症だ、と思いながら、髪が整えられるのをじっと待った。

 

 

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