トリスティンの白珠姫 8

 

「・・・それにしても・・・随分と・・・入れ込んでいるね」

 右肩を押さえながら、腕を引っ張られる。

頭上から降ってきたのは、微妙な強弱をつけながら筋肉を伸ばす、エルバの声。引かれた腕の筋が心地良く、言われるままに彼のマッサージを受け入れた事を、少し歓迎した。

「悪いか?」

 男兄弟の中では一番穏やかなはずの彼の言葉は、非難しているようではなかったが、それでも引っかかる。

「悪くないよ。蒼羽にとってはいい事だけど・・・あ、最近体動かしてないな?」

 普段は使わない筋に掌を当てて押され、半身が緊張する。それをすかさず見つけた彼は、からかうようにそこに負荷を加えた。

「・・・こういう事だよ。仕事に支障は?」

 バキ、と骨が音を立てて。答えを出そうとしていたのに、一瞬息が詰まった。

「ない。・・・言いたい事はそれだけか?」

「まあね。別に緋天ちゃんを悪く言ってる訳じゃないよ。見たところ、蒼羽は衰えていないようだし」

 センターで公然と肋骨を折ってあげたんだよね、と笑いながら付け加えられて。ふ、と嫌な気分が甦った。シュイの処遇は、表向きには謹慎という形で本部に強制送還されたが、結局は何の咎めもないに等しい。こちらが勝手に取調べをした事に対する、痛み分けのように。

「あれ、もういいの?」

 不透明な会話に何となく苛立ちが走る。強引に身を起こして、ソファから立ち上がった。右半身だけが妙に軽い。エルバの、普段とは違う、その要点のない話。

「アンダルにも呼ばれてる」

「あぁ、そうか、じゃあな」

 笑みを浮かべてあっさりと自分を送り出そうとするが、何か言いたい事があるのだろう、と思った。だが、既に時刻は夜10時を回り、緋天をコーディアから離し、部屋に連れ帰りたかった。今夜は彼女が眠りに落ちてしまったとしても、そのまま寝かせることはしたくない。

「・・・明日、よろしくな」

 部屋を出る直前、そんな声が背中にかかったけれど。

 それに答える間もなく、扉が閉まって。頭の中は、緋天が眠気に襲われていないかどうか、その心配で埋まっていた。

 

 

 

 

「あ、コーディアちゃん、そのパジャマ可愛い・・・」

「え、あ、これ? 似たようなのいっぱいあるから、緋天ちゃんにあげる」

「えっ! いいの!?」

 夕食後、蒼羽が兄たちとの用事を済ませる為に緋天から離れ、その代わりに自分が彼女を連れ出した。申し訳無さそうにする彼女を、自室のバスルームに押し込んで、入れ替わりに自分も入った後。

「うん。後で誰かに届けさせるね」

 こちらの寝間着をじっと見る緋天が、随分と幼く見えた。まるで、自分と同じ歳か、もっと下の女の子のように。

「わぁ、ありがとう」

 笑顔を見せたそれが、とても嬉しくて。つい頬が緩んだ。

「あ、お菓子食べる? これとこれがオススメで」

「えーと、コーディアちゃん、お話って、なんか言い難い事?」

 

 心臓が跳ねた。

 いきなりの質問は、数瞬前まで無邪気な笑みを浮かべていたはずの彼女からで。ソファに腰を下ろした緋天は、首を傾げて待っている。自分が口を開くのを。

 

「・・・うん。・・・あの、ね、・・・どうやって、蒼羽は緋天ちゃんが好きになったの?」

 

 指先を遊ばせながら俯いてしまう。こんな事を聞くのは、彼女だからできる気がした。

「・・・どうやって、っていうのは分かんない」

 静かになった部屋で、ぽつりと緋天の呟きが響く。

「コーディアちゃんが言いたいのは、・・・蒼羽さんが前とは違うから・・・だから、おかしいって事?」

「ちっ、違うよ!? そうじゃなくて、そういうのじゃなくて、知りたいの! そっけない人に構ってもらう方法!!」

 悲しいのを隠すように、彼女が俯いて唇を噛みしめるものだから。焦って本音が飛び出した。言ってから、それは随分と嫌な感じを与える言葉だと気付く。

「あの、今の違う、うまく言えないんだけど・・・えっと、エルバ兄様が急に冷たくなったの」

「え・・・?」

 しどろもどろになりながら、ようやく事実を口にする。

「誰かが周りにいる時はね、優しいの。だけど、二人だけだと、前みたいに話してくれなくなっちゃったから・・・」

 

 ぽろ、と思いがけず零れ落ちていく涙。

 泣くつもりなど全くなかったのに、今まで口にした事のない秘密を緋天に伝えた瞬間、止められない波に襲われた。

 しばらくは、このまま泣かせて欲しい。

 全身がそう主張しているようで、それに抗わず、塩辛い涙を出し続けた。

 

 

 

 

 寝返りを打つ。

 暗闇の中で、寝息を立てるコーディアの影が目に入った。30分程前、泣き疲れて眠ってしまったのだ。切なそうに涙をこぼし続ける彼女を放っておく事などできず、部屋に迎えに来た蒼羽の背中を見送ったのに、それを既に後悔し始めていた。

 一緒にいて欲しい、とは言わなかったけれど、彼女が自分の為に広いベッドの半分を明け渡したのは確かで。そこに横たわる自分を見て、ほんの少し微笑んだのも確か。

 

 けれど、コーディアの話を聞いて、どうしようもなく寂しくなっている。悲しい空気の中に囚われてしまったようで、こうして暗闇の中に独りでいることが嫌だった。隣にコーディアがいるとはいえ、意識のない彼女は何かを言うわけでもない。

 部屋へ連れ帰ろうとする蒼羽を、強い口調で追い返したのは自分だ。

 それなのに、彼に抱きしめてほしくなっているものだから。

 

「・・・」

 静かな暗闇も、蒼羽のぬくもりもないこの場所に耐え切れず。

 彼の部屋に帰ろうと身を起こす。そっとベッドを抜け出して、部屋を後にした。廊下に出れば、ほんの少し部屋より寒くて、鳥肌が立つ。

パジャマのままで歩いているので、誰にも出くわさない事を祈りながら、蒼羽の部屋を目指した。まっすぐ歩いて、奥の角を右へ。センターほどは入り組んでいないが、普通の家の広さではない。アルジェが言ったように、お屋敷、なのだ。それも、お城のような。

 目に入った、見覚えのあるドアの模様。ほっとして、扉を開ける。

 蒼羽も使用人もいないリビング。暖炉の火だけは、今朝起きた時と同じように暖かく存在していた。

 

「・・・誰だ?」

「蒼、羽さん・・・」

 寝室の扉に手をかけたところで、奥から小さく咎めるような声が聞こえる。それに止まった手を動かして彼を呼んだはいいものの、自分の行いが蒼羽の怒りを招いている可能性が浮かび上がった。

 ベッドの周りに下ろされた薄布のせいで、蒼羽の表情は見えない。

「どうした・・・?」

 部屋の入り口から、それ以上先へ進めず。返ってきたのは困惑した声。

「緋天」

 怒りを孕んではいないそれに、ようやく足を動かして。枕元まで向かうと、素早く布がめくられた。

 膝の上に大判の本を置いた蒼羽と目が合う。

「・・・そ、ううさ、ん」

 壊れた機械のようにしか声が出てこなかった。眠れないという事と、それから、コーディアから聞いた話、蒼羽が恋しかった気持ち。全てがごちゃまぜになって、何を言っていいのか判らない。

 片手で薄布をおさえながら、毛布をめくった彼が、入れ、と促した。そのスペースにもぐりこんで、枕に頭を置いて。

「・・・ん」

 上から蒼羽が髪をなでる感触が嬉しかった。上半身を起こしたままの彼の足に身を寄せる。ぴたりとくっついたら、蒼羽の右手はそのまま頭に残されたけれど。

 それきり、蒼羽は本の続きを読み始めたようで。静かに髪をいじられるのみ。

 じっとして、彼がそれに飽きるのを待つ。

「・・・・・・蒼羽さ、ん」

 蒼羽が視線を向けるのは、自分には解読不能な文字で書かれた、古めかしい本。いつもなら、髪をなでるだけでは終わらないはず。一体蒼羽はいつ自分へと意識を向けてくれるのだろうか、と我慢がしきれず呼んでしまった。

 

「・・・さびしい、から、いや・・・」

 

 口にしてから、随分と身勝手な事を言っていると気付いた。

 ぴたりと止まった、蒼羽の指先。きっと呆れているに違いない。

 

 ふ、と小さく吐かれた溜息。

 熱の集まった頬を、毛布の中に入れて眼をつぶる。蒼羽がどれだけ苛立ってしまったか、怖くて顔を見上げる事ができなかった。

 

「緋天・・・どうした? コーディアと何を話していたんだ?」

 ぱたん、と音が聞こえたのと同時に、蒼羽の静かな声が届く。誰にも言わないで、と懇願されたその内容を、蒼羽には話せない。首を振って言えない事を伝えると、髪の中に差し込まれていた指が動いて首筋を捕らえた。

「・・・ごめ、んなさい・・・」

 強制的に上を向かされて、蒼羽の視線に射抜かれる。自分でも判っていた身勝手な要求を謝ると、彼の口元に笑みが浮かぶ。

「戻ってこないと思った」

「暗いの怖いから、や・・・」

 そうか、と嬉しそうに呟いた後、伸びてきたもう一方の手。支えられた体は、あっという間に蒼羽の腕の中へ。ぎゅ、と抱きしめられて、安堵と満足の吐息がこぼれた。

 頭の上に唇の感触。それから、自分の出したものよりも、熱い吐息。

 

「っっ、んっ」

 朝、蒼羽が見つけてくれた時のキスは、見られている恥ずかしさでいっぱいで。

 今、与えられているキスは、誰もいないから、溺れてもいい合図。

 眠ったコーディアを置いてきた事に罪悪感を抱いたけれど、熱の灯った双眸を見て、蒼羽の事しか考えられなくなった。

 

 

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