トリスティンの白珠姫 7
何やら楽しそうな蒼羽に子供抱っこをされたまま運ばれて。
しばらく進んでから降ろされたのは、先程まで続いていた英国風な庭ではなく、幾分開けた場所。
「あ・・・」
幾何学模様に浮き上がる、クリーム色と水色の石畳。
真っ白な雪が、芝生だったなら。
「・・・こっち、かな・・・」
ぽつぽつと、模様を囲むように立つ樹木。ひとつも同じものはなくて、それなのにどこか統制が取れているような気がする。
何となく足が向かうのは、他の木よりも木肌の色が濃い一本。
どくん、と心臓がはねる。ここだ、とその存在を自分に向かって主張されているようだった。
蒼羽は何も言わずに、腰に腕を残したまま、自分の進む方についてくる。雪を踏む音と、どこかで鳥の鳴く音。それだけが耳に届いて。
「これ・・・?」
近くで見れば、それは殆ど黒に近い幹。
木登りにちょうど良さそうな枝が張り出していて、夏には涼しい木陰ができそうだった。
「よく判ったな」
にこりと笑う蒼羽が、足元の雪を除け始める。白いそこから現れたのは、小さな石碑。数行の文と、見覚えのある細かな紋様が刻まれている。それと、読めない文字とは別に、漢字で書かれた蒼羽の名前。
右手をその幹に伸ばして触れる。一瞬指先が温かく感じたのは、手袋をしているせいではないと思う。自分が見ていたのは、小さな若木。成長した木は別物のように感じるけれど、同じものなのだ、と。
それをようやく確認した。
「・・・ディア、見てごらん。蒼羽が雪だるま作ってるよ」
窓に右腕を預けて、庭を見下ろす兄が笑いを含んだ声で自分を呼んだ。最近ずっと傍に置いてくれなかったのに、気まぐれなのか、それともあまりに驚いたからなのか。手招きして、自分を引き寄せた。
「っ、エルバ兄様、・・・うそっ! 本当に遊んでる!!」
背中に触れた暖かい手にどきりとしながら、窓の外の光景に我が目を疑う。真っ白な平面の上で、真っ黒なコートを着た蒼羽が。大きな雪玉を持ち上げ、似たようなそれに重ねているところだった。
雪玉をはさんだ反対側には、黒髪だけが白い世界に浮き上がる緋天。保護色のような白いコートを着ているので、本当に黒い髪と膝下に覗く茶のブーツが浮いて見える。無事に頭をのせて完成したそれを見て、遠目にも彼女が嬉しそうにしているのがわかった。
「あ!」
雪だるまの顔を作ろうとしたのか、緑の見えている植え込みに彼女が向かって。その途中で、べた、と見事に転んでしまった。咄嗟に腕をついたようなのだけれど、頭も雪に埋まっている。
すぐに蒼羽が駆け寄って緋天を助け起こしていたが。あろう事か、彼女はとても楽しそうに笑っていた。雪の上に座り込んで、本当に楽しそうに。その前に膝をつき、彼女の体についた雪を落とす蒼羽の手は、とてつもなく優しい。
「なんか・・・緋天ちゃんって・・・」
「無邪気で可愛いね。兄上が言っていた通りだ」
思っていたことを、右上から紡がれる。くすくすと笑ってそう言うそれが、どれだけ自分に痛みを与えるかなんて、全く気にしていない。
緋天がどんな風に、あの何にも興味を示さない蒼羽を射止めたか。それが知りたかった。純粋に仲良くなりたい気持ちもあったけれど、まず緋天が何を持っているか知りたかったのだ。
「・・・あたし・・・一緒に遊んでくるっ」
「コーディアちゃん、・・・」
踵を返して扉に向かう。ソファで編み物をしていた二番目の姉が、悲しそうに目を眇めて自分を見ていた。何か言いたそうに口を開いたけれど、すぐに目を伏せて見逃してくれる。それに感謝をしながら、部屋を飛び出して。
「っっ、・・・よし」
廊下の角をひとつ曲がり、深呼吸。
蒼羽は知っているだろうか。今年の自分のエスコートは、エルバでない事を。それから、正式なデビューとして披露するダンスの相手が、何故か蒼羽になってしまった事も。今までならば、両親の言葉に従っていた彼だけれど、今年は緋天という相手がいるから嫌がるだろう。
いつ、言い出せば良いだろうか。緋天だってきっと、嫌な気分になるに違いない。
とにかく二人のところに行ってみよう、と。上着を取りに自室に向かった。
「・・・でね、お母さんがね、蒼羽さんに泊まりに来て〜、って。だめ?」
「ん。駄目じゃない」
外に出たら、彼らと行き違いになったようで。可愛らしい笑みを浮かべた雪だるまだけが、庭に残されていた。傍にいた使用人に、二人は部屋に戻ったと聞き、蒼羽の部屋を訪れたら。
「あ、えっと、コーディアちゃん」
暖炉の前にクッションを散らして、蒼羽と緋天が仲良く座っていた。並んでいるわけではなくて、完全に蒼羽が緋天を背後から抱きかかえている状態。振り向いて首を傾けながら窺う彼女に、愛しそうに頷く彼は自分の知っている蒼羽ではなかった。
総会に出向いた彼が、電話の向こうの彼女に優しい声を出していたよりも、更に甘い空気を発している。
「何してるんだ?」
先にこちらに気付いたのは、緋天の方。一瞬で頬を染め上げて、慌てふためきながら、蒼羽の囲いから出ようとしていた。それを無理やり抑えながら、眉間に皺を刻んだのは蒼羽。
「あー、っと、えー、その・・・邪魔した?」
「ああ」
「蒼羽さんっ」
何だか気まずくて。ついこの前までは、蒼羽の恋人などという存在について、思い浮かべた事すらなかったから。彼が普通の人間のように、誰かに愛情を持って接する姿が、随分とこちらを恥ずかしくさせた。
自分の存在を邪魔だとあっさり肯定した蒼羽に、怒った素振りを見せる彼女が意外だった。
「あの、コーディアちゃん、お話する?」
「うん・・・そう思って来たんだけど・・・」
蒼羽の眼光が鋭くて、この場にいられない。
それを口に出せないまま、彼女の目を見る。困ったような顔をして、それからにこりと笑った。
「んーと、じゃあ後でね、蒼羽さんが用事ある時に、コーディアちゃんのところに行くね」
不機嫌な蒼羽を全く気にせずに、緋天は彼の腕に細い指を置いてそう言った。それをされた蒼羽は、黙って彼女の髪に唇を落としている。
「・・・うん、いつでもいいよ? 蒼羽がいない時ならいいよね?」
「そうだな」
後が怖いので、蒼羽にも了解を取ると、ようやく頷いてくれた。兄達が、彼に何か話があるのは判っていたし、その時間帯ならば緋天と過ごしても良いのだろう、と。
「美味しいお菓子用意しとくねっ。じゃーねっ」
結局。逃げ帰るようにそう言い置いて。
肝心な事を口に出せないまま、部屋を出てしまった。
「・・・ふぅ」
溜息は日を追うごとに重くなっている気がする。
本当は一年で一番楽しい時間のはずだった。普段、自分が本部にいるせいで滅多に会えない、大好きな家族と過ごす休暇。それなのに、どうしてこんな想いを抱えて家にいなければならないのか、と。
「あ、・・・兄様」
「今忙しいんだ。悪いけど、後でね」
廊下の向こうからやってきたエルバが見えて、反射的に彼の元へ走る。ふい、と視線を逸らされて、そっけない声が流れていった。言葉を発しながら、もう歩き出しているのだ。
目を見て話をしてくれなくなった。自分に構ってくれなくなった。他に誰もいない時は、優しい声を出してくれなくなった。
「・・・はい」
あっという間に彼の気配は背中から遠くなる。
明らかに以前とは違うエルバの態度は、ずたずたに自分を切り裂いて馴染んでいた。昨年の夏辺りから、もうずっと、そうやって自分に接していたから。それでも、会うたびに、今度は違うかもしれないと薄い望みを抱いて。こちらは以前と変わらぬように彼の前で振舞う。
「・・・っ」
涙が浮かび上がりかけて、それをこぼさないように固く目を瞑った。
楽しい冬休み。
それはもう一生、自分には手に入らないのかもしれない、と思いながら。
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