トリスティンの白珠姫 3

 

 体を包み込む、暖かい毛布。

 頬にあたるその感触は、極上で。まだもう少し目を閉じてまどろんでいよう、と思わせる。寝返りをうって、ついでに蒼羽の腕のぬくもりを探した。

「そう、うさん・・・?」

 背中にも、それから腹部にも。回される腕はなく、不思議に思って目を開ける。夜は明けているようなのだけれど、ベッドの周りに下ろされた薄い布が暗闇に近い空間を作り出していた。

「蒼羽さん」

 上半身を起こして、ベッドの中に彼がいない事を知る。昨晩、入浴後に。蒼羽がバスルームにいる間に先に眠りについてしまったのだ。ベッドで待っていろと彼が言い置いたのに、毛布にくるまった途端に眠気が襲ってそのまま。蒼羽は無理に自分を起こすことなく、寝かせてくれたのだと気付く。

「蒼羽さん?」

 見当たらない彼を呼んでみても、返事はない。

 違う部屋で眠っていたのだろうか、という考えが頭をかすめたけれど、右側にしばらく前まで蒼羽が寝ていたと思われる痕跡が残されていた。

「・・・蒼羽さん・・・」

 ここはベリルの家の蒼羽の部屋。それは分かっているけれど、寂しくてたまらなくて、ベッドから抜け出す。さらりとした紺色の薄布をめくって、寝室から出て。隣のリビングに入っても蒼羽はいない。ただ、暖炉に火が入っていて、それが少しだけ妙な気分をなだめてくれた。

窓の外は一面の銀世界。雪に埋もれた庭に、夢で見たような空間は見つからなかった。

 誰かに聞けば、蒼羽の居場所を教えてくれるだろう、と。急いで顔を洗い、着替えを済ます。静まり返った廊下に出て、とりあえず、人を探そうと思った。

 

 足元に敷かれた絨毯は、裸足で歩いたらさぞかし心地がいいだろうと思わせるような柔らかさ。それを踏みつけて歩くことに罪悪感を覚えながら、昨夜入ってきたホールを目指す。階段に行くまで通り過ぎた別の部屋の前からは、少しも物音がしなかった。時間を確認してこなかったのだけれど、まだ朝早いことは確かで。

 蒼羽を呼びながら進むのは、さすがに恥ずかしいから止める。この家の人々に、蒼羽の相手はこれか、と外見でがっかりされるのは目に見えているけれど、子供のような行動でそれを煽ることはしたくなかった。

 

「・・・から、・・・を・・・」

 

 ホールまで辿り着くと、左手の廊下の奥から人の声がした。そちらに進めば、別の音が次々に聞こえてくる。複数の人間の足音や、かちゃかちゃと食器を扱う音。下へと続く階段には絨毯がなく、灰色の石のまま。きっとこの家の使用人が働く場所なのだろう、と見当をつけて階段を下りた。

 半円を描くそこを下って、すぐ右手に扉のない入り口。そこからいくつも声が漏れている。

「あの・・・」

「・・・って言ってさぁ、まったくあいつの行動は笑わせてくれるよ」

「自分の旦那じゃないの。あんまり笑ってると怒られるわよ」

 年配の、母親と同じくらいの年齢の女性達が、楽しそうにおしゃべりをしながら手を動かしていた。部屋の中には湿気がこもっていて、シーツにアイロンをかける人や、それをきれいにたたむ人。どうやらホテルにある洗濯室のような部屋であるらしい。

次から次へと口は動くのに、その手先もきちんと動いている。大きな笑い声に掻き消されて、自分のかけた声が届いていない。

「すみません! あの・・・」

「あら・・・誰?」

「おや、もしかして新入りさんかい? 話は聞いてるよ。えらい時期に来ちゃったね」

「あ、はい、昨日からお世話になってます。よろしくお願いします」

 頭を下げてから、昨夜蒼羽に注意された事を思い出した。けれど、挨拶をすることは悪いことではないと思う。事実、彼女達にもお世話になるのは変わらない。

「はい、よろしくね。上の人達もみんなパーティーで手一杯でさ。あんたに構えるのは、この大イベントが終わってからだと思うよ」

 ここのリーダーであるらしい大柄な女性は、意外と気さくに話を続けてくれる。それが嬉しくて、ようやく肩の力が抜けた気がした。他の女性達も柔らかな笑みで、口々によろしくね、と声をかけてくれる。

「でね、早速で悪いんだけど、ちょっと手伝ってくれる? 今日はお客様がたくさんいらっしゃるから、ここもてんてこ舞いなんだ。どっちみち、その服じゃ表の仕事はできないからね」

 困ったように自分を見る彼女。そう言われて見ると、部屋の中の誰もが、自分へ視線を向けながらも、つい先ほど止めた手をまた動かしている。よく考えたら、こんな朝早くから既に働き始めているのだから、本当に忙しいのだろう。

 表の仕事と言うのは、きっとこの家の賓客相手に働くメイドを指しているのだと思う。さすがに、きっちりとした服を着ていない自分は表に出られない。もちろん、そんな事ができるような作法すら身につけていないのだから。

「えっと、何をすればいいですか?」

「とりあえず、それを外の物干し場に運んでくれるかい? 干す人間は向こうにいるからさ」

 指差されたかごに、洗濯済みだと思われる布が入っている。ひとつではなく、複数。両手で抱えなければいけない大きさで、水を含んだ布が入ったそれは重そうだった。

「はい。物干し場は・・・」

「廊下をまっすぐ、突き当りを右に曲がってすぐの扉を開けたところ。おっと、大丈夫?」

 場所を聞きながら、かごを持ち上げる。思った通りそれは重くて、少々よろけながら抱えなおした。

「ふぁ・・・行ってきます」

「はいよ。頑張ってねー」

 

 背中に頼もしい声を聞いて歩き出す。石壁もそのままだけれど、屋敷全体に暖房はきいていた。教わった通りに進んで木の扉を発見する。

「失礼します」

 一度荷物を足元に下ろすと、腕の痛みが消えた。軽くノックをして開けたそこには、光に包まれた温室。ガラス張りの部屋に、既に何枚かのシーツや枕カバーやタオルなどが干されていて。

「あ、もしかして新しく来た子? 手伝ってくれてありがとね」

「いえ・・・ここに置いてもいいですか?」

 真っ白なシーツの向こうから出迎えてくれたのは、先ほどの女性達と同じ雰囲気の人。やはり忙しそうに動きながら、頷いていた。雪が陽光を反射して眩しい。

「どこに配属されるのかしら。今は皆忙しいから、年が明けてからかしらね」

「えっと・・・」

 もしかして、と思う。

 目の前の彼女も、それから洗濯室の女性達も。自分のことを新しく来た使用人と思っているのでは、と気付く。気付いた瞬間、間違いなくそうなのだろう、と。その気さくな態度にも納得した。

「やっぱり部屋付き見習いが確実ね。二人辞めるみたいだしねぇ」

 言葉を返す間もなく、彼女はすぐにかごを持ち上げて次の仕事に取り掛かった。訂正をするべきなのか判らず、そのまま温室を後にする。

 

 

 彼女達が勘違いをしていると気付いたのと同時に。蒼羽を探しに来たのだった、と我に返ったけれど。今ここで自分の立場を伝えて、忙しそうな彼女達を更に煩わせることには気が引けた。ひと段落つくまでは、彼女達を手伝うべきだと思う。それから蒼羽かベリルか、または昨日会ったサントリナやメースの居場所を尋ねればいい。

 

「そういえばさ、緑樹(りょくじゅ)の坊ちゃん、今年はパートナー同伴らしいよ」

「それ私も聞いたわ! 何でもセンターの人みたい」

「えらい美人なんだって。きれいな銀の髪でさ」

 部屋が見える前から耳に届いたのは、いくらか興奮した声。その内容は、どうやら自分の知っている二人のことに聞こえて、少し嬉しくなりながら小走りに入り口に向かう。

「戻りましたー。あの、今のってベリルさんの事ですか?」

 飛び込むように部屋に入ると、いっせいに彼女達がこちらを見た。

「あんた、ダメだよ。街ではそうやって気安く呼ぶみたいだけど、私達はこの家の人間なんだからね」

「この家にはこの家のルールがあるんだ。皆様のお名前はきちんとお呼びしないと」

「あ・・・すみません」

 少し厳しく言われて、自分が使用人にあるまじき言葉を発したことに気付いた。下の者にとっては、主の家族は常に敬意を払う対象であるはず。今の自分を使用人仲間だと誤解しているとはいえ、彼女達を怒らせてしまった事に謝る。

「まぁ、来たばっかりじゃ仕方ないね。いいかい、お坊ちゃん方は樹になぞらえて、お嬢様方は玉になぞらえて呼び名が付いてるんだよ。それぞれのお子様方の色が決まってるから覚えておきな」

「アンダル様は蘇芳(すおう)、ベリル様は緑、エルバ様は紅、ヴィオラン様は紫、ヘリオドール様は黄、コーディア様は青」

「長子のアンダル様だけは、蘇芳様って呼ぶんだ。あとはそれぞれ、緑樹、紅樹、紫珠、黄珠、青珠ってね」

 

彼女達の説明する口ぶりが、とても誇らしげで。

 間違いのないように頭の中で考えてから、口を開いた。

「えっと、それで、その・・・緑樹様のパートナーは、アルジェ、様?」

「そうそう。緑樹の坊ちゃまが自分からパートナーの事について、こっちに連絡されるなんて今までなかったんだよ。だからさ、これは新しい姫様が加わるんじゃないかって」

 ものすごく嬉しそうにそう言う彼女達。アルジェは異分子だなんて言っていたけれど、使用人達からは歓待されているようでほっとする。

「あ、思わず手が止まっちまったね。ほらほら、皆、急がないと」

 リーダー格の彼女が手を打って、そう言った。それを受けて他の女性達も慌てて仕事を再開する。

 足元の二つ目のかごを持ち上げて、自分も廊下へ。思わぬところで、この家の、ベリルの兄弟達の名前を聞くことができたのは収穫だと思う。

 

再び温室へと歩きながら、蒼羽には決まった色があるのだろうか、とぼんやり考えて。

彼が、坊ちゃま、と呼ばれる事を想像して笑ってしまった。

 

 

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