トリスティンの白珠姫 16

 

 着替えを手伝ったのか邪魔したのか、完全に後者である、と自覚しながら。ようやく服を着せた緋天を連れてソファに戻り、食事の支度が進んでいる傍で。

用事を終えたはずのベリルとアルジェが、まだそこに座っていた。

「あ、ごめん。もうひとつ言う事があったんだけど」

 しつこくキスを繰り返したせいで、乱してしまった緋天の髪を撫でてやる。

「えーと、緋天ちゃん、聞きたくなかったらすぐに言ってね?」

「・・・?」

 何を言い出すつもりなのか、ベリルの視線は緋天に向いた。正確には、細い首の辺りへと。

 大人しく自分の掌を受け入れていた彼女が顔を上げたのを合図に、もう一度、ベリルの口が開いた。

「その首の傷・・・消せるかもしれない」

 びくん、と。

 できるだけ穏やかに話そうと努めていたベリルの声に、緋天の体は震える。それでも、彼が悪意をもってそれを言い出しているわけではないと、自分には判別がついたし、緋天もそれを分かっていた。加えて、ベリルの口にした言葉は、自分にとっては先を促さざるをえないもの。

「蒼羽、確かめる気、ない?」

「何をすればいい」

 初夏に刻みつけられた、ひとすじの傷跡。

 癒えてはいるのに、薄赤いその痕が、消えることなく緋天の肌に居座り、存在を主張し続けている。視界にそれが入れば、忘れることすらできずに、ただ悪戯に緋天を怯えさせるだけ。

「先に言っとくけど、話半分、というか、私も詳しくは分からない。ただ、傷が治る温泉があると聞いただけだから」

 

 はっきりしない。

 そうやって、明確でないことを言い出すベリルは珍しい。しかもそれを、自分達に確認させたがっている。

「緋天ちゃん、お願い。ほら、年明けにどこか行く予定なんだよね、行き先、そこにしない?」

「・・・蒼羽さん・・・?」

 いきなり話を振られ、その勢いに戸惑った緋天が自分を見る。

「傷、治ったよ、っていう証明が欲しい」

「っ、サー・クロム」

 真剣だということは確かなのだが、彼自身がそれほど強く求める意味がわからなかった。ずっと黙っていたアルジェが咎めるように声を上げて、そこでようやく、彼女にも何か関係することなのだ、と気付く。

「私は緋天さんを実験台にしてまで、治したいとは思ってません!」

 焦りを含んだその言葉に、緋天は完全に目を丸くしてアルジェと自分の間で視線を動かしている。

「変な言い方しないでくれるかな」

「だって、そうでしょう? 貴方はこの話の確証を得てないから、緋天さんに行ってもらおうとしているのでしょう?」

 語気を荒げるアルジェと。

それに対して譲れないとでもいうように首を振るベリル。

「っ、そうだけど・・・なんかニュアンスが、」

「ニュアンスも何もありません」

不穏な空気に更に戸惑う緋天を引き寄せて、二人の、自分にとってはどうでもいい会話を打ち切るタイミングをはかった。

 

 

 シャツを握る緋天の指先。

 そこを見下ろして、昨晩のウェーブが残る髪を眺める。

「緋天・・・?」

「・・・ん、・・・行く」

 右手にその髪をとったのと同時に、彼女が自分に顔を寄せて。何かを言いたそうにするそれを促すと、小さな声がふわりと耳に届いた。

 手を完全に止めて、言い合いを続けるベリルとアルジェを窺っていたサントリナが、その呟きをとらえてこちらを向く。指の間を滑る髪束も、緋天の答えも。心地が良くて、頬が緩んでしまう。

「っもう、何が駄目なわけ?」

「全部です!何故こんな風に切り出すのですか!?」

「緑樹様、・・・緑樹様」

「え?」

 いつまでも終わりそうにない、二人のやり取り。

 意外にも、アルジェが強い口調でベリルに迫り、それを受ける彼の方はいつもの調子で論争の相手をやりこめる手管が出ないようだった。向き合う相手が、アルジェだからだろうか。

 間に割り込むようにかけられたサントリナの声に、ようやく空気が動く。

「緋天様が。その、どちらになるか分かりませんが、おいでになると」

「えっ、いいの?」

「噂でも確かめる価値はある」

 うなずく緋天の代わりに口を開く。例え緋天が乗り気でなかったとしても、きっと自分は何かと理由をつけて、彼女を連れ出していただろう。そう思うほど、魅力的な話だった。

 緋天は緋天で、本人がそれを消したいと思う以上に、自分が気にしていることを知っているから。だから、行ってもいいと言い出したのだ。それに加えて、アルジェが関わる話だということも、緋天の中でひとつの要因になっている。

「・・・緋天ちゃん?」

 黙ったままの緋天に確認を得ようとするベリルと、それを取り消そうとするアルジェの。二人の視線が腕の中の緋天にささる。ふい、とその顔をこちらへと向ける彼女を見て、ようやく自分達が何をしたのか気付いたようだ。

「・・・あの、勘違いじゃないよね・・・?」

「ああ。・・・これは、痴話喧嘩、とかいうやつだ」

 こそりと耳元で問われたそれは、不安そうな緋天の声でも、充分に甘かった。そのまま頬に唇を落として、頭の中の辞書から的確な言葉を見つけて口にする。

「なんでケンカになるのかな???」

「さあな。俺たちには全く理解できない意地の張り合いだ」

「うー、せっかく両思いになったのに・・・ひどい」

「ちょっと蒼羽、っていうか、緋天ちゃん!・・・ケンカしてたんじゃないよ?」

「そうよ、ただの議論です」

 小さな緋天の訴えを聞きとがめたベリルとアルジェが揃って声をあげた途端。

 緋天の頬に笑みが浮かぶ。

 

「とにかく行く。別にお前達がどうこうという訳じゃない」

 二人が揃って口をつぐんだところで、それだけを言って次の行動を促した。

 もういい加減、邪魔をするなと言いたいが、ベリルの方でも同じような事を思っているのだろう。

「・・・あー、うん、じゃあそういうことで。よろしく」

「ちょ、待っ、サー・クロム!」

 ようやく本来のペースを取り戻したのか、素早く立ち上がってベリルがアルジェをソファから立ち上がらせて。

「蒼羽と緋天ちゃんの前では、それ、やめてもいいんじゃない?」

 

 それ、と指し示されたのは、その呼び方であると。

 悟ってしまった自分を、何だか随分不思議に思う。

 

「緋天ちゃん、今まで協力してもらった分、いつか返すよ」

 全開の笑顔が緋天に向けられ、その言葉の意味がわからず首をかしげる彼女の目の前で。

「わっ」

 軽い音を立てて、ベリルがアルジェに口付ける。

 瞬時に真っ赤になる緋天に片目を瞑り、慌てふためくアルジェの腰を抱いて背中を見せたベリル。最後に扉の閉まる音。

 

「緋天」

「・・・見せつけられちゃった」

 耳まで朱に染まった緋天を抱き寄せると。

 恥ずかしそうに笑う、その唇に。

「っっ、ん!」

 

 触発、というものかもしれない、と。

 気付いたのは、ベリルと同じ行動をとったその後のこと。

 

 何にせよ、アルジェがベリルの相手として公認される事実は、自分にとって都合が良い事この上ない。

 サンスパングルもトリスティンも。

 緋天の為の、後ろ盾。

 

 捨てきれない環境は、むしろ大いに利用すべきだと、いつの間にかそんな考えに至って。甘い吐息を漏らす緋天と一緒に、それを歓迎した。

 

 

END.

 

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