トリスティンの白珠姫 12

 

 左手に収まっていた華奢なグラスを傾けた。

 喉が渇く、その理由は。

 自分の立場を改めて思い知ったからだ。円の中心で注目を集める、蒼羽とコーディア。昨夜は自分と何も変わらない女の子のように見えていたのに、今は完全にラインの向こうの住人だ。格調高い家の、上質な輝きを放つ人々。決して自分が踏み越えることのないライン。

どんなに頑張っても、彼らのように優雅に振舞えない。

蒼羽のために、蒼羽の横に立てるように、と。彼の前で口走った、ダンスの練習。そんなことをしても無駄のような気がした。

 

コーディアが動くたびに、深い青色のドレスの裾が舞う。彼女の華やかな金の髪は、美しく結い上げられ、その容姿は自分よりも年下だとは思えなかった。既に一人の女性として、輪を囲む人々の視線がコーディアへと集まっている。

 

「・・・あ」

 あまり凝視するのも嫌で、ふと目線をずらした先に。

 腕を組んで、輪の中をじっと見る人がいた。見覚えのある漆黒の布地に、淡い金髪。その目があまりにも真剣で、そして少し睨んでいるようにも見えて。隣に寄り添う、おそらく彼のエスコートの相手だと思われる、儚げな女性には目もくれない。彼女が一生懸命何かを話しかけているのにも関わらず。

 その表情は、昨日柔らかな笑顔を向けてくれた彼とは、違う人のもの。そう思わざるをえないほど、この場所で浮かべるには不釣合い。何が彼をそうさせるのか、その視線の先を辿った。

「っ、・・・蒼羽さん」

 呟いて、それが間違っていることに気付く。

 違う、蒼羽ではなく、彼が追いかけるのは。

 

「なんで・・・」

 

 楽しそうに、軽やかに足を運ぶコーディア。

 大半の人間は、彼女の表情につられて笑顔で二人を見ているのに。何故エルバだけがそんな顔で妹を見るか、それが分からなかった。

コーディアは彼に嫌われていると泣いていたのだけれど、本当なのだろうか。

嫌いだからといって、それほど真剣にその嫌う相手を見るだろうか。

「わかんないよ、蒼羽さん・・・」

 ベッドの中で、何かを知っているかのように、大丈夫だから、と言った蒼羽の。その理由はどこにあるのだろう。コーディアのことを気にしていた自分を慰めようとして、安易に出た言葉だとも思えず。蒼羽の中では何らかの答えが見出されている。

 

 笑みを浮かべるコーディアの腰に手を回した彼を見ても、何も分からない。

 蒼羽の口元に楽しげな小さな笑みが浮かんでいたから。

 それ以上を見守ることができなくて、彼らから目を逸らし、背を向けた。

 

 

 

 

 昨晩、よろしくな、という言葉を発したエルバを思い出した。

 この事を指していたのだ、と彼の意図に今頃気付く。連れの女性を少しも気にかけず、エルバの逸らされない視線が突き刺さっている。

「・・・今日のエスコートは誰だ?」

「え、あー、サフラン家のカシアさん」

 本気でダンスに没頭していたコーディアに、こそりと問いを投げると。邪魔をされたとばかりに、つまらなそうな声が返ってきた。彼女の示す男の性格などを思い出して、大丈夫だろうとひとつの結論を出した。

「これが終わったら、そいつから離れるな。それから、隙を見て二人でここを抜けろ。演技でいいから、いかにも楽しそうにしながらな」

 いつまでも終わりそうになかった音楽に、ようやく変化が加わった。

「なんで? なんか怪しいよ、それ」

「言う通りにしろ。うまく行けば、お前の気にしていることが片付く」

 終焉に向けて盛り上がる音質にあわせ、コーディアを後ろに傾ける。上体を反らしたその顔が、一瞬強張った。

「・・・どういうこと!? なんで蒼羽が・・・緋天ちゃん!?」

「違う。知っていたのに黙っていたのは俺だ。緋天はお前が口止めしたからずっと言わなかった」

 一気に吐き出して、サンスパングル家の末娘が納得するのを待った。

終わりが見える。

彼女が耐えてきた、一年半。エルバが家族になろうとしていた、一年半。

 

「一度しか言わない。良く聞け」

 

物欲しそうにじっと見るくらいなら、初めからこの場にいなければいいのに。

さっさと手に入れる為の土台を用意すればいいのに。

 

自分が緋天を前にした時のような衝動はないのだろうか。それならば、このまま終わればいい。ただ、何も知らなかった頃のコーディアにはもう戻せない。

 

息を止めそうなくらい、真剣な瞳で自分が口を開くのを待つコーディアを。

一度高く持ち上げて、床に降ろす。二人で回って、深く腰を折る。

 

「エルバはこの家の子供じゃない」

 

 拍手の波の中、真実を彼女に伝えて。

 迎えに来た、今日のエスコート役にコーディアを預けた。

 

 

 

 

 とろとろと溶けていきそうなくらい。

 暖かい空気と、体を包むソファは居心地が良かった。鳴り響く曲は決して小さな音ではないのに、それも気にならない。座り込んだ瞬間に、随分と無理をしていた事にようやく気付いた。

「ひとりでいいの? 蒼羽のお姫様」

 いつの間にか隣に座っていた男性が、楽しそうに自分を見ている。

「・・・お姫様なんかじゃ、」

 くす、と。

 否定の言葉を遮るように笑われて。頬が熱くなる。

「ふーん、なんだかえらく純粋な血が混じりそうだなぁ。面白い」

 まじまじと見られ、顔を伏せた。蒼羽の相手として既に認識されているならば、余計な口を開かない方がいい。

「男と話すのは禁止されてるの? ま、いいか」

 それきり話しかけてこない彼のことも、何故か気にならなかった。

 居心地の良い空間が戻ってきて、ゆっくりと瞼を閉じる。

 蒼羽を思いながら。

 

 

 

 

「シンぼっちゃま!」

「あ!? それで呼ぶなって何度言えば、」

「っ申し訳ありません、それよりこちらに」

 背後からよく通る声がかけられて。自分のその呼び名が嫌で、声を発した人物を諌めようとしたら、逆にそれを遮られた。腕を取られて、彼の近付いてきた勢いそのままに引っ張られる。

「おい、ケイパー?」

 いささか強引な彼の態度に面食らう。こちらの立場が上とは言え、ケイパーに躾けられた身なので容易に逆らえなかった。早足の彼が、すっと止まって。横顔を見上げる。

「見えますか」

 自分の背丈を心配したのか、余計な懸念の視線を向けられた。雑談に花を咲かせる客達の体を通り越して、ケイパーは奥のソファを示している。

「緋天?」

 深く腰掛けて、上体が微妙に右へと傾いていた。

 いくつかあるクッションが、完全にその体が横たわるのを止めているだけ。

「あれ、寝てんの?」

「そのようです」

 目を伏せて答えるケイパーの声は、あくまでも、ただの返答。

「蒼羽が来るまで置いときゃいいじゃん。って、あー、あれか」

「ええ、私が出るのは・・・」

 濁した言葉の後に、彼が緋天の傍に行くのは困難である、ということが続くのだろう。眠り込んだ彼女の隣に悠々と座る人物が問題だった。その容姿からは想像できない奇抜な行動が有名な、貴族の子息。

彼がグラスを手にしながら観察するように見ている、その視線の先には緋天がいる。

 

「・・・わかったよ、要はあいつを見張ってりゃいいんだろ」

「お願い致します」

 

 あれは、蒼羽が嫌がる視線だ。

 例え本人にその気がなくとも、あんな風にじっと緋天を見ているのだから、もう既に危険域に踏みこんでしまっている。蒼羽の領域に。

 

「よぅ」

「おや、意外な刺客を寄越したね、ここの家令は有能だ」

 ふ、と小さく笑われる。その時点で立ち去りたくなったが、彼の手元に緋天を置き去りにしたその後が怖い。何もなかったとしても、蒼羽の眉間に皺は刻まれるのだろう。

「別に殺すつもりねーんだけど?」

 向かいのソファに腰掛けて、緋天の顔をのぞきこむ。

 閉じられた瞼、穏やかな寝息。これだけ周囲に音があふれているのに、完全に夢の世界に入っていた。

「この子、可愛いねぇ。少し話しただけで真っ赤になっていたよ。どこで拾ってきたんだい?」

「蒼羽がいつも拾い物するような言い方すんな」

 彼に拾われたこの自分の存在を前にして、あえて嫌味に聞こえる事を平気で言うから、苦手なのだ。曲者、とベリルに言わせたくらいなので、相当性格が悪いのは確か。

「・・・それにしても、本当に毛色の違う子猫ちゃんだね」

 口角を上げて、彼の手が緋天の髪に伸びる。いつもと違う、ゆるくウェーブを描く髪へ。

「やめろよ」

 そのままそれを許すことは、できなかった。

 蒼羽の与り知らないところで、緋天が汚されるような気がして。

「蒼羽は本気だからな」

 愉快そうな笑みを浮かべた彼に宣言する。

 落ち着くことは到底できず、首を伸ばして、中央で繰り広げられているダンスの様子を伺った。小さな人の流れが見えて、蒼羽と踊っていたはずのコーディアが、別の男に腕を預けていた。

今夜の第一回目のダンスは、もうとっくに終わっている。

 

「ほら、来た」

 

 予想通り、眉間に皺を刻んで、こちらに向かっているのは。

 既にこの状況を把握していた蒼羽。

 

 それを分かっていながら、その手を止めず、いたずらに緋天の髪に触れた男の眼前に。

 すとん、と軽い音を立てて。

 ナイフがきれいに吸い込まれた。

 

 

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