トリスティンの白珠姫 11

 

 ゆるりとした波が、会場を覆うように。

広間全体が、一層賑やかになった気配を感じた。

「???」

 目の前で、にこやかな笑みを浮かべていた夫婦が、その目線を自分の後ろへと投げている。実に楽しそうな表情で、見てごらん、とでも言うように、ガランと名乗った男が自分を促した。

「あ、アルジェさん」

 隣の蒼羽を見上げれば、彼は涼しい顔で頷く。一緒には行けない、と言ったベリルの言葉がようやく分かった。内側から輝きを放つような二人を輪に囲うように、次から次へと、人が移動していた。

「どうやら、主役は緑樹殿に取られたようだね。・・・まぁ、その方が良かったのかな?」

 ベリルとアルジェが来たことを意に介さず、さりげなく皿の上のものを減らしていく蒼羽を、羨ましくも思う。

自分も彼と同じくらい、堂々と振舞えたら。

アルジェと同じくらい、綺麗だったなら。

「あら・・・白珠姫はお疲れかしら?」

 かけられた声の方、エピスに首を振る。自分を気遣う視線に申し訳なく思いながら、彼女の言葉に反応して伸ばされた蒼羽の右手をじっと受け入れた。暖かなそれに、ネガティブな思考が薄れていく。

「ご機嫌いかが、黒樹様?」

 ふつり、と温もりから放された。

 右横から聞こえたのは、年嵩の女性の張りのある声。

「ケイトウ家の若君もお揃いね。お父様はお元気かしら?」

「ええ、引退したと言っても遊び歩いているだけですからね」

「まあ、いいわねぇ」

 見た感じはシンプルなのに、上品なラベンダー色のドレスをまとった妙齢の女性。彼女の問いかけに、ガランは丁寧に頭を下げ、口を開いた。横にいた夫人も同じように。

 一番はじめに話しかけられたのは蒼羽で。ガランの返答に満足そうに頷く女性に対して、蒼羽は一歩前に出る。同時に腰を抱かれ、彼の隣に引き寄せられた。

「こちらが噂のお嬢様ね」

「はい。緋天といいます」

 次に蒼羽の口から出る言葉が、もう何となく分かっている。

背筋を伸ばして、目の前の女性の笑顔に応えて。

蒼羽が恥ずかしくないように、それだけを思って、彼にあわせて腰をおった。

 

 

 

 

 意外、としか言えない程に。

 自分が思っていたよりも、緋天の仕草は堂に入っていた。ケイトウ家の夫妻に続き、この家と取引のあるトレニアに挨拶をした時には、すでに独特の清廉な空気を纏っていたように思う。

 

「緋天、大丈夫か?」

 この大広間に入ってすぐに使った言葉を、もう一度彼女へとかける。

「うん」

 返ってきた頷きとは裏腹に、緋天の口元には笑みがなかった。そんな顔をさせるつもりはなかったのに。結局緋天に無理を強いていた自分が、たまらなく嫌だった。大分前に邪魔された、彼女の頬を撫でる、という動作を再開する。

 ほっとした顔を見せた緋天を今すぐ部屋に連れて帰りたい。そうした感情を持て余しながらも、動けない自分がいた。

 

 

 自分達へと挨拶をする人の波が途絶えて。気が付けば、サンスパングルもトリスティンも、双方の人間は全員この空間に散らばっていた。それを見計らったように、流れていた音楽の質が変わっていく。

 皆がこの時を待ちわびていたように。

 大広間の中心から、素早く人が消えた。円の形に穴を残して、今日の主役達が現れるのを、ざわつく客が囲んでいる。

「蒼羽様」

 極力目立たぬように気配を殺したケイパー。そっと近付いてきた彼の声に、緋天が小さく首を傾げた。彼が申し訳無さそうな顔をしていたからだろう。

「・・・エレクトラム様より伝言でございます。コーディアお嬢様のお相手にと」

「緋天がいるんだ、できない」

 こそりと呟かれたそれに、まず驚いた。

コーディアのパートナーはまだ決まっていない。公式な場でのエスコートの相手は、彼女自身が選ぶのを迷うほどに存在していたが、一年に一度のこのパーティーだけは別だった。デビュー前であったとしても、ダンスの相手はそれ相応の人間が務めてきたのだ。

簡単に踊る相手を決められない。

だからこそ、その役目はベリルやエルバ、血縁関係の人間となる。もちろん、自分も含めて。

 

「それでも、と。緑樹様はアルジェ姫のお披露目を。エルバ様はローシェンナ家のお嬢様のエスコートをなさっておりますゆえ。・・・緋天様は・・・」

「やめろ」

 さらに小さな声で出されようとしていた言葉を切る。

 この場で踊る事は、緋天を自分の相手として周知を図る一番簡単な方法だった。けれど、緋天がこんなダンスに慣れているわけがない。踊れないことは明白で、あえてそれを彼女に認識させたくなかった。

「緋天、少し休もう」

 妙な空気を残したまま、彼女を連れてケイパーから離れようとした。これ以上、余計なことを緋天の前で言いたくなくて。

「でも・・・」

 ケイパーの表情を見て、緋天の足が止まる。

 それから。

「あの、っ蒼羽さん、いいの。知ってたの」

 強引に連れて行こうとした瞬間、彼女の口から信じられない言葉が飛び出す。

「緋天様、それは・・・」

「昨日の夜、コーディアちゃんが。今年はエルバさんが踊ってくれないからって。だからダンスの相手が蒼羽さんに決められちゃって、ごめんねって」

 必死に説明する緋天に、ケイパーが目を伏せる。

「だから、踊ってあげて。だって、コーディアちゃんにとって大切な日なんでしょ?」

「緋天・・・」

「・・・あたし踊れないもん・・・でも、蒼羽さんの為に必要なら練習するから、だから、今年はコーディアちゃんと」

 少しはそれを嫌だと、そう思ってくれているだろうか。相手がコーディアだとはいえ、本来は緋天の位置にあたるのに。自分が頷かなければ、まだ言葉を続けようとする彼女の体を抱きしめる。

本当はコーディアを躍らせてやらなければならないと、判っているのだ。この家の人間たちに育てられた自分が、緋天を望む気持ちの邪魔をする。従わなければいいだけの事に、完全に逆らいきれない。

額づきそうな勢いで、ケイパーが頭を下げた。

きっと、彼自身、この伝言をするのは気が進まなかったはずだ。内面では緋天がこの場で踊れたら、と思ってくれているかもしれない。

「緋天。ごめん、すぐ戻る」

「っん、蒼羽さんの踊るとこ、お手本に見てるね」

 触れるだけのキスをして、彼女の体を離す。

 ふわりと動く髪を目で追って。

 ケイパーの手が、緋天を誘導してどこかを指し示すのを見届けてから、コーディアを探すために辺りを見回した。

 

 

 

 

「・・・黙っててごめん」

 むすっとした蒼羽の顔を見た途端、やはりフェアではなかった、と思った。謝りはしたものの、その顔から眉間の皺が消えることはない。

 こんなものは見慣れていて、むしろ以前の蒼羽なら無表情とあわせて標準な状態でもあったはず。それなのに、後ろめたい気持ちになるのは、彼がこの顔をする理由が緋天にあるからだ。

「緋天ちゃん、いいの?」

 彼女を嫌な気持ちにさせることは承知で、昨夜、このダンスの事をこっそりと打ち明けたら。小さく笑って、大丈夫、と言ってくれたのだ。それにほっとして、蒼羽の了解を取るのが後回しになってしまった。

「お前が緋天にそう言わせたんだ」

「ごめ、・・・」

 鋭い声に身が竦んだ。彼女以外には、やはり昔のままの蒼羽なのだろうか。

「いいか。一番幸せな顔をしろ。他の奴はお前の引き立て役だと思え」

「え・・・?」

 もうそろそろ円の中心へと躍り出なければいけない。つい先程、今年デビューした、同年の女の子達、それからそのパートナー達が、円の中へと入っていった。ホストであるサンスパングル家の娘だから、一番注目されることは必至。

「緋天に悪いと思うなら、この場で一番楽しいという顔をしろ」

 和らいだ声に、顔を上げると。

 微笑、ではなく、不敵な笑みを浮かべた蒼羽がいた。

「行くぞ」

 腕をつかまれ、強引に彼へと預けた形にされる。一歩たたらを踏んで、その勢いで前のめりになり、彼と並んだ。流れる音が一層華やいだものになる。歓声が自分達を中心にして起こり、入り込んだ円の中で、自然と足はリズムを刻もうとしていた。

 

「蒼、」

「笑え」

 リードされて、悔しくも彼の命令に従う。

 全身を、浮き足立つような曲に融けるように。

 重みなど感じていないように、軽やかに足を運ぶ、くるりと回る。

 

 笑顔は、久々のその開放感に。

 勝手に浮かんでいた。

 

 

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