サンスパングルの白銀姫 

 

 歓喜。その感覚が全身を暴れまわった。

 興奮。それに似たものが、体を熱くする。

不謹慎ながらも、アルジェの助けを求める双眸を目にして。

 

「・・・緑樹様、お言葉ながら」

「いいんですよ、計算通りだから」

 ホールの隅へと歩いていく兄妹を、不安そうに目で追いながら、隣からヴァーベイン本家の嫡男が声をかける。身分を越えて、この自分に進言しようとする彼に好感を覚えた。続く言葉を遮り、彼へと向き直る。

「正直に答えて欲しい。貴方の目から見て、キーディスという男は?」

 不躾な突然の問いに、シトロンは目を伏せ、それから自分を見据えた。

「従兄弟ですが・・・ヴァーベインの名に相応しいとはとても思えません」

「家名に傷がつくような事は、できるだけ避けます。あの男の自尊心だとか、今まで受けてきた称賛だとかを壊してやりたいんですよ、私は」

 苦渋の選択、というわけでもないらしかった。

 いとも簡単に、シトロンは首を縦に振る。

「お忘れですか? キーディスを連れてきてくれないか、と今宵の招待状に書かれたのは貴方ですよ。それを見て、不思議に思いはしましたが、友好を築きたいのではないだろうと感じました」

 愉快そうにも見える。従兄弟だからこそ、キーディスに対して元々何かを悟っていたのかもしれない。血縁の者達とは、どこか違うと。

「それでも連れてきたのは私ですから」

 率先して、身内を断罪するような性格ではない。

ヴァーベイン家には、そういう者が多かった。特に目立った所業がないから、わざわざ調べまわったりはしなかったのだろう。大きな問題さえ起こさなければいいと、そう諦めていたのだと思う。

 

「サンスパングルにお預けします。どうぞご随意に」

 

 そう言って、シトロンは頭を下げた。

 ざわり、と音を立て、周囲が自分達を好奇の目で見る。彼が取ったのは、古来より繰り返されてきた臣下の礼。膝を付いて、こちらに完全に首を見せて。

 

「ご心配なく。ヴァーベインとは、血が混ざるでしょうし」

 

 アルジェが頷けばの話だが。

 それを心内で付け足して、彼を立たせた。嬉しそうな笑みを見せるシトロンと、自分を中心にして、ざわめきが広がっていく。

今の言葉が耳に入った者から、聞こえなかった者へ。様子を遠巻きに伺っていた者から、全くこちらを見ていなかった者へ。

 

自分にとっては、心地がいい既成事実。

わざと泳がせたキーディスに捕らえられたアルジェを助け出すのは、この自分だ。好奇の視線へと笑みを返して、兄妹が消えたバルコニーへと足を進めた。

 

 

 

 

「かわいそうに。冷たくなってるじゃないか」

 キーディスと挨拶を交わしていた時と同じ、不敵な笑みを浮かべていたベリルは、一転して眉を顰めた。大きな掌が、剥き出しの二の腕を包み、体温を移すかのように、少しばかりじっと留まる。

 その温もりが嬉しかった。

 全身から、力が抜けていくようで。彼がこの場に来たことで、もう何も心配することはないのではないか、とそう思う。

「これ着て。ちょっと不恰好だけど」

 目の前で、ぎらぎらとした視線を隠しもせずに、キーディスはもう完全に我を忘れているようだった。それをきれいに無視して、ベリルが上着を脱ぐ。

 少々躊躇いはしたが、素直に受け取った。

 何より、彼のその温もりを手放したくなかったのだ。今だけは、と既に追放されたにも関わらず、ベリルに縋ってしまう。

「可愛いな、その目は犯罪かも」

 くす、と笑い声を漏らして、緊張感のない言葉が降ってきた。

 かち合った視線の先で、どこか色味を増した彼の双眸。

 

「えーと。続き、しようか。どこからだっけ?」

 

 とぼけた声を出して。

 ベリルの目が、キーディスへと向けられる。

「あ、そうそう。ちゃんと聞いてたよね?」

 楽しそうな、独り言。

 それなのに、キーディスの体は固くなり。ベリルをかなり警戒しているように見えた。

 

「アルジェに触れていいのは、私だけなんだよ。勝手にキスしないでくれる?」

 

 

 

 

「っ、何を仰るんですか」

 善良とはとても言い難い笑みを口元に浮かべて、キーディスがそう返す。もしかしたら、同じ事をアルジェも思っているかもしれない。パートナーという演技をしている場でなければ、すかさずそう言っていただろう。

 背中に隠れるようにして、躊躇いがちに自分の上着を羽織る彼女は、今はそこまで考えてはいないようだった。右後ろから、痛いほどにアルジェの視線を感じる。泣いてはいなかったが、相当怯えていたのは確か。

縋るような彼女の視線に酔いつぶれてしまいそうだった。

「何って・・・だから、私のアルジェにキスしないでって」

 軽い感じに言葉を発すれば発するほど、キーディスの機嫌は悪くなっていく。最早、機嫌などというレベルではなかったが。

「・・・お言葉ですが」

 こんな風に完全に追い詰められた形になっても、彼の容姿や声が崩れることはない。見る者によっては、何かを必死で論じているようにも見えるだろう。

ただ、矮小な部分を曝け出している事には変わりなかった。

彼の内の、単純で粗悪な精神。

「お言葉ですが!」

 じっと彼を観察することで、幾ばくかの圧力は与えられているようだった。

 シトロンと同じ言葉を二度も使い、自分に反論を始めようとする。キーディスの使ったそれが、従兄弟と同じ良質なものではない事は分かっていた。

「アルジェは私の婚約者です。どこで行き違ったかは分かりませんが、ヴァーベインに返して頂きたい」

 びくん、と。

 視界の端で、アルジェが肩を震わせる。そこまで自分が知っているとは思っていないのかもしれない。過去の事とは言え、その事実が、今の彼女の役割に不利だとでも思っているのではないか。

「ああ、もう。おいで」

 本当は立ち去りたいのだろうが、それはさせられない。

 最後まで見届けてもらわねば、また繰り返しになるかもしれないから。

 腕を伸ばして、不安げな目をする彼女を引き寄せた。とりあえず、目の届く位置、温もりを感じる位置にいればいい気がして。

「・・・っ、やけに素直だな。実は寒いだけとか?」

 大人しく腕の中に収まったアルジェに、場違いにも体は熱くなる。それを抑える為にからかったはずなのに、ふるふると首を動かされ。早く部屋に連れて行きたいと思ってしまう。

 

「あー、っと。整理していこう。まずひとつ目」

 彼女を殴ろうとしたその手を止めた事で、こちらの実力が伝わったせいか。アルジェを構っていても、キーディスは手を出しては来なかった。

「婚約はとっくの昔に解消されてる。君はただのお兄さん」

 もともとが、公式なものではなかった。それに加えて、婚約期間はとても短い。

「仮に、今それが有効だとしても。ヴァーベインはサンスパングルに逆らえない」

叔父のこぼした言葉を頼りに、ここ一月ほど調べていたのは、アルジェの生い立ちとその環境。さすがに母親に負わされた傷の位置まで知ることはできなかったが。

 

腕の中でじっと、この空間に、キーディスがいる空間に耐えている彼女。

もっと自分を求めればいいのに。

 

「ふたつ目。アルジェはシュイのいる特殊なあの組織に入る気はない。こちらも渡すつもりはない。独自に力を開発する気もない。だから、連れてっても無駄」

 

 自分の持つこの情報を羅列するのは、無意味だと。

 本当にアルジェを欲しいのならば、無意味だと。

 それがこの男に分かるだろうか。

 

 並べ立てた言葉に、憎々しげな表情を見せているだけだから、きっといつまで経っても分からないのだろう。

 

「最後」

 

 本当にもう、これで終わりにしたい。

 彼女の頭を悩ませるのは、自分だけにして欲しい。

 

「アルジェが好きなのは、お前じゃない」

 

 言い放ったそれは、腕の中のアルジェの、その目を閉じさせた。

 そうしても仕方がない程、キーディスは愚かにも悪意を剥き出しにしていた。彼の中途半端な計画は、こんなにも簡単に、手に入れようとしていた存在を怯えさせている。もっと巧妙に、もっと秘密裏に進められていたら、今頃彼女はこうして自分に縋っていなかったのに。

 

「・・・どうしてそれが貴方に分かりますか? こんな事を口に出すのは失礼ですが、貴方の容姿は僕に似ている。僕の代わりに、ルーが貴方を求めたとは思いませんか?」

 ルー、と彼女の特別な呼び名を強調して。

 優位を見せつけるかのように、未だ都合のいい持論を展開するキーディス。そんなものが、この自分に通用するとでも思っているのだろうか。それを聞いてショックを受けると。

「アルジェ? そうなの? 私は彼の代わり?」

 演技を続けよう、と彼女の頬に触れる。一瞬、それが安全であるかを確かめるような、そんな表情で小さく頷き、口を開いた。

「代わりじゃないわ。キーディスの代わりなんて、どこにもいないもの」

 どちらとも取れる、その言葉に。彼の顔に笑みが広がる。

 ただ、自分には分かった。アルジェの意図するものは違う。

「貴方みたいな人は、探してもそうそう見つからない。私利私欲の為に、妹に手をかけるなんて」

 発する声は、少しだけだが力を増していた。

 

「だから、もちろん。貴方を好きであるわけないわ」

 

「納得? もう邪魔しないでね」

 彼女が触るなと言った時のように、またも激怒するかと思ったのだが。

 キーディスの顔面は蒼白になり、ただ呆然としているだけだった。そこへ声をかけ、早々に退散を申し出る。こちらはアルジェの容赦ない言葉に、気分が良くなっていたので、これ以上は責めない。

 

「次、何かしたら・・・潰すから」

 

 とりあえずの脅し文句を口にして、体の前に彼女を庇いつつ、ホールへと引き返す。捨て置くと、後々面倒な事になる気もしたので、シトロンに預け返すのが筋だろうか。

 

 そこまで考えて、後はもう。

 あれだけの言葉を吐いたというのに、未だに震えているアルジェが愛しくて仕方なかった。その震えが、先程まで彼女を縛っていた怯えとはもう違うのだ、と承知してはいても。

「頑張ったね。もう大丈夫」

 バルコニーとの境、その扉を開けて。

 暖かい空気が体を包む、その瞬間に。彼女の耳元で、こそりと呟く。

 

 後ろから覗き込んだその水色の瞳が、小さな粒を零した。

 それを隠す為に、アルジェの体を反転させて、頭を抱え込んでも、本人も、それから周りの人間も。

異論を唱えるものは、もういない。

 

それが、嬉しかった。

 

 

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