サンスパングルの白銀姫 

 

 腕を引っ張られるようにして、バルコニーへと出る。

 冷たい夜気に肌が晒されたが、体は熱をもっていて、それを嫌がらなかった。怒り、それから悲壮感。その2つが全身を満たして、寒さなど感じる余裕がない。

当たり前のように、隣のキーディスはその上着を脱ぐ事をしなかった。きっと、8年前の彼なら自分の為にと惜しげもなく差し出していただろう。無知な妹を喜ばせる為に、その妹を手に入れる為に。

 

「いつからだ?」

 ホールの灯りと、庭の外灯。

 両方が、キーディスの金の髪を輝かせる。責めるように自分を見る青い目も、美しさを計算して作られたようだった。

「・・・口も利きたくないって?」

 悲しそうに眇められる双眸。昨日、自分をオーキッドの家に迎えに来たベリルも、同じ目をして見せた。こちらの罪悪感を煽って、彼らの言いなりにさせる。

ただ、同じ表情でも、確実に判る。

もう自分は、キーディスに踊らされたりなどしない。

「いいえ、お兄様。・・・いつから、というのは、サー・クロムの事でしょうか?」

 発した声と、兄と呼びかけたそれは、自分を更に落ち着かせた。いつものように、話せる。仕事をしている時のように、冷静に。先を促すようなキーディスの視線を、できるだけ目に入れないようにした。

 庭に出て、美しく配された植木や石を眺める。

 融かされていない雪は、ぼんやりと光っているようで。

 

「それほど前のことではありません。こちらに赴任して、まだ半年も経っていませんから」

 出している言葉は、聞いている彼にとっては、恋人としてベリルに認定された時期を示す。嘘はついていない。自分としては、ただ単にベリルの部下になった期間を示しているつもりだけれど。

 

「・・・何年も一緒に過ごした僕より、知り合ったばかりの男を取るのか?」

 

 口元が緩んだ。

 キーディスの言葉が、あまりにおかしくて。

 

 謀らずとも笑んでしまった事で、キーディスを包む空気が変わる。馬鹿にされたと思っただろう。確かにベリルとは知り合ったばかりだ。数年を傍で過ごし、絶対の信頼を置いていたキーディスよりも、あのつかみどころの無いベリルを信用している自分がいた。

例え、その彼の領域から追放されたとしても。

 

「お兄様、ご存知でしたか?」

 もういい加減に断ち切らなくては、この先何も変わらない。自分の中で、ずっと燻っていたそれを捨てて、きれいに掃除しなければならないのだ。

「聞いていたんです、カメリアさんとの会話」

「っっ、あれは・・・分かるだろう? ルーに拒まれて、どうしようもなかったんだ」

「違います。お兄様が怪我をしたあの日の事ではなくて」

 やはり、気付いてはいなかった。

 キーディスは、他の女性とベッドにいた日の事が、自分が離れた原因だと思っている。確かにそれは、彼を好きだった自分を大きく落胆させたが。キーディスの抜かりない、反省の色を見せる表情や言葉が、この愚かな妹を懐柔していたのだ。

 

 色付いていた世界が、真っ白になったのは。

 また別の日。

 

「・・・私が孤児院にいた理由を、彼女に話していたでしょう?」

 

 ああ、と。

 彼の驚愕に見開かれた目を見て思う。

 今の一言で、キーディスは弁解の余地すらない事を悟っただろう。愚かだと思っていた妹が、いつの間にか知恵をつけていた事を知っただろう。

 

「お前・・・そうか、もう知っているんだな。あの男の組織に移るのか?」

 

 こんな表情を初めて見た。

 口元を歪め、意地悪く笑う、その顔。

彼の内面の醜さが、顔へと滲み出ているような、そんな表情。

 

あの男、というのが、シュイを指しているのだと気付く。実の母親の事についても口走っていたから、当然、養家にも手を回していたのだろう。キーディスと顔を合わせたに違いない。

「だったら話は早い。アルジェ、その力を独り占めする気? 世話になった家族に恩返しをしようっていう気持ちはない?」

 猫撫で声。

 そう形容するしかない、甘い声を出して。優しい両親を取引の道具にするキーディスの事を、何故、一時でも愛しているだなんて思っていたのだろう。裏切られて、と言うよりも、真実を知る事ができて、本当に良かった。彼の本性を知らなければ、そのまま結婚していたのだ。

 こうして庭にいる姿は、他人からは恋人同士のように見えるだろうか。

 そんな誤解があるなら大声で否定したい。ヴァーベインの娘だという仮の肩書きも全部。

 

「・・・本当は僕の事を忘れられないんだろう? だから、僕と同じ容姿の男を傍に置いているんだよな。それがサンスパングルの人間だなんて驚きだけど、やっぱり我が家での生活が忘れられなかったんだよ。上流階級の生活がね」

 

 孤児だったお前が。姫だなんて呼ばれるから驚きだ。

 

 そう付け足されて、頭に血が上る。

 ここに来て、怒りに体が追いついた感じがした。

 

「どれだけ甘やかされた? どれだけのものを与えられた?」

 

 頬が熱い。

 そんなものを目当てに、この場にいる訳じゃない。

 

「ルーだったら、その体を売りに出さなくても、同じものを自力で手に入れられるよ。少しだけ、力を使えばいいんだからね」

 

 そんな下らない事をして、誰かに媚を売ったりなんかしない。

 そう言いかけて、彼の言葉は事実だと気付く。こちらに来てから、多くの人間に、笑顔を見せてあしらってきた。それが効果的だと知って、笑顔を取り繕ってきた。

 けれど。ベリルに対して、この体を見せつけたりはしなかった。

 

「サンスパングルの血筋は切れ者が多いと言うが。うまく騙せているみたいだな」

 

 それとも、と。彼の言葉は続く。

 饒舌になって、生き生きと輝いているようにすら見えた。

 

「本当の事を話して、同情を買ったか? どのみち、天使だと崇められるその笑顔に騙されているんだろうね。ただの男なんだな、奴も」

 

 ふ、と笑い声が漏れてしまった、その演説に。

「何がおかしいんだよ!」

 二度目の、同じような状況。意図せずとも、彼を馬鹿にするように笑ってしまったから。

 とうとう紳士の仮面を脱ぎ捨てたらしい。

その方がお似合いだ、この自分の兄としては。

 

 語気を荒げて一歩自分へと近付いたキーディスに、少し気圧される。思わず上体を仰け反って、怯えている様を見せてしまった。

震えは止まっていない。ずっと。

キーディスに、忘れていた自分の呼び名をホールで紡がれてから。

 

「・・・サー・クロムは」

そう口に出して、ほんの少し。本当に少しだけ。

話をし始めた頃のように、頭の中を冷やすことができた。

「気付いていたわ。私の笑顔が贋物(にせもの)だってこと」

 

 こちらが弱いところを見せたせいか、彼の口元にはまた歪んだ笑みが浮かんでいた。

「そう。じゃあ問題ないな。あいつはただの代用品だろう、僕の」

 簡単に、そう、ベリルが自分を捕らえる時のように簡単に。

 キーディスの腕に背を支えられてしまった。逃げるように体をひねったはずなのに、思いもかけず、強い力で引き寄せられて。

「震えているね。嬉しさに? もう拒めないだろう?」

 顎に指をかけられ、強制的にその青い目をのぞく事になった。

 

 違う。

 明らかに、ベリルのものとは違う。

 色の質や、重み、輝き。キーディスの碧眼が、軽薄なものとしか映らない。

 

 このまま、唇を奪われるのだろうか。

 ベリルにされたように、強引に。

 そう思い至って、本当に嫌な感覚を背筋に覚えた。ベリルに対しては、どんなに無理やりに口付けられても感じなかった、寒気。

 

「・・・やめて」

 喉に引っかかりそうな、小さな声音。

 面白そうに、眉を上げてみせるキーディス。

「触らないで。・・・心底、貴方を兄と呼ぶ事に虫唾が走るわ」

 吐き出した言葉は、自分を解放した気がした。

 汚い罵りを、心地良いとすら思えた。

「・・・どこまで、そんな強がりを言えるかな」

 一瞬。

 悪質な光を目に浮かべはしたが、ここがどこかを思い出したらしい。それから、自分の立場も。少し戻れば、この家に招かれたという優越感に興じる人々がいる。

「許されないの」

 権力を振りかざそうとした。

 それに縋るキーディスだからこそ、効き目があるだろうと。

 今の自分は、この家の次男のものだと。サンスパングルという家に生まれた、ベリル特有のいざこざを回避する為の、偽りの恋人だとしても。その偽りが、まだ(まか)り通っている。

 

「放しなさい。私に触れていいのは、」

「黙れ!」

 

 引き下がると思われた、その示唆(しさ)に。

 キーディスの瞳は更に剣呑な光を宿した。怒りが彼を支配している。振り上げられた右手に、衝撃を予測して目を閉じた。

 

 ぐい、と乱暴に腰を引っ張られて。

 

「随分と手荒なお兄様ですね」

 背中に暖かな感触。頭の上から声がする。

 

「アルジェに触れていいのは、私だけですよ」

 

 

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