サンスパングルの白銀姫 6
何故、突然彼女が、パートナーらしく振舞い始めたのか。
その体に残された傷痕を、無理やり暴いてしまったことなど、少しも気にしていない様子。
理由を探らずとも、分かってしまった。自分を見て浮かべる笑みは、取り繕った仮面。
きっと、ここで失敗などすれば、身の置き場がなくなるとでも思っているのだろう。
「アルジェ!」
これでもう何組目か判らないくらいに、同じような挨拶を繰り返して。
そろそろどこかに座って落ち着いてもいいだろう、と彼女の名前を口にしようとした。
「ルー!」
自分のものではない声が、後ろから聞こえて。
振り返る前に、もう一度、特別な呼び名が響き渡る。
「・・・っ!?」
びくん、と大きく肩を震わせたアルジェのその顔は、みるみるうちに硬くなる。
ようやく、と思い、精一杯穏やかに聞こえる声を発した。
「大丈夫」
これから、始まる。
今から、始まる。
アルジェを、家族、親戚、付き合いのある人間達に見せびらかす。
それは、今日のこのパーティーの目的の、ごく一部であって。
メインイベントは、これだ。
「ルー、ルー・・・!」
この、声。
間違えようもない、その、耳をくすぐるような甘い声。
「ああ、シトロン殿。お久しぶりですね」
「・・・緑樹様・・・えーと、春以来でしたか? アルジェ姫は・・・10年くらいぶり?」
すがるような視線が、体にまとわりついていた。
そんな事を意に介さず、ベリルと、それから見覚えのある男が言葉を交わす。くだけたその口調から、彼らは幾度か面識があったのだろう、とどうでもいい事を思った。今の自分には、本当にどうでもいい、そんな事を。
「昔から綺麗だったけど、なんだか一段と美しくなってるな・・・まさかこの場で会えるなんてね。久しぶり」
「・・・シトロンお兄様・・・ご無沙汰しておりました」
ヴァーベイン本家の跡継ぎ。
会うたびに、邪険にせずに相手をしてくれたのを覚えている。
従兄である彼の顔には、時を経ても同じ笑みが浮かんでいた。戸惑ったような、そんな笑顔だったけれど。
「そちらは、アルジェの兄上ですよね」
腕を預けたベリルの声は、死刑宣告を言い渡す人間のもののように聞こえる。伝わる彼の温もりは、裏切りのように感じた。
知っていたのだ。兄が、この場に来ることを。
仕組んだのは、ベリルだ。
「お会いできて光栄です。サンスパングルの次男のベリルと申します」
彼の堂々とした声。
兄へと下げられる頭。
それから、自分を見下ろす微笑みまじりの視線。
「ご存知でしょうが、今アルジェには、私の下で働いてもらっています。公私混同はしないつもりですが、さすがに一年に一度の伝統的な集まりですし。ここで公表した方がいいかと思いまして」
自分が何に対して震えているのか分からなかった。
ベリルの、芝居じみたその台詞か。
兄が、この場に存在していることか。
「・・・おい、キーディス?」
「あ、ああ、お初にお目にかかります、ベリル様。ルー、アルジェとは・・・」
自分に突き刺さっていた視線が、ようやく逸らされた。それはベリルへと向かい、彼はまともな言葉を吐き出す。躊躇いがちなその表情は、何年も顔を合わせていなかった妹を心配している兄に見える。
「ええ。サンスパングルの姫に、と」
そう言うだろうと思っていた。こんな茶番を作り出したのだから。
息をのみこんだ音、その後に。
キーディスの視線は、また自分の方へと向けられる。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんが、いずれ正式に伺いますので。ご両親にお伝えください」
伝わってしまう。家へと、ずっと会っていない養父母へも、この現状が。
見上げたベリルの横顔には、相変わらずの笑み。けれどそれは、嘲笑ともとれるような、ひどく不敵なものに見えた。貶められたのは、キーディスの方。
「っ、・・・緑樹様、アルジェとはもう何年も会っていなくて・・・失礼ですが二人で話をさせて頂いても?」
「ええ、もちろんですよ。どうぞご遠慮なさらず」
柔らかい声であっさりとそんな事を。
ある程度、事情を推測しているはずだ。兄を呼んだのはベリルなのだから。それなのに、とても簡単にキーディスに預けられた。どくん、と心臓が大きく跳ねる。
「・・・っ」
優しい手つきで、離された腕。
縋るものが、なくなってしまった。まだもうしばらくは続くと思われていた、彼の庇護から解放されてしまった。
「ルー」
笑みを浮かべたキーディスに、すかさず腕を取られる。
ぞくりと全身を襲う寒気を何とか抑えて。もう一度ベリルを見た。助けてくれるかもしれない、などと今更都合の良い事を考えながら。
振り返った目に映ったのは、にこりと笑う顔。
少し心配そうに自分を見るシトロンの横で、そんな微笑を浮かべていた。
「外に出ようか? 誰にも聞かれない方がいいだろう?」
ホールの端へと向かうキーディスの力に、抗えない。
耳に届く、その懐かしいはずの甘い声は。
ただ、この身の出自を呪いたくなる、そんな気分を与えるだけだった。
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