サンスパングルの白銀姫 

 

 呼ばれた。

 アルジェから、話がある、と呼ばれた。

 

 そんな風に彼女からコンタクトを取ってきたのは初めてだった。

 多分、贈り物をしたのが自分だと気付いて、型通りの礼を言われるのだろう、と予想はできたが、それだけでも嬉しい。

再び訪れた女性陣の集まる部屋。ノックして、扉が開かれて。

 

「っっ!?」

 出迎えたのは、アルジェ本人。

 ただし、身につけているのは、自分が選んだものではなく。

「サー・クロム、素敵な贈り物をありがとうございます」

 頭を下げた、アルジェを。薄水色のドレスが包んでいる。ふわりと裾へ広がる生地。銀糸の刺繍は見覚えがある。細かく縫い付けられた石がきらきらと光を反射して。

「・・・それ、叔父さんの?」

 仕立屋で彼女の為に選んだ刺繍と全く同じだった。どうして叔父はそれを知りえたのだろう。しかも、彼が贈るドレスに同じものを縫いつけるなんて。

「はい。・・・サー・クロムに頂いたドレスは、私には着ることができません」

 淡々とした、その口調に少し苛立った。

 何故。

 叔父のものより、自分が贈ったものの方が、アルジェを惹き立てる。

「何で? サイズだって、ぴったりのはずだ・・・」

「ええ。ですが、私には無理なんです」

 目線を床に落とした、彼女の首筋。そこに固定されているのは、特注したネックレス。良く見れば、耳も、その足も。飾り立てるのは、自分が選んだアクセサリーであるのに、ドレスだけが叔父のもの。

「わからない。何が無理なの? 叔父さんのは着れても、私のものは身につけたくないという事?」

 混乱する。

 静かな口調は、出会った頃の彼女のようだ。

 

「ねぇ、触られたくないって事かな?」

 

 飛び出したその声が、随分と意地悪げに響いた。

 こんな風に責めてはいけない、何を着るかは彼女の自由であるのに。そう思っても、悔しかった。アルジェのあまりにも冷静な声音が、それを煽った。自分を嫌な人間へ変えるように煽る。

「っ、やはり、納得頂けませんか?」

「納得できるわけない。説明してよ、何で駄目なのか」

 一歩前に出たら、びくり、と彼女が身を(すく)ませた。他の皆は奥の部屋でまだ準備中なのだろう。誰もいないせいで、アルジェを腕の中に入れて、自分のものだと過信してしまいそうだった。

もう、無理やりそういう事はしない、と決めているのにも関わらず。

「・・・少々お待ち下さい。着替えて参りますので・・・っ」

 くる、と踵を返した彼女が、足早に隣の部屋へと消える。最後に耳に届いた声が、何だか消え入りそうだった。

 

 奥で、複数の話し声。

 それも、少々上擦ったような、焦ったような。そんな声音が、姉と、それから二人の妹、三人分響いて。何を言っているのかは良く判らないが、扉の向こうで一騒動起こっているようだった。

 

「バカ! あんたちょっと、頭使いなさい!!」

 ばん、 と勢いよく開いた扉から、姉が憤怒の形相で飛び出してくる。

「え? 何、を・・・」

「いいんです。直接見て頂いたら、説明しなくても済みますから」

 

 またも静かな、冷たい、とさえ感じる声。

 奥から出てきたアルジェは、ゆっくりと自分の前まで歩いてきた。動く度に揺れて光る、美しいドレス。すらりと伸びた足がスリットからのぞいて。

完璧だった。

それを着こなした彼女は、美しい。

 

「一生悔やみなさいよ、ばか」

 何故だか急に元気をなくした姉の声が、そんな事を言っても。その目がこちらに向かうアルジェの背中を見ているなんて、全く気付かなかった。

 それきり黙って隣の部屋へと姉が消えたのは、自分に謝罪をさせる為だった事も気付かずに。

 

「きれいだ」

 細い腰に腕を伸ばして、最後の一歩を引き寄せる。目を伏せた彼女は何も言わずにそれを受け入れた。

白い肌、手触りのいい、その皮膚。

水色の目を見て。背中に手を這わして。

 

「っっ!!」

 震えていた。触れたそばから、彼女の体に震えが走る。

「なに・・・? こうするのは嫌・・・?」

 怯えているようで。夢を見ているような感覚から我に返る。

「どうし、っ!?」

 更に彼女を引き寄せたところで、首筋から背中へのラインが目に入った。

大きく開いた背中側。

 

そこに見えていたのは、痛々しい傷痕。

 

「っごめん!!」

 彼女が何を訴えていたのか、ようやく分かった。

 美しい肌に残された傷痕は、このデザインでは丸見えで。

 叔父はそれを、知っていたのだ。

 

「・・・髪が長ければ、隠せたのですが」

 あくまでも、平常を装おうとする、その声。

 自分にはそれが、悲痛な叫びにすら聞こえる。

傷つけてしまった。思い出したくもないだろうに。その事実を口に出すのさえ、躊躇っていたのだ。直接自分に見せることで、説明を避ける程。

「ごめん・・・知らなかったとは言え、知る手掛りはあったのに・・・」

「いえ、ご理解頂けたならいいんです」

 す、と離れようとするアルジェを、もう強引に手元に戻すことはできず。

 

ただ、その傷のついた背中を見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

「まぁぁ! 美しいお嬢さんだこと!! とてもお似合いだわ」

 来た、と身構える。

 できるだけの笑顔、しかも上品に見えるそれを浮かべ、背筋を伸ばして。左のベリルを見上げた。彼は極上の、完璧すぎる微笑みをまず自分に送り、それから目の前の中年女性に頭を下げる。

「お久しぶりです、トレニア様。お変わりありませんか?」

 屋敷の中央に位置するホール、そこに入って、いきなり興奮気味に話しかけてきた彼女。礼儀を飛ばしてそんな態度をこの家で見せるくらいなので、余程親しい間柄か、サンスパングルに利益をもたらす人間なのだと思う。

「ええ、ええ、私は同じよ。ところで、どちらのお嬢様かしら?」

 今日、このパーティーでそれを聞かれる事は、覚悟していた。それでも、自分から口に出すのは気が引けて。この世界では不可欠とも言える、お決まりの調査を始めようとする彼女に、ベリルは笑みを崩さずこちらを見下ろす。

「ヴァーベインの令嬢、アルジェ姫ですよ。最も、今まで大事に隠されていましたので、事実上、私の独り占めですが」

「あらまぁ、だから見覚えがないのね。こんなに美しい方、忘れる訳がありませんもの」

 彼の口から出たのは、予想通り、部下という言葉ではなかった。パートナーとして連れているのに、そんな事を言う方がおかしいのは分かってはいる。これまた分かりやすいお世辞を口にする彼女に、膝を折った。

「分家ですので、こちらの方では出かけた事がなくて・・・どうぞよろしくお願い致します、トレニア様」

 すらすらと口から出てくる台詞に、嫌悪を覚えながら、まだ令嬢として振舞える自分を悲しく思った。捨てているはずのものに、こうして縋りついている。

「まぁ、そうなの! これからはお会いできるわね、彼と一緒にあちこちお出かけなさいな」

「そうですね、今後は自慢をしに彼女を連れて歩く事にします。トレニア様もよろしくお願いします、サンスパングルの次男は姫付きだって、宣伝して下さい」

 明るい笑顔を浮かべる彼女に、冗談交じりにそう答えるベリル。

 彼の言葉を遮ることはできない。同調しているとみなされなくては、ここにいる意味はないのだ。ベリルに恥をかかせるべきではないのだから。

「そうね、任せて。では、また後でね、主人を置いてきているの」

 最後に笑い声を残して、彼女が去っていく。

 

 ふ、と肩の力を抜きかけて、まだたった一人にしか対応していない事を思い出した。急いで姿勢を正すと、上から降ってくるのは柔らかな視線。

「いきなりあの人だったのは、ラッキーだったかもよ。あと一時間もしたら、きっと挨拶しなくても、君の存在を認識してくれる人間が増殖すると思う」

「・・・そう、ですか・・・」

 何だかどうでもいいような気にすらなってきた、と言おうと思って踏みとどまる。これは、一夜だけの演技にすぎない。明日になれば、ただの一研究者に戻れるのだから。

 探せ、と。

 上司ではなく、恋人という立場であるはずのベリル。今、この場に相応しい、彼の喜ぶ言葉を探せ、と。どこかでそんな指示が飛ぶ。

 

「うまく広まれば・・・無駄な反感を買わずに認められますね、サンスパングルの姫だと」

 

 青い目を大きく見開いて。

 自分を見るその視線から、逃れた。首を動かし、視線を逸らせて。

「・・・何か取ってきて頂けますか? 緊張したので喉が渇きました」

 料理の並んだ一画へ目をやり、ベリルの意識を他へと向ける。

「ああ、うん。・・・何がいい?」

「貴方のお好きなものを」

 笑みを作る。こんなもの、散々やり慣れているはずなのに、違和感しか覚えない。

 背中を見せたベリルを見送り、今度は自然と口元が緩んだ。自分の口から出た言葉が随分と滑稽に思えて。

 

 孤児の、しかも醜い傷痕を持つ貴族の姫など、聞いた事がない。

 

 数時間の演技を、立派にやり遂げて。

 彼への恩返しの一端にはなるだろうか。暗い場所から引き上げてくれた、その厚意に対する利潤。サンスパングルとの血縁を望み、結婚をせまる周囲の貴族や有力者の遮断。ベリルはそれを望んでいるはずだ。

 

 それならば、きっと応えられる。

 今の自分には、その役を演じる為の条件が備わっている。

 楽しめばいい、サンスパングルに選ばれた幸運な人間を、一夜だけ。

 

 華奢なグラスを手にこちらへ向かうベリルへ、笑顔を。

 返された柔らかい笑みに、心臓が一瞬跳ねたのは無視して、恋人の振りをして彼を出迎えた。

 

 

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