サンスパングルの白銀姫 

 

 後ろ手にバスルームの扉を閉めて、何となく溜息を吐く。

 今夜の食事は、思った程堅苦しいものではなく、むしろ楽しいものだった。

 長方形の食卓。そこにずらりと並ぶ、ベリルの家族に紹介されて、頭を下げ、世話になる事への礼を述べ、彼らの質問に答えはしたものの。

 なにぶん、人数が多いのだ。

 当主とその妻、兄弟と、その伴侶、その子供達。特に子供の年齢が低いせいで、夕食の間、気が詰まるような事は何一つなかった。彼らの言動に助けられたと言うべきか。核心をついた、つまりベリルとの関係について問われる事はなかった。

 緋天に対してもそれは同じで、彼女は意外にもにこにこと笑って食事を摂っていた。時折、蒼羽や席の近い末娘のコーディアが彼女へ話しかけるくらいで。

 ただ、自分に向けられる家族の視線は、間違いなく、次男の相手としてみなされていたから。一番気が重いのはそこだ。ベリル自身は、部下として紹介しただけなのに。

 

 もう一度、息を吐き出す。

 客室として与えられた部屋。さすがにベリルとは別だった事にほっとしたのは事実。何となく、彼なら無理やり同じ部屋へと自分を閉じ込めるような気がしていたのだけれど、どうやら紳士だったらしい。

 耳に届いたノック音に返事をする。

 何度かメイドが用を窺いに来ていたので、またそれだと思った。充分すぎる程の、丁重な扱い。ベリルの部下ではなく、むしろ、ヴァーベインの娘に対する対応だった。どの使用人も。

「・・・無用心。相手が誰か確かめなよ」

「っ、サー・クロム!」

「それ違うでしょ? 二人の時は何て呼ぶんだっけ?」

 にこりと笑って部屋へと滑り込んで。

 右手には、湯気を立てるカップが二つ並んだトレイ。

「・・・了承しておりません、私は」

「うん、そうだね。とりあえず、これ飲もう。ホットチョコレート、好きだよね?」

 背中を押されて、ソファにすとん、と落ちるように座る。

 立ったまま、上から渡されたカップを反射的に受け取って。何故、好きだと判ったのだろう、と頭の隅で思う。テーブルを挟んだ向かいに彼。

 自分から口を開く、そのきっかけもなく。黙ってカップを傾けた。

甘い液体が舌の上を転がって。その濃さと、ほろ苦さと。頬がほんの少し緩む。確かに自分の好きな味だ。同じものをベースで飲んだのは、確かシンの歓迎会の夜だった。

 

「美味しい?」

「はい・・・」

 柔らかいベリルの声。それに返事をする。

静かだった。どこからも、物音ひとつ聞こえなくて。

 

「ちょっとさ、私の目、見て?」

 半分程、カップの中身を減らした頃に。そう唐突に言われ、顔を上げる。

 何故、こうも簡単に彼の顔を見る気になったのだろう。どこかでもう判っていた。

彼は、家族であったはずの彼じゃない。

 

青い瞳と。金の髪。

似ているかもしれない。それだけの、特徴で言ったら同じなのかもしれない。

けれど、全く別物なのだ。違う、人間。

 

「うん。・・・ちゃんと見れるようになったんだよね。前は本当に、目を合わせようとしなかった」

「・・・はい。・・・かなりのご無礼を」

 彼の言う、過去の自分の非礼を詫びる。

「いや、私の方も色々してるしね・・・謝る必要はないよ」

 小さく笑う声がする。

 それから、カップの中身を一口飲んで、掌で包むのを眺めて。

 何だろう。彼は何を言いたいのだろうか。

 

「確かめたかったんだ。明日までに」

 何のご確認でしょうか、などと口を挟む隙間はなかった。

 

「キーディス、と。私は、違うよね? 君の中で、間違える要素はまだあるの?」

「っっ、・・・ありません」

 

 ベリルの口から、その名前を聞かされるなんて思ってもみなかった。

 甦るのは、雨の日。ベースの庭で、口走った救いを求めたそれ。間違えたのは、確かに自分。

 上司として当然知りえたはずのその存在に、彼は気付いたのだろう。

 

「ありません」

 

 もう一度、きっぱりと音にして。

 あの兄と、目の前のベリルは。

根本的に、違う。器が違う、覇気も、能力も違う。

 

「了解。それが聞けて安心した」

 

 す、っとカップを持ったまま立ち上がった彼。

 意味が分からない。否、何となく分かるけれど、まだそこまで考えたくない。

 つられて立ち上がった、黙って退出しようとする背中を追いかけた。何をしようとしているのだろう、自分は。

扉の前で、くるりと振り返ったベリルが笑う。頬に上る熱は無視して、その口が再び開くのを待った。

「お見送り?嬉しいけど、ちょっと複雑」

 

 伸ばされた腕は、背を引き寄せて。

「お休み。私のお姫様」

頭の上にキス。

 

それに驚かなかった。何となく、予想をしていたけれど、拒まなかった。唇には触れない事も分かっていたから。

閉じられたドアに、いつかと同じように耳をつける。

今日は、足音は聞こえない。

 

 

 

 

「あらま、随分と上機嫌だこと」

 空が傾きかけた頃、左手に箱を抱えて、男子禁制の部屋の扉をノックする。それを開けたのは、姉のヴィオラン。ラフな服装のままなので、彼女の準備は一番最後という事なのだろう。

 奥の部屋から賑やかな話し声がする。響くのはコーディアの声だったけれど。

「まぁね。アルジェにこれを着させて。私からってのは内緒で」

「一足遅いんじゃないの? 彼女には叔父様から届いているわよ」

 にやりと歪んだ笑みを浮かべて、意地悪く姉がそう言った。

「は!? 聞いてないですよ!」

「ふーん。でもね、叔父様、緋天ちゃんにも贈ってるし、可愛い娘達にあげたいんでしょ」

「緋天ちゃんのは知ってますけど・・・叔父さんめ、騙したな」

 オーキッドが嬉しそうに緋天のドレスについて説明したのを聞いていたが。まさか、その影でアルジェにも同じように作っているとは思わなかった。きっと今頃、ほくそ笑んでいるに違いない。

「ま、これは渡しとくわ。あの子がどっち選んでも文句は言わないようにね」

 くす、と笑って、素早く箱を取り上げて。

 ばたん、とあっという間に目の前で扉が閉められた。何となく、腑に落ちないのは確かだけれど。姉はきっと、彼女に両方を着させてみる事はしてくれるだろう、と後を任せる。自分の選んだドレスを着てくれるのが一番だが、それを無理強いして機嫌を悪くさせるのは避けたい。

 けれど、自信はあった。叔父の贈ったものを凌駕する、自信。

 アルジェがにこりと微笑むのを夢想して。

 自分の部屋へと戻った。

 

 

 

 

「緋天ちゃん、大丈夫よ、変じゃないから。アイリス、飾りはそこの使ってね」

「ふぇ〜」

「かしこまりました、ヴィオラン様」

 真珠色のドレスに着替えた緋天の髪を、メイドの一人がカールさせていた。それを気にしてそわそわする緋天を、部屋に戻ってきたヴィオランが優しくなだめる。

心細そうな声を上げる彼女と、嬉しそうに頷くアイリスと呼ばれたメイド。使命感に燃えている戦士のようにも見えた。

「さて。こっちのお姫様には選択権が出てきたわ。開けてみて」

「え、でも・・・」

「いいから。どっちか好きな方を選んで着てね」

 ここを出る時にはなかった大きな箱を、彼女が差し出して。きれいにラッピングされたそれを、言われるままに開ける。銀色のリボンをといて、薄水色の紙をはがして、こげ茶色の箱を。

「あ・・・」

「あら、いいじゃない」

「素敵。きっとアルジェ様にお似合いだわ」

「わーっ、きれいな色! アルジェさんの目の色だね」

「え〜、あたしも見たい・・・」

「ほほ、緋天様、動かないで下さいませね?」

「う〜」

 

 箱に収まっていたのは、光沢のある水色のシルクドレス。右腰から裾に向かって斜めに銀糸で花の刺繍と。膝上まで入れられたスリットが、かなり大人仕様になってはいたが、性的な匂いは感じさせないような上品な作りだった。

 口々に感想を述べた、三姉妹と、それから実際に箱を覗き込めない緋天の声。

「きれい・・・」

「気に入ったみたいね。こっちにしちゃう?」

 

 指先に触れる生地。背中の方にも刺繍があるのだろうか、と夢見心地でドレスを反転させる。

 そこで、手が止まった。

 

「・・・いいえ。とても素敵なのですが、これは私には着れません」

「え!? なんで!? こっちのがセクシーだよ?」

 ベッドの上に座ったコーディアが驚愕の表情を浮かべてそう言う。横でドレスを広げるのを手伝ってくれたヘリオドールも、同じように自分を見ていた。

「・・・・・・」

 腕から力が抜けて、ドレスを箱の中に戻した。

 アクセサリーが入っていると思われる、ベルベットの箱が手の甲に触れる。

「もしかして・・・ベリルからの贈り物、って分かっちゃった?」

 小さな沈黙を破って、ヴィオランが呟いて。

 シルバーの華奢なサンダル、ドレスと共布のバッグまで。全部揃えられたそれを見て、溜息が落ちた。これをベリルは選んでくれたのだ、自分の為に。

ヴィオランが言い出さなくても、それは何となく分かっていた。第一、パーティーの為に自分に贈り物をする人間など、オーキッド以外には思い当たるのは彼しかいない。

 

「違うんです。このデザインは、私には着る事のできないものだからです」

 

 せっかく楽しい空気だった部屋を、自分のせいで台無しにするのだけは避けたかった。

 何とか彼女達を嫌な気分にさせずに、うまく説明したかった。ただ、事実を口にするのだけはどうしてもできなくて、曖昧な言葉で濁す。

 

「え・・・? だって、アルジェさん、スリムだし、絶対着れるよ?」

「コーディアちゃん、違うわ、そういう意味じゃないわ。ごめんなさい、嫌な事だったら、無理に仰らないで下さいな。何となく、分かるの」

 

 俯いた自分に、ヘリオドールの柔らかい声がかかる。

 オーキッドの贈ってくれたドレスには、何の問題もない。彼は知っているからこそ、ちゃんとデザインを考えて、自分が着られるものを贈ってくれたのだ。

「ねぇ、でもさ、こっちは使えるわよ。ほら、叔父様はドレスしかプレゼントしてないじゃない? もしかして、あの子が一式揃えるの見越してたのかしら」

 場をとりなす様な明るい声のヴィオランに促され、ベルベットの箱を開けた。

 銀で縁取りのされたピアス。ドレスの刺繍と同じ花を(かたど)ったネックレス、アンクレット。全てが同じ水色の石から出来ていて、どれも見事な品だった。こんな細工は、養家で上流階級の娘であった時にも見た事がない。それ程、素晴らしく繊細で。

「・・・完璧でしょ。やる時はやるのよ、ベリルは」

「わぁぁ、すごい、ベリル兄様。本当にアルジェさんの為の一式だよね!」

「さすがですわね」

「見たいよぅ・・・」

「緋天様、首を動かしてはなりません」

「う〜・・・」

 

「ところで・・・ベリル兄様、納得されるかしら?」

「無理」

「ダダ捏ねるでしょうね。うるさいわよ、きっと」

 

 再び沈黙が訪れる。

 ヴィオランが言ったように、ベリルは自分のものを、と勧めるに違いない。オーキッドのドレスを身に纏ったのを見ても、素直に頷かないだろう。うぬぼれる訳ではないが、ここまで完璧に揃えたのが彼だから、一分の隙もなく着こなすのを望んでいる気がする。

 

「・・・サー・クロムには、私からお話します。準備ができたら、お見せしますから」

 

 そうね、と一言ヴィオランが答えたのを合図に、それぞれが自分のドレスに着替え始めた。

 それを見て、自分もオーキッドのドレスを手に取る。

 詳しい説明を求めることをしない、三姉妹に感謝して。

 嫌な顔を見せるベリルを思い浮かべ、来るべき時間に備えた。

 

 

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