サンスパングルの白銀姫 

 

「えっ!? なんでここにいるんですか!?」

 オーキッドの妻、アザレに勧められるまま、遅めの昼食後、ケーキをのんびりと食べていたら。

「っていうか、シン君も!! いつこっちに来たの!?」

 目を白黒させた緋天が、リビングの入り口で自分とシンを交互に見て声を上げていた。その後ろには、蒼羽。それから彼女と挨拶を済ませたと思われるアザレが、にこにこと笑っている。

「今朝。誰かさんが朝っぱらから迷子になったって話題で持ちきりだぞ」

「っっ、なんで!?」

「緋天さん、我が家とサンスパングルは密接なのよ。明日のパーティーがあるから、普段よりも行き来する使用人が多いの」

 真っ赤になった緋天を蒼羽が抱えてソファに座る。

 我が物顔で、実際彼のものなのだが、そんな風にされても何も言わずにいる緋天は、隣の蒼羽を見上げて、そしてまた自分を見る。

「・・・アルジェさん・・・あの、ベリルさんが、お迎えに行くんだって言って、さっき・・・」

 彼の迎えを待つべきである自分が、この屋敷にいること。

ベリルと自分の双方を気遣ったのか、言いにくそうにそう口にする緋天の眉は下がって。何だか項垂(うなだ)れているようにも見える。それに罪悪感を覚えたのと同時に、子犬のようで可愛らしいと思ってしまう自分がいた。

「いいんだよ、いつも勝手にアルジェの事振り回してんだから。たまには、自分の思い通りにならないって事知った方があいつの為だって」

 横から飛んできたのは、シンのそんな声。

 彼の言葉にその通りだ、と同意を唱えたかったが、さすがにこの家で馬鹿な事はできなかった。

「・・・アルジェさん、いいんですか?」

「いいのよ」

 すっかりトーンダウンしてしまった緋天に、にこりと笑って答えてはみたが。

 それに自分自身で違和感を覚えたのは、気付かないことにした。

 

 

「うそつき。薄情者・・・」

 目の前でそんな事を呟きながら。

 金色の髪を揺らしたベリルが、緋天と全く同じ表情でしょんぼりと下を向いた。それきり目を合わせようとはしない。

「・・・」

 いつもと違う彼に、何も言い返せず。加えて、上司の意向に背いたのは確かだから分が悪い。

「あの、・・・」

「約束したじゃないか。何で逃げるの?」

 下を向いたまま出されたのは、ごく小さな掠れ声。ああ、間違った事をしてしまった、とそれが確実に自分を追い詰めた。

「明日の・・・明日のパーティーには出席します。今日からお邪魔する必要はないのでは?」

 それでも素直に謝る気になれない。彼の命令は理不尽だと、不要な時間の拘束はおかしい、と。そう感じたから。表向きのそれを、言葉に出した。

けれど。

ベリルの内側に何があるのか判らない、それに近付くのはひどく気がひける、というのが本音。

 

 「うちに泊まって。家族に紹介したい。それが理由じゃダメ?」

 低めの声が、少し近付いていた。耳の傍に。

 緋天や蒼羽、シンのいるリビングにいる事を、主張すれば良かった。オーキッドに呼ばれて、ひとり部屋を出たら、ベリルと引き合わされたのだ。話し合えという事なのだろう。逃げられる状況ではないが、個室でないことが救いだった。玄関ホールの片隅、先程から何人かの使用人が背後を通り過ぎている。

「・・・明日の夜でも差し支えは、」

「あるんだよ。今日の内に紹介して、明日は我が家で用意をしてあげたいから」

 

 いつもと違う、なんて。

 あっけなく騙された自分を激しく呪った。人目など全く気にする様子もなく、彼の指が頬に触れていた。ぎりぎりまで近付いたベリルの、その顔には。先程まで浮かんでいた憐憫を誘うようなものは皆無、代わりにあるのは、満面の笑み。

 

「君は今年のサンスパングルの姫。あれは誰だと、さぞ注目が集まるだろうね」

 

頬に熱が集まるのを感じる。笑みの形に成された唇、それが動くのを注視する事しかできなかった。目など合わせたら、きっとたちまち飲込まれてしまう。そう思ってしまう程、ベリルの柔らかく楽しげな口調が、体の中から何かを奪っていった。

「・・・そ、んなつもりは・・・」

 彼の家でもてなしを、家族に準じる扱いを受けるつもりは毛頭ない。

 だからサンスパングルでの支度も、施しも。自分にとっては必要なかった。全てを自らの手で用意しようとしていたのだ。ベリルの地位を部下である自分が汚さない程度には。

「断れる立場でないのは分かってるよね。たいがい卑怯だと思うけど、言わせてもらう。上司命令です、我が家の客になって?」

 命令だと言っておきながら、語尾を上げることの方が卑怯だと。

 こちらを窺うベリルに吐き捨ててみたかった。ただ、もうそんな余力がなかった。彼に向き合いながら、反論する気力が。体の中の、ぴしりと立っているはずの、何か。そういう、自分である為の源であるそれを、ベリルの声音や笑みや指先の温もりが、簡単に手折っていく気がしたのだ。

 頷くと、頭の上で満足そうな吐息が聞こえる。

 それを聞いて、ほっとしているのは自分だ。

「サー・クロム・・・」

「二人きりだよ、名前で呼んで」

 どんどんと流されていくような。

 濁流にのまれていく自分を、どこかで傍観しているようだった。上から響く、ゆったりとした甘い声が、とてつもなく心地いいと。

「サー、」

「違うでしょ。言ってごらん、ベリルって」

 そっと唇の上に乗せられる指。

 殊更ゆるりと発音された、それ。彼の名前を、声に出そうと誘われる。

「・・・、・・・り、」

 

 引かなければいけない。

 これ以上、踏み込んではいけない。

 きっと、後悔する。

 

「緋天、オレが特訓してやるよ、迷子にならない歩き方!」

「うん、今度ね。今日はコーディアちゃんと約束あるの」

 惹きこまれる、と思った瞬間、耳に入った2つの声。シンと緋天の笑いを含んだそれに、すぐ傍にあった気配が消えた。思っていたよりも、簡単に。

「あ、緋天ちゃん、迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね。意外と人見知りだし、寂しがりなんだよ、ディアは」

 少しも、先ほどの余韻、掠れたような声は出さず。明るい調子で彼の言葉が飛び出していく。何となく、背筋や肩口に寒さを覚えた。暖房の効いているはずの場所で。

「はい、仲良くなれるように頑張りますっ」

 熱の入った緋天の返事に、くすりと笑う蒼羽がいた。同じ笑みを浮かべたベリルは、もう、こちらを見ていない。

「アルジェ? 顔色悪くない?」

 一歩、後ろに足が動いて。同時にシンが声を上げた。

 それを合図にしたかのように、全員が自分を見る。心配そうに小首を傾げる緋天より、嬉しそうなベリルの顔の方が近かった。途端に腕を取られ、少し強い力で引っ張られる。彼の方へと。

「うん。帰ろう。荷物どこ? 陽のある内に移動しようね。もっと寒くなるし」

 そう言いながら、既に動き始める足。それに合わせて必然的にこちらの両足も進んでいく。

「じゃあね、私達は先に戻ってるから」

 

 疑問をぶつけようと思えば、できる。

 つかまれた腕を離してくれと言う事も、できる。

 

 できるはずなのに、ただベリルに強引に連れていかれるのを受け入れた。

 何となく、そうすれば彼の機嫌が良くなるのだろう、と。

そう、思ったから。

 

 

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