サンスパングルの白銀姫 2
「おじ様。そんな風に笑わないで下さいな」
目の前で、オーキッドがにやりと口の端を動かして笑う。先ほどからずっと、センターで見かけるいつもの彼と違う笑みを浮かべているから。
「いやぁ、ついね。ベリルがそんな事をしていたとは・・・その内蒼羽みたいになるかもな」
「おじ様!!」
あごを撫でながら、彼はまだ抑えられない笑みを隠しているようだった。
上司命令という強制召致。24日はサンスパングル家へ出向くように言い渡されたが、最後の悪あがきとして、彼の迎えが来る前にオーキッドの家を訪ねてみたのだけれど。
「・・・それに、そうやっておじ様と呼んでくれるのが嬉しいね。せっかくこっちに来たのに寂しかったんだよ。所長なんて呼ばれて」
右手を離したその口元は、優しく微笑んでいて。
ずっと。
ずっと見守っていてくれた彼に。
気付かずに、その温もりを手放していたのは自分の方。
「・・・ごめん、なさい・・・」
涙が出そうだ、と。俯いて、目を閉じる。
今は独りではない、とそう感じて。それを教えてくれたベリルは、何故、自分を恋人のように扱うのだろう。オーキッドに、ベリルが毎夜夕食を届けてくれている事を口にしたのは、それを彼がどう思うか聞きたかったからだ。
「・・・アルジェ、今も家に戻る気はないんだね?」
幾度も彼と繰り返してきた問答。今日は、質問、というより確認の意味合いを含んで彼がそれを口に出す。
「はい、それはもう・・・もういいんです」
戻る気はない、と答える代わりに、そんな言葉が飛び出してきた。今まで一度も、オーキッドに真実を伝えたことはなかった。なかったけれど、今の彼の口ぶりは、既に何かを察しているような気がした。
「そうか。・・・ベリルと一緒になると言うなら、ヴァーベインの方と一度話さなければいけない」
「っおじ様! それはありません!! 絶対に」
ふ、と溜息を吐いた彼が唐突にそんな事を言い出す。ありえない事を。
「絶対にそんな事・・・」
「無いと言い切れるのかな? ベリルがそうやって君に構っているのに?」
「それは・・・それは違います。私が寂しいと言ったから・・・」
彼が家に来るたびに、こんな事はもうやめなければ、と思う気持ちと。
今日も来てくれた、まだ見捨てられてなかった、と安心する気持ちが。
一緒になって自分の中に存在しているのは、確かなのに。
「とにかく。君がその気になっていないのは残念だが、期待はさせてもらうよ」
何も返せず、その微笑を受け止める。
ベリルは今頃、空になった部屋の前で佇んでいるのだろうか。
それを想うと、少し。どこか心の奥で、ちくりと痛みを感じた気がした。
「・・・やられた」
雪かきのされていない、玄関前。
それを遠目に認めた時から、嫌な予感はしていたのだ。ドアベルを慣らしても、物音ひとつ聞こえないし、家の中に人のいる気配はしない。
「どこに逃げたんだか・・・」
ひとり呟いて、真っ白な息を吐き出す。一方的な約束、今日の午後二時に迎えに行くから、というそれに、彼女はきちんと答えてくれるものだと思っていたのだ。緋天への責任感と、上司である自分へ取るべき一般的な対応から。
「あ、ベリルさんじゃん。何してんすか? 待ちぼうけ?」
にやりと嫌な笑みを浮かべて、こんなところを一番見られたくない相手が片手を上げた。
「明日でしょ、恒例のパーティー。今日連れ出す意味あんの?」
「っ、フェン、本当に君はなんでそうやって色んな情報を・・・」
「あ、これ蒼羽から。ちなみにベリルさんがアルジェさん狙ってんの、バレバレっすよ、この界隈で」
暖かそうなコートに身を包んだ彼は、手袋をした手で親指を立て、アルジェの家の扉を指す。
パーティーの開催日や、更に自分の個人的な感情など、彼が知ろうとしなければ知りえないはずで。隠しもせず楽しんでいる笑みを浮かべるフェンネルに、悔し紛れにそれを指摘した。
「蒼羽が? ああ・・・君たち、変なところで仲いいんだから・・・」
「だから、ベリルさんが暗躍っつーか、そういう事してんのはバレバレなんだって。蒼羽は何も言わねーけど、緋天ちゃんは目ぇ輝かせて聞いてきたよ、アルジェさん、その気あるのかなぁって」
妙な声色を作り出して、緋天の真似を始めるフェンネルが、何となく腹立たしかった。何もかも把握した様子で、自分のことを嘲笑っているように見えるから。
「オレ的には、逃げたアルジェさんは、その気ゼロと見たね。ベリルさんが追いかけすぎなんじゃん?」
「そんなことないって。アルジェは私の事好きだよ」
彼は笑いながら、足元の雪をざくざくと音を立てて集め、それを手の中で玉にしていく。
アルジェは本当に逃げたのだろうか。
こちらに不慣れな、しかも上流階級の面倒なマナーやしきたりには更に不慣れな。そんな緋天をあっさり見捨てていけるほど、アルジェは冷たい人間だったろうか。それは違う、と確信して踵を返す。
きっと、本来の目的であるパーティーが行われる明日には戻っているだろう。今日は反抗の気持ちをこうやって面に出したかっただけだと思う。自分の強引な進行に対する、彼女なりのささやかな反抗。
ばす、と。
右肩に何かが当たって、思わず振り返る。
一拍置いて、雪玉を当てられたのだと気付く。
「・・・ダメダメじゃん。落ち込んでるベリルさんって、気配読めないんだ。弱点発見」
肩をすくめた、苦笑を浮かべるフェンネル。
見栄を張ったはいいが、確かにがっかり来ていたのは否定しようがない。
「今回は、本気なわけ?」
やれやれと首を振ってみせるそれは、この上なく憎らしい。
けれど、ここで、こんなところで嘘を吐く理由もなく。
「本気だよ。ないとは思うけど、横槍入れないでね」
一度家に戻ろう、と大通りに待たせた馬車に向かう。
狂ったように笑い出すフェンネルを相手にする気は起こらずに。
「っ、は、やべ、ツボに来た。っと、いい事教えてあげようか?」
何故、こうも笑えるのだろうか。少しも楽しくない自分には、彼の思惑も判らず、いつものように一緒になってふざけることもできなかった。
「っく、蒼羽みてぇ、その顔。あ、行っちゃうんすか。ふーん、いいんだ、知らなくて」
もったいぶったその話し方。乗ったら、碌なことはないだろう、と。
「アルジェさんの避難先」
効果的に切られた言葉の、その続き。
それがアルジェの名前だったから、足を止めるしかなくて。
「・・・今度の入札、オレも混ぜて」
「審査なしで? 冗談」
「ベリルさんの口利きで。審査は受けるよ」
ぴた、と。
こちらが足を止めれば、彼は笑みを引かせていた。滅多に見られない真面目な視線でじっと見てくる。彼が口にするのは、センターで購入・使用される品の、その入札のこと。事務用品や、雑多な消耗品ではなく。武具類の、下手をすれば命に直結する製品の入札について。
それに参加できるのは、それなりの技術を擁した職人だけ。
「オレも本気。ベリルさんも本気」
明るく人懐こい子供で、無反応な蒼羽をそれでも引っ張りまわしてくれるから、丁度いい、と。そう思って彼を蒼羽の傍に置いていたのだが、いつまでたっても子供でいる訳がないのだ。
いつの間に覚えたのか、こんなふうに魅力的な取引まで持ち出して。
それも、自分が払うものは、それほど大した代償ではない。審査は甘くないのだ、彼の技術、それからバックグランドを調べるのだから。審査機関に、チェック件数の増加を伝えるだけでいい。
「利害一致ってやつ。どうすか?」
「・・・私は君を紹介するだけ。あくまでも判断する基準は、フェンの技術」
「当然。じゃなきゃ、つまんねーって。取引成立?」
頷く。乗らない方が馬鹿だ。
にやり、と。現れた時と同じ笑みをまた浮かべて、フェンネルがゆっくりと右手を伸ばした。
「灯台下暗し、って言うじゃん」
「・・・っ、やられた」
指差されたのは。
丘の上の、我が家、ではなく。少し離れて立つ、その横の。
叔父の家。
今日二回目の、同じ呟き。
またも笑い出すフェンネルの声を背中に、今度こそ、大通りを目指す。
どうやって、今夜の内に我が家に連れ出そうか、と。
ようやく脳が動き出した。
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