サンスパングルの白銀姫 14

 

「今夜も出て欲しいんだけど・・・大丈夫?」

 蒼羽の部屋を出て、憮然とする顔を隠さないアルジェに視線を落とす。

 辺りに使用人などが見当たらないから、そんな表情ができるのだ。こんなに素直に気持ちを出してくれるのは大きな進歩だったが、彼女を納得させないままというのは頂けない。

「アールジェ?」

 腰をかがめて顔をのぞきこめば、そのまま目を背けられる。

 からかうように彼女を呼んだのが良くなかったのだろうか。

「あのね、別に緋天ちゃんを実験台に、とか思ってないよ。蒼羽がすごく気にしてるからね、少しでも可能性があるなら、それに賭けたいだけ」

「・・・分かってます」

 一応真面目に言ってはみるものの、こうして二人でいる時間が嬉しすぎて、頬が緩んでしまう。小さく返された言葉に、彼女の言い分を聞こうと先を促した。部屋に戻る為にその細い腰を引き寄せながら。

「ただ、ずっと体にあったものだから・・・正直、消していいものなのか分からなくて。・・・少し混乱してしまいました」

 目を伏せる彼女の、根底にある恐れの片鱗をのぞいた気がした。

 淡々と告げるその口調が、逆に痛ましい。

「うん、私の個人的なわがままかもしれない。・・・それがあったら君は見るたびに悲しくなるんだと思ったらね、どうしても消さないと、って思ったのは確かだ。それであの確証の無い話も思い出したんだけど」

 

 噂はやはり、ただの噂だったと。

 それを知った時に、がっかりしてしまうのが嫌だった。だから、緋天に白羽の矢を立てたのだ。彼女の傷跡ならば、科学的技術の進歩している穴の向こうの医療でも消せるだろうから。他の人間にそれを預けるよりも先に、蒼羽ならばその腕の中に緋天を入れておける方をまず先に取るだろう、と。そう見越していたのは事実。

 

「アルジェの心配事を、ひとつひとつ取り除きたい」

「・・・あ、・・・はい」

 

 ゆっくりと歩いてはいたが、目の前にはもう自分の部屋。

 扉を開けて彼女を通し、その瞳にもう一度視線を合わせたところで。

 頬を少し赤く染め。大人しく頷きながら、ふわりと笑んで。

 

「うわ、今の可愛いんだけど」

「もうっ、何でそういう事を口になさるんですかっっ」

 

 素直な感想を述べたら、声を荒げてこちらに背を向けてしまう。

「・・・今夜も出てくれる?」

 慌ててその体を捕まえてから、耳の上に唇を寄せる。先ほどと同じ事を問いかけた。

 アルジェの存在を公にするには、パーティーの場にできるだけ居る方がいい。昨夜来れなかった客に周知を図る為にも。そういった事を口に出す前に、既に彼女はそれを察していた。眉が少しひそめられていたから。

「ね。だめ?」

 腕の中で硬直する彼女をベッドに連れて行きたいのが本音だが。

 それをしたら、本当に嫌われてしまうだろう、と。そんな我慢をする自分が滑稽に思えた。

「・・・上司命令ですか?」

「ううん、違うよ。純粋なお願い」

 ああ、必死で理性を保とうとしているな、と判別できるそっけない声が耳に届いたが。

 そろそろ分かってきたつもりだ、アルジェがこういうお願いと称する攻めに弱いのも。

「私でいいのなら」

「アルジェがいいの。っていうか、それ以外の選択肢なら初めから出ない」

 ふ、と肩の力を抜いた彼女の。

 その心情の変化に戸惑ってしまう。もう、弁えてしまっている。サンスパングルの人間の相手になることが、どういう行動を求められるか、と。

「できるだけ面倒なことはさせないから」

「・・・はい」

「あともうひとつお願い。今夜もここに泊まってほしい」

「っっ、考えておきます」

 居心地が悪いのは承知している。

 分かっていて、それでも彼女をこの家に縛り付ける。そうするしかなかった、今の自分には。

 

 それでも、耳を赤く染めたアルジェにキスをしたいという衝動は抑えられず。

 

「っん!」

 

 堕ちていく。

 そう感じざるをえないほどに、甘美なその唇。

「・・・これ、味見ね」

「っ、に、荷物をまとめて来ますっ!!」

 もう少し深くしよう、と一旦唇を離した瞬間。ぐ、と彼女の腕が力を入れて自分の胸を押す。そのままするりと抜け出されて。たった今入ってきたばかりの扉を開けて、出て行ってしまった。

 追いかけて無理に連れ戻せば、どうなるかぐらいは分かったから。

 彼女を手伝うメイドを呼ぶだけにした。

 

 

 

 

「アルジェ様?」

「あっ、はい」

 ふいにかけられた声に、じっと目線を落としていた水色のドレスから顔を上げる。

「ベリル様よりお手伝いするように仰せつかっております」

 部屋の入り口で頭を下げる彼女が、今朝自分の服を持ってきてくれたメイドとは違っていて。昨日、ヴィオランの下で働いていた、アイリスと呼ばれていたメイドだった。

 移動させるほどの荷物など、ほとんど無いのだけれど。

 わずかな着替えと、化粧品を入れていた小振りの鞄を、クローゼットに仕舞ったままだった。それから、昨夜披露の機会を失った、ベリルに贈られたドレスも。

 

 せっかく貰ったのに。

 短い髪が背中を覆い隠すまでの長さになるまでは、どれくらいかかるだろうか。その年月を思うと、知らずにため息が落ちていた。今宵もオーキッドの用意してくれたドレスを身に着けるか、自分で持ってきたクラシックな型の漆黒のドレスを選ぶか。そのどちらかしかない。

 

「アルジェ様、そちらはどう致しましょう?」

 クローゼットの中の、ため息の原因のそれを。

 少しも動かない自分を不振に思ったのか、アイリスが指し示す。

「箱にしまって・・・あ!」

 ぼんやりしている間に、ベリルの部屋に移されていない着替えや小物を、彼女が鞄につめてくれた事に気付く。その働き続ける手がマフラーをきれいにたたむのを見て、ある事を思いついた。

「あの、お願いがあるの」

「はい、何なりと仰って下さいませ」

 にっこりと微笑むアイリスに、こちらも自然と笑みがこぼれて。

 この家の好意に甘えることにした。

 

 

 

 

 上着のボタンを留めていると、寝室の扉が開く音がした。

 そちらに背を向けていたので、振り向くという動作をするのが随分ともどかしく感じる。

「用意できました」

 控えめなその声よりもまず。

「っ、なんで・・・」

 昨日の失態の元である、水色のドレス。叔父のものでなく、自分の贈った、背中が見えてしまうそれを。

着るのは嫌だろうに、アルジェの口元に浮かぶ笑みは何故。

「どうですか? こうすれば、見えないと思うのですが」

 くる、と体を回して。

 目に入ったのは、ひらりと揺れる銀のリボン。

 リボンというよりも、幅広の。ショールに近い布を首にまいて、項の上で結んでいる。

 

 彼女の髪の延長線のような布で、完全に隠れた背中の傷跡。

「サー・ク、・・・ベリル?」

 華奢な腰を引き寄せて、それが限界だった。

 何も言わない自分の名前をわざわざ言いなおしたそれも。

どこからか、言い知れない愛しさを呼び起こす。

「きれいだ」

「・・・昨日も聞きました」

 唇を耳に寄せると、ぴくりと反応しながら取り繕った声。

 下を向いたままの頬に手をやって、こちらへ向けると、そこには小さな笑みがまた浮かんでいた。

「見えそうになったら、隠してくださいね」

「うん。ずっとはりついてる」

 昨晩のように、ダンスなどで体を動かさない限り、きっと大丈夫。そう思いはしたが、これを口実に、蒼羽が緋天の傍にいるように、ぴたりとくっついていてやろう、と決めた。

 

これから先も、ずっと。

 

「行こうか、お姫様」

 

 体を離して腕を差し出す。

「はい。・・・と、その前に、ボタン留めて下さい」

 

くす、と笑いながら、先ほどかけ残していたボタンに指を伸ばされる。

それは取り繕った笑みではなく。もう完全に自分を信用しきった顔。細い指で腹部を触られるような感覚。

「いいね、これ。脱がせてくれる方がもっといいけど」

「聞こえません。はい、できました」

 アルジェがパートナーの位置に戻る前に、素早く唇を落とす。

 それから、もう一度、右腕を彼女の為に上げて。

 

「どうぞ」

「よろしくお願いします」

 

 笑みの形のまま、言われたそれは。

 自分が思っていたように、これから先も、と言っているようにも聞こえて嬉しかった。

 

 

END.

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