サンスパングルの白銀姫 13

 

「っ・・・ベリル様!」

 唇を引き結んで下を向いていた女性が、ぱっと顔を輝かせてこちらを見た。

 正確には、自分の左側に立つベリルを。

 

「うん、ご苦労様」

 入った部屋は、使用人の休憩場所だろうか。日差しが入る明るい空間に、すわり心地の良さそうな椅子が並んでいる。気持ちよく過ごせるようにとの配慮が行き届いているのが分かった。この家の主人が、とても寛容な人物だとも。

 ベリルの言葉は、メイドの制服を着た若い女性二人と、彼女達を監視するように傍に立っている、家令の息子だと紹介されたメースという男と。どちらに向けられているか分からなかった。そのにこやかな笑みと柔らかい声音に安心したのだろう、三人とも、ほっとした顔を見せる。

「お休みのところ、お呼び立て致しまして申し訳ありません」

「いいえ」

 さっと頭を下げたメースに首を振る。ベリルの右手が自分の腰を支えている事で、体調が悪いとでも取られてしまったのだ。困ったように目を伏せる彼に、本当の理由を言える訳がなく、焦って背筋を伸ばした。

「ベリル様、私達は、」

「ストップ。まだ話していいとは言ってない」

 先程ベリルの名前を呼んだ彼女が、口を開いて弁解を始めようとした。

 それを、意外にもあっさりと止めて、彼はメースに顔を向ける。

 

「・・・蒼羽の部屋に入って何をしてたって?」

「緋天様のお召し物などを手にとっていたと」

 身の回りの世話をするならば、それは普通の事なのだけれど、メースの口調はそうではないと言っているようで。

「そもそも黒樹様のお部屋付きではありません。それに、お許し頂くまでは立ち入らないようにと、仰せつかっておりました」

 必死でその感情を押し込めて話している。

 それが分かるくらいに、彼の眉はひそめられていた。

「緋天ちゃんはそれを許してたわけか・・・」

「っいえ! 緋天様は隣室に移動されていたのです。窓を開けた部屋に!そう仕向けたのは彼女達です!」

 もう我慢できない、とでも言うように語気を荒げた彼は、身を寄せ合うように座る二人を指し示した。

「・・・窓を開けたというのは?」

 何故、この季節に。

 緋天がいるのにも関わらず窓を開けるというのは、とても普通の考えだとは思えない。ここに来る前に聞いた、コロハの話も合わせて推測すると、緋天に掃除だと思わせ、そうした行動に移ったのだ。

部屋の掃除などは、主人のいない間に済ませるのが常識。

窓まで開けて、冬の冷たい空気を入れた部屋に緋天を追いやると言うのならば、それは。

 

「緋天ちゃんに風邪でもひいてほしかった?」

 自分の呟きに答えるように、ベリルがそう問いかけた。

 顔には笑みが浮かんではいるが、それはどこか空虚で。

「っ、いえ」

 首を振る二人。

 その仕草すら、どこか自分の怒りを煽る。

「・・・そういうの、困るんだよね。蒼羽が落ち着かなくなるんだから、できるだけ平和にしていたいんだけど・・・それを身内に崩されるとは」

 一通りの推測を終えたら。

 後はベリルの冷えた声だけが響いた。結局、コロハの言った通りなのだ。例えば、彼女達が蒼羽や緋天の身を狙う人間だったとしたなら、もっと単純な問題で。ただ処理すればいいだけなのに。

 

「妬みとかさ・・・、君達は、・・・ああ、そうか。行儀見習いの娘?」

「はい」

 何かを言いかけたベリルの最後の問いは、メースに向けられている。それに彼が頷いた瞬間、悔しいがベリルの言葉に納得してしまった。

「我が家も、もう昔の慣習なんか引き継ぐのをやめないとね。やっぱり使用人は信頼できる人だけ雇うべきだよ」

 

 行儀見習い。

 上流社会に根付いた風習は、確かにベリルの言うように、今の時代には合わないのかもしれない。格下の貴族が、自分の家よりも格式高い貴族の家に居候し、使用人の真似事をする。それをする理由は、彼らが使用人を使って過ごすだけの人生が約束されていないからだ。

 主に、長子ではない子供達が、そうやって犠牲になるように他家に赴くことで身につける知識は、彼らがそれを使う時が来るから。使用人の世界のことなど知らなくてもいい、という暮らしが第二子、第三子にも用意されているほど、彼らの家に余裕があるわけではない。

 

 生まれた時から、多少なりともちやほやされて育って。

 突然使用人と同じ扱いを受けるそれは、屈辱なのだろう。頭ではそうするしかないと分かってはいても。

 サンスパングル家は、それを受け入れる側で。

 彼女達は、身を投げ出す側で。

 

 きっと、何らかの措置が取られてしまう。

 彼女達の生家に対して、サンスパングルからの圧力のかかる何か。それが二人に分からない訳ではないと思う。それでも、緋天を蔑ろにしたのは。

 

「・・・目の前で、普通の女の子に見える緋天さんが大事にされてるのが、許せなかったのね」

 

 自分もその対象に含まれていたはずだ。

 ベリルの相手としてみなされているのだから。ただ、ヴァーベインの娘だという肩書きもついていたから、彼女達の行為から逃れられた。緋天は逆の意味で目立ってしまったのだろう。あまりにも、この社交界に物慣れない感じが。

 

「面倒だけど、家に連絡して帰そう。・・・正直、二人がこの家にいるのが許せない」

 静かなベリルのその苛立ちは、きっと家を想うが故。

 コロハやメースと同じような気持ちから来ているのだ。制裁は誰の手から下されるのだろう。今のベリルからは、負の感情しか伝わってこない。

「・・・待って下さい」

 もし緋天が対象になっていなかったのなら、笑い話で済んでいたのかもしれない。

 冷えた目線を受けた二人は、すっかり怯えきっていた。普段のベリルは穏やかだから、庇ってくれるとそう思っていたのだ。だから、一番初めに彼に縋るように呼びかけた。

 ベリルを正面からとらえようと、その腕から身を離す。

 

「彼女達の家をどうするおつもりですか?」

 

「どうするって・・・君の想像通りだけど」

 右の眉を上げて、何を言い出すのか、とベリルは溜息を吐く。

「緋天さんは、・・・自分のせいで彼女達が被害に遭ったと思ってしまいます」

「うん、分かってるよ。緋天ちゃんに分からないようにするつもり」

「それでは駄目なんです・・・!」

 もどかしかった。

 もどかしくて、どうにかなりそうだった。

 

 サンスパングル家にとって新参者の自分が、こんな事を言い出すのは間違っている。

 ただ、緋天を仕事にしているという立場から、ベリルの部下であるということを差し置いて意見したかった。

「どこからかそれが漏れた時、一番傷つくのは緋天さんです」

「だから、そうならないようにするよ」

 困り顔の彼が。

 子供に言い聞かせるように、そう言うけれど。

 彼女の存在が、彼女自身を汚してしまう。それは嫌だ。

「例え一生、緋天さんには分からなくても。私は反対です」

「・・・私がアルジェに逆らえないの分かっててやってる?」

 ふ、と。

 その目が和んで、離れた自分にもう一度、彼の手が回る。

「いいえ?」

 

「蒼羽には一応確認取るけどね」

 付け加えるようなその呟きに、思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

 無言で腕を組み、ついでに足も組み。

 不機嫌極まりない、という顔でソファに座る蒼羽を見たら。

 この男は緋天がいなければこうなのだ、と改めて思った。

「・・・どうする?」

 その横で恐縮しきって立つサントリナを目にして、彼女も災難だったのだと気付く。

「ちなみに、私達が心配しているような理由ではなかったよ」

 ほんの少し、眉をひそめただけで。

 蒼羽は何かを言うわけでもなく、ただじっと黙っていた。

「緋天ちゃんは?」

「・・・寝てる」

 彼が必ず反応する言葉、それを口にすれば、案の定蒼羽の答えが返ってきた。

「泣いてなかった?」

「っ、緋天は掃除だと思わされたんだ、まだ何も分かってない」

 苦々しげに吐き出したその言葉に、サントリナが身を竦める。蒼羽が一番腹を立てているのは、自分や彼女とは違う理由だ。緋天が軽んじられた事と、それを緋天自身が気付かずにいる事。彼女が怒らないから、蒼羽も怒りのぶつけどころがないまま、それを持て余しているのだろう。

 

「で、どうしたい?」

 

 二度目の、同じ問い。

 右側に座るアルジェを、部屋に連れて帰りたい、などと。蒼羽はそんな自分の気持ちなど、今は微塵も気にしていないのだろう。頭の中は緋天と、緋天にまつわることだけで占められているのだ。

「・・・リラはどうするつもりだ」

 意外だった。

 蒼羽から返ってきた言葉が、母の意向を伺うものだったから。

「あー、うん、私に任せるってことかな。というか、緋天ちゃんがどうしたいのか気になってるんだと思う」

「緋天が何か言うわけがない」

 すかさず発せられたのは、きっぱりとした断定。

 確かに、彼女が蒼羽に報復を願うことなど到底ありえない。アルジェの言うように、影で何かをしない方が今はいいのかもしれない。

「・・・じゃあ、緋天ちゃんがどんな感じか見てから判断する。それでいい?」

「はい」

 最後の一言は、アルジェへの確認。

 今日も自分の部屋に泊まらせて、明日の朝こそは自堕落な時間を過ごすのだ、と。そんな事をひそかに思いながら。にこりと微笑んだそれに、満足を覚えていると。

 ようやく自分達の距離が縮まったことに気付いたのか、蒼羽の口元が、少しだけ緩んだのが見えた。

 

 

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