サンスパングルの白銀姫 11
隠し切れない怒りの感情が、アルジェの目に宿っていく。
以前にも思ったことだが、激しい憤りを身にまとっている彼女は、とても美しい。生気を放っているようにも見えて。
「・・・本部にとっては、という意味でよろしいでしょうか」
同じ言葉を口に出すものか、とでも言いたそうだ。
緋天が、蒼羽の足枷である、という客観的な事実。
声を荒げないように、きっと精一杯自分を押さえ込んでいるのだろう。ひどく静かな声音で確認を求められる。並の男ならば、きっと彼女の冷たい視線に逃げ出してしまう。
「うん。私達は、そう思ってはいない。そんな風には思えない」
主語を強調してそう述べると。ふ、とアルジェの全身から力が抜けていった。
「だからね、態勢を整えなければならない。蒼羽が望む間は、ここにいられる環境を用意してあげたいんだ」
性急な説明だが、アルジェは黙って耳を傾けていた。
既に仕事をしている時の表情になっている。入っていく情報を仕分けし、噛み砕き、自分なりの考えを導き出すための。
「時間がない。こちらの言い分を押し通すためには、それなりの体裁が必要だった」
「それは、・・・先程、私に白銀の号を譲与頂くという事と関係が?」
つ、と視線を上げて自分を見たアルジェの、その鋭さにはっとなった。
示唆する間もなく答えを導き出され、いささか残念に思う。また個人的感情を無視されてしまったのと同義だから。政情に操られているのだと、彼女は思っているのだろう。
「蒼羽はトリスティン家の跡継ぎではありません。けれど、ご嫡男より先に、パートナーを公式にして、緋天さんに白珠の号を、と明らかにしているのは」
「正解。もう、うちに囲ってしまおう、って理由」
先へ先へと与えられた課題をこなすようだった。正解だと言ってしまってからは、彼女なりの推論を更に組み立ているのか、黙ってその細い指先を遊ばせている。
「・・・蒼羽の身元をうちが立てるなら、私もそれなりの体面を保たなければならない。私は養子ではないからね。余計にそれが付き纏う」
彼女の目から、生気が失われていく。
「サンスパングルは君を必要としている。これは、ずるい考えでしかない。だから先に謝っておくよ。ごめんね、巻き込んで」
鮮やかに輝いていた水色の瞳が伏せられて。
違う。違う、そうじゃない。
先程の彼女の代わりに、声を荒げてしまいそうだった。
まだ言うつもりのなかった、白銀の号の事を思いがけず伝えたのは、アルジェがいつまでも自分を見ないせいだ。言ってしまったものは仕方がないと、もう少し先の未来に行うはずだったことを、今やるしかない。
実行せずには、いられない。
「・・・こんな風には言いたくなかったよ。だけど、後から同じ事を付け足すように言えば、全てが嘘に聞こえると思ったんだ」
「アルジェ」
ソファから体を離し、彼女の前に膝をつく。
何か、心臓が悲鳴を上げそうなほど。激しい哀切と愛しさに胸が苦しかった。
いつの間にか、ぎゅ、と固く組み合わされていた両手。それを包んで視線を合わせれば、その肩が怯えるように震える。
「君が欲しい。家や仕事が何の関係もなかったとしても。私は君を望む」
噛みしめられていた唇の、その美しい色を見て。
これが、最後の恋だと思った。
息ができない。
射抜くような青い瞳から逃れられず、温もりを発する掌に包まれた指先を引き抜くこともできなかった。
「・・・ぃ、や」
得体の知れない恐怖が生まれ、ようやく喉の奥から声が漏れる。無意識に発した拒否の意味を表すそれは、ベリルの、そのさえざえとした目に更に彩りをそえた。
「何が嫌?」
怒っているようには見えない。けれど、彼のその存在自体が怖い。
うまく彼を説得する言葉が見つからず、ただ首を振る。首を振った事で、それを何かの合図にしていたかのように、ベリル自身を拒否しているわけではない自分に気付いてしまった。
同時にどうしようもなく、自分の立場が嫌になる。
「・・・私、は・・・もう何の権力も動いていないところで生きていたい」
こんな風に、ベリルの目の届く領域にいるというのは、どこか根底で安心感を与えるのだと知ってしまわなければ良かった。彼の前に弱さを曝け出さなければ良かった。そうすれば、今もきっと、ただの部下でいられたはずなのに。
「それは君がこの仕事に関わる上では避けられない事だよ。それくらい、分かってるよね?」
もう、逃げ出したかった。
彼の目の前から、いなくなってしまいたい。
淡々と事実を告げられて、頷くことを求められて。何故自分はこんな場所にいるのだろう、と幾許かの現実逃避に時間を割いた。
キーディスとの関係を絶った今、もう何も心配することはないはずだ。
きっと、ベリルやオーキッドが、養家に連絡を取り、彼らの家とのつながりをそれとなく伝えるのだろう。もしかしたら、もう既にそれが行われているのかもしれない。
ふいに軽く指を引っ張られる。
思わずそこを見下ろし、その次に目に入ったのは彼の笑み。
「私のものになる?」
微笑みの形をつくる、その唇が。
魅惑の言葉を放つ。
ひどい裏切りだ。これは、自分への裏切り。
いつかきっと、悲しい想いをすると分かっているのに。
また、ひどく傷付くと分かっているのに。
「本気だと言ったよね。いい加減、信じて欲しいんだけど」
拗ねたように言うそれ。
そういう仕草に、こちらが動揺することを悟っているのだろうか。
人の心をこんな風に弄ぶなんて、と思いながらも、もう抑えがきかない。
「キスしたい。早く頷いて」
信じてみよう、と。
彼に自分を預けてみよう、と。
そういう答えを口にして説明するよりも早く。
「・・・ベリル」
彼を呼んで、それが心臓を高鳴らせた。
先程よりも強く手を引かれて、ソファから落ちる体を暖かい腕に抱きしめられる。
ああ、もう。
口付けられたその場所から、全部。
全部、自分を投げ出して。
彼の中で、染まってしまう。
深くなるキスに底知れない恐怖と幸福を感じながら、体が。
頭の先から、足の爪先まで全て。
ベリルを受け入れていた。
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