サンスパングルの白銀姫 10

 

「な、にを・・・何を仰ってるんですか、っ私には」

 彼の唇が触れた、左の指先が熱い。

 にこりと笑って自分を見上げる、その視線。いつもこちらが見上げているのに、こんな風に下からじっと見られるのは落ち着かない。本当は、自分を見つめる角度がどこであっても、落ち着かないのは一緒だけれど。

「冗談ではないからね。行こう」

 さっと立ち上がったベリルは、あっという間に腰を引き寄せ、周囲の拍手や微笑みの中を歩き出した。何故か連行されているような気分で、彼に従う。何となく、逆らえない。

「サー・クロムっ」

 どこへ行こうと言うのだろうか。会場の出入り口へと向かっている気がして、思わず彼を仰いだ。ちらりと自分を見下ろしはしたが、それだけで。

 若干早足のベリルの歩調に引きずられていくよう。

 

「緑樹様」

「っ、・・・!」

「まだ何か? 邪魔をしないで下さいと言ったはずですが」

 

 行く手を阻むように立つ、血のつながらない兄。

 立ち向かって打ちのめしたはずの彼が、まだこんな場所にいた。今夜の彼にとっては、一番居心地の悪い場所に。

 辺りに散らばる他の客の前だからか。

 その眉が大分顰められはしたものの、ベリルの口調は穏やかなものになっていた。先程、キーディスに対峙していた事を忘れたかのように。

「ルーに言い忘れていたことが」

「シトロン殿」

「申し訳ありません。どうしても、と」

 斜め後ろで監視するようにしていた、従兄を。咎める口調でベリルは呼ぶ。それに呼応して、深々と頭を下げる彼に、申し訳ない気持ちになって。

「いいんです。もう大丈夫ですから」

 ベリルがこの場でのキーディスの発言を許さなければ、きっと聞けないのだろう、と。それを悟って彼を見る。渋々、といった様子でベリルは左手を上げてキーディスを促した。

 

「・・・ルーが家に来た時、天使みたいだと、・・・あまりにきれいだから、自分のものにしようと思った」

「っはは! 今頃そんな事言っても遅いね」

 口元を歪めて笑い、キーディスの呟くようなそれを切り捨てたのはベリルだ。その意地の悪い声音を出した彼を見上げたら、そこにはサンスパングルの子息の顔はなかった。

懺悔にも聞こえる義兄の言葉に、小さくない衝撃が全身を襲ったことを、ベリルは気付いたのだろうか。

 

「っ、あの頃、・・・好きだったのは本当だ。・・・ルーが愛してくれてたのも、本当だと思う。貴方の言うように、今頃言っても遅いのは判ってる」

 媚にも聞こえない、嘘にも聞こえない、こんなに素直にキーディスの言葉に耳を傾けられたのは、何年振りか。そんな、どうでもいいような事が脳をよぎった。ただ、それに鼓動が早くなったのは事実。

「ルー、」

「だから何だよ、アルジェが今のでお前を振り返るとでも?」

「違う!」

 柔らかくて、優しい。キーディスの自分を呼ぶ声。

 それを遮って、ベリルの容赦ない言葉が覆い被さった。更にそれに応える、キーディスの否定。周囲の幾人かは、それを捉えたに違いない。小さなざわめきが、どこからか聞こえてきた。

 

こんな事で、ベリルの名前を貶めるわけにはいかないのに。

 

「っ違う、ただ、それを覚えていて欲しかっただけだ・・・ルー」

「やめろ! 本当に今更だ。お前がどれだけ償っても、時間は取り戻せない」

 

「っサー・クロム」

「お前のせいで、アルジェは家族をなくしたんだ!」

 

呼びかけに、応じない。

見上げる横顔は、相変わらず厳しいまま。吐き出した声は鋭い。

夕闇の中、いつかセンターで見た、怒りを宿した目をしていた。緋天が図書室でいなくなった、あの日と同じ。

 

「サー・クロム」

「二度はない。もう顔を見せるな。潰すって聞こえてなかった?」

「サー・クロム、もういいんです・・・サー・クロム!」

 

 彼らしくない、と言えばいいだろうか。

 威圧感を増していく、ベリルの言葉とその視線に。義兄と従兄は呆然と立ち尽くしていた。

 

 もう、いいのに。

 本当に、もういいのに。

 

「急に優しいお兄さん面?」

「サー・クロム!」

「もう権力を追い求めるのはやめたわけ?」

 こんな彼は、見たくない。

 自分のせいで、こんな風に怒っている彼は。

「・・・サー・クロム、っ」

 燃え上がる青い目。とても綺麗だと思う反面、その濃密な空気が怖かった。

 

「・・・リル

 

「ねえ、なんで突っ立ってるの。アルジェはもう私の、」

「っベリル!!」

 

 いつの間にか、ほどかれていた彼の右腕。

 そこをつかんで、ベリルを呼んだ。響いた自分の声が、意外に大きくて驚く。

「・・・今、呼んだ?」

「はい」

 目を見開いたベリルが。体ごとこちらを向いて、つかんだままの腕に視線を落とす。

「ベリルって、呼んだよね」

「はい。呼びました」

 ゆっくりと。自分の手をのせたまま、彼の腕が腰に回る。

「なんで? なんで呼んだの?」

 信じられない、とでも言うように、まじまじと自分を見下ろす彼を、こちらも負けじと見返した。

「そう呼ぶようにと言っていたのは貴方でしょう? ・・・もういいんです、義兄のことは」

 狐につままれたような、彼のその顔。

 それがおかしくて、思わず笑ってしまった。

「・・・行きませんか? どこに行こうとしていらっしゃったのか、わかりませんけれど」

「うん」

 

 息苦しいほどの重圧をあっという間に消して、にこにこしながら頷いたベリルを。

 可愛い、などと思ったのは、気のせいだという事にした。

 

 

 

 

「はい、到着〜」

「・・・あの」

 あっさりとキーディスとシトロンを放り出して。彼に連れられてきたのは、大きな部屋。

「ああ、うん。私の部屋」

 二人に会う前にされていたように、有無を言わせない、けれど満面笑みの彼に対して、もう拒む術がなかった。

自分に与えられていたのとは違う棟にあたる、プライベートな空間の東翼。その中でも更に奥まった場所にあるこの部屋には、もう誰も入ってこないのだろう。目の前の彼が望まない限り。

「・・・何もしないよ、話が終わらない間はね」

 身の安全を保障されているようで、されていない、その発言に体の芯から緊張していく。それをどうせ愉快な気分で見ているに違いない、ベリルの顔には相変わらずの笑みがあった。

「座って。本当に何もしないから」

 ソファを指し示され、言われた通りに腰を下ろす。膝を撫でるシルクの生地が懐かしい。ドレスなんて、もう自分の纏うものではないと思っていたのに。

 

「蒼羽が紋章をもらった事は?」

「え・・・はい、そういえば祝賀会など無いようでしたが」

 切り出されたのは、想像していたものとは異質の話だった。何か自分にまつわる、もっと言えば自分とベリルの関係を変えてしまうような事を言われるのかという、そんな想像を。頭の中でしていたことに途端に恥ずかしくなる。

 本部での総会の間に、蒼羽が新たに紋章を取得したとの話は、センターの誰もが知っている事だ、と。それを思うと、ベリルの質問は何かずれているという気がした。それでも、彼の求める答えを口にする。加えて、疑問に思っていたことも。

「あ、それは内輪でやったんだけどね。ほら、蒼羽が嫌がるから。緋天ちゃんにも言ってないし。何でだか分かる?あの子がセンターで耳をすませば、すぐに聞こえることなのに」

 何故。

 緋天がそれを知っても何の害もない。あえて伝えない理由がわからない。

 ベリルの二つ目の質問に、今度は本気で首をひねる。

「本部が蒼羽を認めたことは、緋天ちゃんの存在とは無関係だ。ウィストの紋章と、新しい蒼羽の紋章。仮に死んだ親の形見だとしても、二つもそれを身につける予報士なんてどこにもいない」

 

 彼の口元が、困ったような笑みを浮かべた。

 単純に喜べない何かがそこにある。

 

「蒼羽は特別だよね。史上最年少で着任して、最年少で紋章を装備した。こんなところに留まり続ける義務はどこにもない。ただの一予報士で終われない。それを示された」

 

 ようやく。

 ようやく、ベリルの言いたい事を理解した。

 蒼羽にはまだ、やる事がある。この地で番をするよりも、もっと大きな、もっと難しく危険な仕事。上の命令に従い、その都度どこかに向かうような、そんな自分の与り知らない仕事。

 確かにそうした未来を、緋天に告げることはできない。

 紋章を受諾した。今はそれだけのことでも、緋天はきっといつか、その先の答えに辿り着いてしまう。それだけの聡明さを持っているのだから。

 

「本部にとっては、自由に操れなくなった蒼羽は脅威でしかない。今は従っている、だけどそれがいつまで保てるのか見当がつかない。緋天ちゃんの存在は、本部にとっては珍しいし、興味深い。大事な研究対象だけど」

 淡々と語り続ける、ベリルの口が一旦止まる。

 息を吸って、吐き出したそれが、随分と重たく聞こえた。

 

「邪魔なだけなんだよ。緋天ちゃんは、蒼羽の足枷だ」

 

 

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