空を仰げば 3

 

 親の存在が判る物は、何一つ身につけていなかったと聞く。

 名前すら、付けられていなかった。身をくるんでいた、僅かな布と。自分が入れられていた小さな木箱。

その二つだけが捨てられていた時にあった品だけれど、未だに捨てられず、部屋の奥へとひっそり仕舞い込んである。

 本来は野菜を運ぶその木箱に、荷物のように入れられていた自分。

 それを本部の門前で発見したのは蒼羽だ。

門番のいる正門ではなく、普段は閉じられている、人気のない場所の小さな入り口。どう考えても動物のものではない鳴き声を発する生き物。それが収められているらしい木箱を抱えて、一番近くの建物にいるはずの教師や職員へと知らせずに、オーキッドを探してくれた彼に感謝している。

 もし、手近の大人に知れていたら、直ちに孤児院へと送られ、質素で平凡な教育を受けていただろうから。

 

 

 

 

 

「オーキッド」

「蒼羽?どうした?」

 会議が終わるのを見計らっていたのだろうか。

 凝った肩を回しながら廊下に出ると、蒼羽が入り口からすぐの所に、ぽつりと立っていた。彼の体には少々余る木箱を抱えて、ゆっくりと近付いてくる。

「・・・拾った」

「何を・・・?」

 そもそも彼がこんな風に、仕事中に自分の気を引こうとする事からしておかしい。こちらは一向に構わないのだが、蒼羽は自分が忙しいのだと承知しているし、それがなくても、こうやって話しかけてくる事が少ないのに。

 珍しく困ったような目をして、自分を見上げてくる彼に驚いた。

抱えた木箱の中身を言っているのだと判ったが、それが犬や猫なら蒼羽がこれだけの行動を起こすとは思えない。

「多分・・・人間」

「なっ・・・!?」

「・・・生きてる」

 その箱の大きさからして、切断された体の、どこかの部位なのか。蒼羽の言葉の、多分、というところから判断して、そんな結論に辿り着けば。それを否定するように、蒼羽が口を開く。

 会議室から出てくる他の者が、何事かと自分達を見ては通り過ぎていった。人が多いこの場所で、落ち着いて彼の言葉を確かめる事ができそうになかった。

「アンダル!」

 何故ここに蒼羽がいるのだと、部屋を出て自分達を見るなり不思議そうな顔をした甥を呼びつける。

「それを持ってやれ。私の部屋に運ぶんだ」

「何ですか、これ」

「覗くなら部屋に行ってからにしろ。騒ぎにしたくないからな」

「・・・? なんだ、軽いじゃないですか」

 蒼羽の手から木箱を受け取る彼は首をひねる。

「絶対落とすなよ。丁寧に扱え。蒼羽、私は世話ができる者を探してから行くから」

 

自分に付いてくるか、アンダルに付いていくか。どちらかを迷う蒼羽の頭に手を置いて撫でる。

 ウィスタリアと同じ色の髪は、まだ細く柔らかくて。それでもただ漠然とこの仕草を受け入れる彼の表情は崩れないままだった。先程見せた困惑の表情だけ、ほんの少しの変化だと言える。

 数年経っても、まだこれだけ。

 では、あと何年経てば、彼は屈託なく笑えるようになってくれるだろうか。

 そんな事がちらりと頭をかすめて、気分が重くなった。

 目の前の現実、捨てられた子供のことなど、然程大きな問題ではないと思う程に。

 

「アンダル。頼んだぞ」

 言い置いて彼らを背に足を動かす。

「なぁ、蒼羽。これって何?」

「・・・人間・・・」

「げっ!!」

 背中から甥と蒼羽のやり取りが聞こえて。

 蒼羽にはもう少し、せめてあと一言くらいは言葉を増やすよう教えなければ、と思った。

 

 

 

 

 

 予報士になりたい。

 成人を過ぎた人間がそんな事を言えば、たちまち笑い者にされる。子供が口にしてもそれは同じだけれど、大人になってから言っても既に遅いのだ。成長過程で身につけるべき、運動神経や、狂いの生じない体内感覚、超人的とも言われる諸々の能力全てを。体に刻み付ける絶対的な時間が足りないから。

 その地位に就く為には、特別な環境が必要であって。子供がそれを望めば簡単に身を投じられるというものでもない。実際に予報士となる人間は、既に親類縁者、自分を育てる人間が関連する仕事を担っていて、必然的にある程度の歳になれば訓練していた、という事例が大半。同じ年代の、まだ子供だといえる人間が無邪気な顔をして遊んでいる間に。

 

 自分は恵まれている。

 物心ついた時から、そうした環境に置かれていたのだから。

 当然。その辺の子供と比べ物にならない、飛びぬけた能力を持っている。同期の、歳の離れた研修生と同等であると認められ、肩を並べられる位には。

ただ、体格の差だけなのだ。

自分に足りないのは、その数年の体の成長、それだけだと。

 

 

「・・・っ」

 喉の奥からせりあがってくる吐き気を、どうにかして押さえ込もうと一旦息を止めてみた。

 荒い呼吸を繰り返していたところ、心拍数もかなり上がっているのに、そんな事をしたから途端に咳き込む。もつれた足が呆気なく力を失って、上体を支えられずに芝生に倒れ込んだ。何とか受身を取って、致命的な損傷を防ぐ。

「ばーか。チビのくせに張り切ってるからすぐバテるんだよ」

「おれらと同じだけ動けると思ってんのか?頭使えよ」

 後ろから投げられたそれらが、あっという間に消え去った。追い越して、先を走っていく彼らの背中を睨みつける。

「シン! 無茶をするなと言っただろうが。立てるか?・・・無理だな」

 離れたところから、走り続ける自分達を監視していたはずの教師が目の前で膝をついていた。溜息を吐く彼を呪ってやりたかった。それから、悠々と走り続ける体力があり、逞しい体を持つ同期の研修生も。

「ほら、乗れ」

「いい」

「・・・ったく。矜持だけは一人前だな。そこで寝てろ」

 

もっと速く。

 もっと長く走れたら。

 そう思わずにはいられなかった。子供の体など、自分には必要ない。同級の彼らのように、ほぼ完成された体になるまで待つことは無意味だ。あと何年かかるのだろう。一人でも、子供だと嘲られない外見になるのは、あと何年後だ。

 

 ごろりと寝返りを打って、トレーニング場の向こう側、外プールへと続く道に蒼羽の姿が見えた。視線を送り続けたら、彼が気付いてこちらに顔を向ける。向けたけれど、それだけだった。地面に横たわる自分を見て、すぐに顔を戻して先へ進む。歩調が緩められることはない。

 

目の奥が、小さく痛む。

 潤んでいるのだと、誰にも判らないように双眸を閉じた。

 

 

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