寒い冬は暖かい場所で 7

 

ぱちん、と。

体の中で小さくはねる、静電気のような感覚。それで、目が覚めた。

 

目を開ける前に、右手が無意識に枕の下のナイフの柄をつかんでいた。その次に、左手が緋天の背に回っていると気付く。滑っていく髪が指先に残すのは、なめらかな感触。

自分のいる場所が寝室だと把握して、寝室に侵入者を感知するのが、年末からこれで三度目だ、と。どうでもいい事を思った。

 

左腕を、緋天の温もりを発する体から離して。なるべく音を立てないよう起き上がり、中途半端に服を着る。それだけの余裕はあった。

隣室のリビング、そこへ忍び込んだ人間は、物理的な鍵を外しただけ。

何かを警戒したわけではなく、ただ何となく、いつもの習慣で自分の過ごす空間にかけた鍵。侵入者を阻むほどの威力はないが、こうして眠りについた自分を気付かせるだけの効果はあるのだ。

 

本部にいた頃の夜間訓練を思い出して、口元が緩んだ。

就寝中に予告なく、唐突に。熟練の教師に襲われる緊迫感に比べたら、随分とお粗末な侵入。複数の人間が、何かを探りうろつく気配を容易に感じられる。

 小さな寝息を立てる緋天を確認して、ドアに近付いた。

 大した収穫がなければ、この部屋に来る、とそれは分かっていた。緋天の荷物も、それから自分のものも、リビングには置いていなかったはず。

 

 くだらない、と思いながらも、緋天の眠りを妨げることも、彼女の寝顔を他人に見られることも、どちらも避けたいから。

 

「・・・何の用だ?」

 

 静かに開いたドアの隙間から、無防備に顔を出した男の首に、ナイフを突きつける。そのまま後ろに下がる男に続き、リビングに入り、寝室の扉を閉めた。動きが拙すぎる。侵入に慣れ、他人を脅すような人間なら、こんな事で捕まらない。

 絞られた灯りをそのままに、侵入者が三人だと確認。逃げようとする目の前の男の腕をつかむと、ようやく状況に気付いたのか、左の壁の飾り棚の前にいた男が、小さく舌打ちをした。

 

「離してよ」

 

 テーブルに置かれた菓子をつまんでいた女が、不機嫌な声を出して立ち上がる。緋天が気に入っていたから、部屋に運ばせたのに。それを見て、ただ眠りを妨げられた、という苛立ちを。自分達の領域を侵された、という怒りが凌駕した。

 

「あー・・・だからやめようって言ったんだよ・・・」

 あっさりと体から力を抜いた男が、ぼそりとそう言って。

「うるさい! あんたがヘマしなきゃ、いいもの盗れてたかもしれないじゃない」

 

 言い合うその声に。

 聞き覚えがあった。それも、ごく最近。

 

「うわっ、まぶしい!」

 まさか、と思い、灯りを最大にする。

 目に入った三人の背丈、顔を確認して。

「何のつもりだ」

 

 昼間に、緋天にお願いだと言われ、馬車を動かす作業を手伝った、その。

 三人組。

 

「何のつもりだと聞いている」

 

「あ!」

 一番に声を上げたのは、こちらを睨んでいた女。

「げ、マジかよ・・・」

「これは、・・・」

 続いて男達が同じように視線を顔のあたりに持ってきて、驚いた声を出す。

 一瞬の静寂が流れ、背後の寝室で、緋天が目を覚ます気配がないことに安堵した。

「・・・いやぁ、恩を仇で返すような真似してすいませんね」

 諦めたように抵抗をやめていた男が、腕をつかまれたまま頭を下げる。間抜けなその様子に、こちらも苛立ちをどこにぶつければいいのか、一瞬わからなくなり。

「ほんとだな、・・・お嬢、こうやって自分に返ってくるんだよ。大人しくしとけばいいのに」

 妙に達観した声で、棚の前の男が言う。

 

「っうるさいうるさい!! 捕まったりなんかしないんだからっ!!」

「っっ!!」

 窘められるようなそのやり取りは、昼間も聞いた。

 それに激昂したのか、声を荒げた彼女が唐突にガラスの菓子入れをこちらに向かって投げた。見た目は緋天と変わらない体格の彼女の、どこにそんな力があるのだ、と。またもどうでもいい事に思考を費やしたせいで、それをただ単に避ける、という行動に移ってしまった。

 投げられた物体がガラス製で、尚且つ、自分の背後に寝室への扉がある事を失念して。

 

「っうわ」

 男の腕をつかんだまま、それを避け。

 当たり前だが、派手な音を立ててガラスが砕け、絨毯の上に落ちる。それを見やってから、男を盾にすれば良かったと激しく後悔した。今の音は、確実に寝室に届いている。

「何で簡単によけるの!?」

「・・・黙れ」

 

 とにかく早く片付けたい。

 緋天が起きてしまう。

 

「っぎゃ!!」

 手に持ったナイフを、まず棚の前の男に投げる。木製のそれに背中を預ける程の距離であったから、彼の服の袖が、気持ちよく棚に縫いつけられた。

「うそー・・・」

 うるさい声を出していた女が、急にそのトーンを落とした。

 ようやく反抗する気力がなくなったのだろうか、と思いながら、次につかんでいた男を引き寄せ、首の後ろに手刀を叩き込み。

「っやだ、カクタス!」

 どさりと重い音を立てて崩れる男に、女が右手を伸ばす。

「・・・あんまり手荒くしないでもらえます?」

 縫いつけた右腕の袖からナイフを引き抜いた男が、意外にも正確に眉間を狙ってそれを投げ返す。手持ちのナイフがそれしかなかったために、またしても避けるしか術がなく。

 今度は然程音を立てずに、ナイフが壁に吸い込まれる。

 直後。

「うるさい」

 陶器の壺が同じように投げられ、今度は床に叩き落した。何とか壁にぶつからないようにと、それを思ったのだが、結果的に絨毯の上で割れても音は響いて。

 最悪なことに、追従する形で女がそこら中の物を投げてくる。

 

 壁にぶつかり、砕け散る音。壊れずとも、鈍く重い音を立て転がって。

 自分の手で手助けをした人間が、こんなにも簡単に、緋天を脅かす。

 

 

「・・・っそうう、さん、・・・」

「っ緋天! そこから出るな!!」

 

 扉の向こうから、既に泣き声まじりの緋天の不安そうな声が、小さく耳に届き。

 焦りと一緒に返事をしてしまう。

 

 緋天の声は届かなかったかもしれないが、自分の答える声を聞き、好機と捉えて、それを利用しようとする男が。寝室の扉へ近付こうとするから、後退せざるをえない。

 

 

 それなりの流動的な攻撃をしかけてくる男の。

「っくそ」

 それでも、自分には素人に見えるその動きを抑えて、腹部と背中に一打ずつ、最後に後頭部に。悔しそうな呻き声を出すそれを聞きながら叩き込み、意識を落とす。

「あ!」

 とにかく緋天を落ち着かせたい一心で、女の腕を捕らえ。

「・・・大人しく捕まるか?」

「ふざけんな!!」

 勝ち目がないのは明らかなのに、必死で離れようと体をひねる。騒々しいのは相変わらず。

 壁に刺さったナイフを抜いて、床に転がっているカクタスと呼ばれた男の上着、その袖を切り落とす。面倒になり、女の腕を後ろ手に縛りソファに倒して。

「っ何すんだよ!?」

中途半端に切ったままの上着を、今度は2つに切り裂いた。

意識のない男達の腕を同じように縛って、カクタスの背に膝を当てながら力を入れて、強制的に意識を戻す。

「っ、がっ!」

 咽るように咳をする男を放って、向かったのは寝室の扉。

 

「緋天」

「っ、蒼羽さん」

 扉を開けたいが、まだ懸念があったから。

「緋天、まだそこにいろ。俺が戻るまで、絶対外に出るな」

 すぐそこで、緋天の戸惑う気配を感じる。

「・・・鍵をかけていくからな。誰かが来ても、開けたら駄目だ」

「っどこ、蒼羽さん、どこ行くの?」

 震えた声が、耳に届くのに。

 今は何もできない。

「ここにいる奴らを誰かに渡してくるだけだ。すぐ戻る」

「う、ん・・・」

 緋天の消えそうな返事を聞いて、部屋を出た。

 

 

 

 

 蒼羽のものではない声、争う物音。

 それが止んだ後、蒼羽が早口で部屋を出ないようにと、そう言って。バチバチと壁を這う青い光が一瞬生まれて、彼の声が遠くなる。

「・・・」

 しん、と。

 何の音も聞こえなくなった部屋で、頭から毛布をかぶった。

 

 確実に、守られている。

 それは分かってはいたが、蒼羽本人が傍にいない状況が、指先の震えを抑えてくれない。あの何かが割れる音や、ぶつかりあう音は何だったのだ、と。いくら考えても原因が思い浮かばない。

 

 毛布は柔らかく、肌触りも良いのだけれど。

 蒼羽の体温に触れていないと、何となく寒い。体を丸めて、彼が戻ってくるのをじっと待つ。

枕元に、蒼羽の腕から外された時計が残っていた。そっと引き寄せて、冷たい金属の感触を返すその文字盤に目を移す。薄く光る針は、二時近く。何故、こんな夜中に人が入ってきたのだろう、善人の類ではないのだと容易に想像できるが、それに蒼羽が対応しているのだと思うと不安だった。

彼の言葉を思い返すと、相手は複数で、しかも蒼羽が既に捕らえている。

それなのに、あんな風に焦った声で、部屋を出ないようにと言い置いたのはどうして。

 

じゃり、と小さな音が聞こえた気がした。

割れた何かを、踏んでしまった、そんな音。

 

「・・・っ」

 息をひそめていることしか、できない。

 誰かが来ても扉を開けるな、と言われたけれど、それ以外、どうすればいいかまで聞かなかった。

「まったく・・・」

 ため息と一緒に、男性の声。蒼羽の声ではない。

 隣のリビングで歩き回る音の後。

 バリ、と青く壁が光る。明滅したのは一瞬で、けれど、そうなった理由が。知らない誰かが、この寝室のドアに手をかけたからだと。

「っ、すごいな」

「・・・や、っ」

 小さな。感心しているような呟きと一緒に、今度は本が読めそうな程の光が灯る。昨年、センターの蒼羽の部屋で、シュイという男が同じような事をした時は、痛がってはいなかったか。彼の指先が、静電気のようなこの光に触れた途端、その手を引いていたのに。

「・・・・・・ああ、・・・失礼を」

「っ、・・・」

 静かで落ち着いた声が、そっとすべるように耳に届いた。

 悪い人間ではないのだろうか。例えば何か、ただ様子を見に来ただけのような、そんな気もする。それでも、声を出して問いかける勇気はない。

 蒼羽の時計を、手の中に握り込む。そうしている間に、ふわりと青い光が浮かんでは消えて。

 いつの間に、ドアの前からいなくなってしまったのか。

それ以上、誰かのその声が聞こえる事はなかった。

 

 

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