寒い冬は暖かい場所で 5

 

「あ、馬・・・おっきい」

 ほかほかと温まった体で、宿に戻る途中。

 道を半分塞ぐ形で、二頭の焦げ茶色の馬が引く木製の荷車が見えた。粗末な、と言ってしまうのは気が咎めるのだが、それしか言葉が思いつかない。一応、風が防げるように箱型ではあったが、先日、ベースとサンスパングルの家を行き来した時に乗せられた馬車とは外見に大きな違いがあった。

 ただ、馬はきちんと手入れされているのか、毛はつややかで、じっと佇んでいる。

 馬車の持ち主らしき人影が、車輪の横でしゃがみこんでいた。近付くにつれ、ベリルくらいの年齢だろうか、もう一人の男が後ろから荷台を押しているのが見える。それから、馬の向こう側から現れた女性が、膝をつく男に木の板を渡していて。

「動かないのかな?」

 左側の蒼羽を見ると、彼の視線が道の先へと移る。

「・・・そうみたいだな」

「お手伝いした方がいいよね、すみませーん」

 自分ひとりでは何の足しにもならないかもしれないが、傍らには蒼羽がいる。それだけで、簡単に事が済む気がした。

 蒼羽の反応を待たず、どこか焦ったような雰囲気の三人に声をかける。

「緋天、」

「あの、お手伝いします」

 何かを言いかける蒼羽の声と、こちらに顔を向けた三人に手伝いを申し出る自分の声が重なった。

「あ、どうもー」

「助かります、車輪が溝にはまっちまって・・・」

 荷台の後ろにいた細身の男性が、笑顔を浮かべて頭を下げて。

 しゃがんでいた男性が立ち上がる。こちらも年齢はベリル程だったが、随分と小柄。その横の女性は、良く見れば同じ年くらいの女の子。暖かそうな毛糸の帽子を目深にかぶったその影から、観察するようにこちらを見ていた。横の蒼羽を見て、力になる男性がいると分かったのだろう、口元に笑みが浮かんだ。

「・・・ぬかるんでるな。その板は薄い。他のはないのか?」

 除雪された道の端の方、水分を吸った土の泥状になったところに、黒い鋼の右の前車輪。

 それを見た蒼羽が、小柄の男性へと声をかけて。

「緋天、冷えるから先に戻ってろ」

 つないだ左手を離して、道の先の宿を示した。

「え!? 押したりできるよ!」

 端から戦力外だとみなされているのが分かって、そんなことはない、と訴えるのだが。

「駄目だ。汚れるだろう。だいたい、怪我でもしたらどうする」

 蒼羽の声は珍しく厳しくて、左手が既に背中を押し、強制的に宿の方へと体を向けさせた。

 ふ、と小さな笑い声が耳に届く。

「お嬢」

 咎めるような男の声も聞こえて、ああ、笑われたのだな、という事に気付いた。途端、頭の後ろに掌の感触、そのまま少し強く蒼羽の首元に顔を押し付けられる。

「自力で抜け出すか、他の奴に頼め」

 冷えた蒼羽の声が頭の上で響いて、体の中心が凍りつく。

 自分のせいで、この困っている人達を見過ごしてしまうのだ。しかも、蒼羽を不機嫌にさせて。

 気にするな、とでも言うように髪を撫でてから、蒼羽の手が歩き出そうともう一度背を押す。今度は彼も一緒に。

「あ・・・だめ、・・・蒼羽さん」

 二、三歩、足が動いてから、ようやく声が出る。

「お願い、手伝って」

 見上げたそこに、眉根の寄った表情。

「・・・緋天が先に戻るならいいぞ」

 嘆息の次に吐き出されたそれは、渋々、といった声音。振り向いて、いくらか距離の空いてしまった馬車を見る。声は聞こえているのか、小柄な方の男性が、申し訳無さそうにこちらを見ていた。自分がこの場に留まらなければ、彼らは蒼羽に助けられる。

 

「先に、行ってる・・・」

 じっと見下ろす視線は強く、それに答えを返せば。

 微笑とともに小さなキスを落とされ、今度は自分の意思で宿に向かった。

 

 

 

 

「すみませんね」

 元気のない緋天の背中を見送ってから、こうなった原因の彼らに向き直ると。

 緋天と同じくらいの背丈の男が口を開く。腰の低いその態度は、丁寧なものを感じさせたが、どこか抜け目のない用心深さのようなものを兼ね備えている気がした。

「お嬢、もう少し長いやつあったろ。左側の棚の横だ。持ってきてくれ」

 黙っていたもう一人の男が、不機嫌そうな女にそう言って。

「・・・何よ」

 去っていく緋天を睨んでから、荷台の中に女が消えていく。彼女が馬鹿にしたように笑ったことが一番の理由だったと、改めて思い、やはり帰ろうかという考えがよぎる。

 大人しく待つ馬に目をやり、緋天に触らせてやれば良かった、と少し思った。

 緋天が初めて馬車に乗った時に、触りたいと言って、おそるおそる馬を撫でてはいたのだが、随分と嬉しそうだったのだ。

毛並みがよく、体格もいい。どちらかといえば騎馬に向いているような二頭だったが、大切にされている事は分かった。この馬車を見つけた時も、許されれば触りたいと、本当は言いたかったのだろう。

「はい」

「よし、お嬢はあいつら動かして」

 身軽に荷台から飛び降りた女から、小柄な方の男が板を受け取って、ようやく空気が動く。

 慣れているのか、手際よく車輪の下にそれを差し込んだのを見て、後ろに回った。同時に、笑みを浮かべた細身の男が頭を下げる。

「んじゃ、悪いけど押してもらえます? せーの」

 合図に合わせて腕に力を入れる。

 馬車が動くよりも、この板壁を割りそうだ、と余計な考えが浮かんだほどに荷台は古めかしかった。ささくれ立った木肌を見て、緋天にやらせなくて正解だったと実感する。それに、せっかく温まったのに、こんな風の冷たい空気の中にいれば湯冷めしてしまう。緋天が言い出さなければ、絶対に無視していたのに。

けれど、彼女にお願いだと言われれば、聞かないわけにもいかない。

 

そんな事を思っていると、馬達を動かす女の声と合わせ、ほんの少し、前にずれて。

「あ、まだ滑ってるな、もうちょい右押して」

 前方から聞こえるその指示に、少し右側に移動し同じように力を入れると、小さな振動の後に急に荷台が動く。どうやらうまく板に乗ったらしく、馬の力だけで前へと移動していた。

「おっ、いったなー。どうもありがとうございます」

「ほんと助かりました。あのお嬢さんにもお礼言っておいて下さい」

 ほっとした顔で礼を口にする彼らに適当に頷いて背を向けた。

 大した時間を取られなかったからこうして何も言わずにいるが、自分が一番したかったのは、緋天と一緒に部屋に戻ることだ。

「ありがとね」

 馬の横を通り過ぎる際、そんな声を受けたが。

もう頭の中は緋天がどうしているかという心配だけだった。

 

 

 

 

「お帰りなさいませ。いかがでした?」

 ホテルと言うよりも、サンスパングルの屋敷に似た建物の、入り口を開けてすぐに声がかかった。

 発信源は、壮年の男性。

 揃いのお仕着せと微妙に型の違う服を着て立っているが、間違いなくこの宿の人間だろう。にこりと笑うその様子は、幾分、親しみがこもっている気がする。

「えっと、あの、傷はあまり変わりなかったです」

「そうでしたか・・・、ウィスタリア様は?」

 自分が入ってきた扉を見やる彼は、蒼羽の姿が見えないことに疑問を覚えているらしく。

「あ、途中で馬車が動かなくなってて、お手伝いしてるので後から来ます」

「では、お戻りになられたら、診て頂きましょうか。近くのお医者様を呼んでおりますので。・・・お待ちになっている間、お茶でもいかがですか?」

 ゆったりとしたその口調に緊張もとけ、いつの間にか頷いていた。

 彼が指し示す方へと導かれ、座ったソファ。時間をおかず、別の従業員が運んできたワゴン。淹れられたお茶はサイドテーブルへお菓子と一緒に並べられて、一礼した彼らが去っていく。

 

見わたせば、同じように一人でお茶を飲んでいる男性がいるのが見えた。

一瞬目が合い、上品に微笑まれて曖昧に笑みを返す。何となく落ち着かず、一口大の焼き菓子を手に取った。

「あ、おいしい・・・」

 何も考えずに口にしたからこそ、その美味しさにはっとして。

 思わず笑みがこぼれたところで、左側に人の気配。

「失礼。あつかましいお願いですが、指輪を見せて頂けませんか?」

 見上げたそこには、先程離れた位置に座っていた彼。いつの間に移動したのか、その動きを少しも感じなかった事に驚いて、返事が出なかった。

「申し訳ありません。驚かせるつもりはなかったのです」

 す、と彼の背が縮むように小さくなる。

 ソファの横に膝をついて、変わらぬ笑みを浮かべている。

「あ、の・・・?」

 目線は上からでなく下から。

「・・・とても珍しい品とお見受けしましたので」

 彼の両目は次いで指先に落とされる。左手の、薬指。

 外の日の光を受けて、今は透明な橙色。刻まれた紋様がうっすらとその存在を主張する。

 同じように光に透ける、紅茶色のきれいな髪。女性から羨ましがられそうな、真っ白なミルク色の肌が少し紅潮したのが見える。

 ゆっくりと。

思わず、といった感じで伸びてきた彼の指が、そこに触れる寸前で止まった。

「ああ・・・すごいな・・・あなたの、」

 ふわ、と上がった視線が今度は顔の辺りで止まる。何に驚いているかはもう見当がついた。左の耳たぶ、青い石の。

「・・・ご無礼をお許し下さい、トリスティンのお嬢様だとは存じ上げず」

「え・・・?」

 聞き返した声に、もう一度彼の目が驚きに見開かれて。

「その台座はトリスティン家の特注の細工です。ごく一部の方しか手にできません」

 台座、と言うそれが、石ではなく銀色の金属の、オーキッドから与えられたものだと。石に二度驚き、続いてピアスそのものに驚き、最後にその価値を知らない自分に驚いている彼の緑色の双眸から目が離せない。

 

 

「緋天」

 後ろから聞こえた声に、肩から力が抜ける。

 失礼にあたるかもしれない、と。特に、自分をトリスティンの人間だとみなす彼は、地位の高い人かもしれないのに、という推測もできたが、我慢できずに体を捻ってしまった。

 流れるような動きで、左の彼が立ち上がり一歩下がる。それを一瞥してから、蒼羽の左手がその間を遮るように伸ばされ、頬に触れた。

「ご無礼をお許し下さい。好奇心に負けて、指輪を拝見させて頂いておりました」

 先程と同じ言葉を蒼羽に向かって発する彼は、その存在感を消してしまったかのように、静かに、そして更に丁寧な仕草で頭を下げた。

「緋天」

 本当か、と問いかけてくる蒼羽の目にようやく頷いて。

「ウィスタリア様」

 顔を上げた彼に何かを言いかけた蒼羽。

それより先にかけられたのは、お茶をすすめてくれた従業員の男性の声。

「医師を呼んでおりますので、診察をお受けになられませんか?」

「ああ、・・・どこだ?」

 そう聞き返しながら、蒼羽が腰を引っ張りあげる。急に近くなったその距離で、指先が頬を撫でた後、耳の上の髪を梳く。視界には蒼羽しか映らず、引き寄せられたまま、案内する従業員の後に続いて足が動いた。

動いた、というよりも、そうなるようにされているのだけれど。

「お邪魔致しました」

 蒼羽の体の向こう側から聞こえた声は、やはり控えめな静かな声で、はじめに話しかけられた時の彼とは別人のよう。

 頷くように蒼羽だけが視線を送って。

 直後にこちらを向いた蒼羽の、こめかみに落とされたキスの感触に誤魔化された気がした。

 

 

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