寒い冬は暖かい場所で 12
冬知らず、と呼ばれる盗賊がいる。
盗みを働く人物は、いつの時代のどの土地でも、嫌われ、警戒されるものであるはずなのに。冬知らずという名のそれは、密かに、静かに、そしてじわじわとその熱が広がるように、一部の人々に支持されていた。
「・・・今回ばかりは、怒りを通り越して呆れたよ」
冷たい風に髪を持っていかれたまま、膨れっ面の彼女を見下ろした。
いつもならば、すかさず文句が返ってくるのだが、さすがに今は反省しているのか、彼女はただその視線を逸らしただけ。昨夜から一睡もしていないせいで、こちらも機嫌がいいとは言えない。
「お嬢」
嗜めるように声を出したのは、彼女の後ろに付き従うように立つ男。
彼はいつもこうだ。礼儀や立ち居振る舞い、肉親のように彼女に口出しをするが、実質、逆らえない。だからこそ、今こうして、予定にはなかった道程にいる。
「・・・ごめん。悪かったとは思う」
「人の言うことを聞かず、大人しくしてないどころか、よりによって予報士の部屋を荒らすなんて・・・どうしたらそんな馬鹿なことができるんだ?」
苛立ったままの声で彼女の行動を咎めた。
瞼を伏せる彼女の、白い頬を見下ろして。予報士の恋人を思い出した。片や、大人しく、人に慣れていないように見えた彼女と。片や、自分の命令を無視して勝手に動いた挙句、墓穴を掘った彼女。
同年齢の彼女たちは、正反対で。
目の前の彼女に、予報士の恋人の大人しさの欠片でもあれば、と。そう思わざるをえなかった。
「いいか、トリスティン家は、自分たちの領域を侵したものに対してまで寛容じゃない。何もなければ僕達の仕事を推測して見逃してくれただろうが、あれだけ荒らせば必ず報復される。表立っては動かないだろうが、きっと上から言われるぞ」
荒らされた予報士の部屋に足を踏み入れて。
寝室だと思われる部屋にだけ、厳重な、そして過度の鍵が施されていた事に驚いた。そこから聞こえた怯えきった声に、とんでもない事になった、と悟ったのだ。トリスティンに喧嘩を売ったのと同義のことを、自分の部下たちが仕出かしたのだ、と。
「・・・アスター」
名前を呼ばれて、決心がついた。
「君は・・・母君のところに戻す」
びく、と震えた彼女の後ろで、二人の男が目を見開いて。
「っそんな! いくらなんでも!!」
「冬知らずの娘を放り出すんですか!?」
抗議の声は、彼女自身からは発せられない。
「今の冬知らずは僕だ。決定権も僕にある。血は受け継いでいても、仲間を危険に晒すような人間はいらない。クビにするとは言わないよ、母君のところで再教育してもらうといい」
「わ、かった・・・」
青ざめた顔で頷く彼女が背を向けるのを見送って。
「すぐ戻ります。無事に送り届けることだけは許して下さい」
「ああ。気をつけろ」
いつでも彼女に付き従う男を一人、同じように見送った。
「冬知らず???」
腕の中で首を傾げる緋天の、その耳の下を雫が伝っていく。
彼女に答えるより前に、それを目で追ってしまう。
「・・・盗賊の一種だけど、合法なんだ。公表されてないが」
水音を立てて、右手を湯から引き抜き。たった今、雫が通った箇所を親指で撫でる。そうでもしないと、このまま緋天を湯の中で倒してしまいそうだった。
空腹を満たして、ここ数日の日課である温泉へと出向いてきて。
緋天を引き寄せて一息ついたところで、夜中の侵入者についての推測を彼女に教えていたのだ。
ただ、湯煙の中で、他の湯治客に声が届かないようにと、緋天の耳元に口を寄せていると。くすぐったそうに身をすくめる彼女に、煩悩に駆られそうになりどうにも話が進まない。
「合法、ってどうして? 悪いことじゃないの?」
不思議そうな表情を見せる緋天は、当たり前だが何も知らない。
冬知らずと呼ばれる組織は、言うなれば政を行う人間たちの調査機関だ。必要とあれば、何の躊躇いもなく無法者と同じことをすると聞く。だいたいが悪人の所業の証拠をつかむために、盗人となることが多い。
これらの事実は民間人には伏せられているのだが、公然の秘密、となるのだろうか。ある程度の立場となれば、知り得ることだ。危険だからと説いたのに、ロビーに集まらなかった人間が、きっと冬知らずの被害者である、と。そう気付いてはいたが、それを口にすることはしなかった。余計なことを言って、無用の騒ぎを引き起こす意味もない。
「・・・悪いやつに仕置きする人間だと言えば分かるか?」
上気した緋天の頬を撫でて、こくりと頷くのを確認する。
騒ぎを起こすつもりはなかったが、緋天を怯えさせた報いは受けてもらおうと気が変わった。警備兵に捕縛された三人も、きっと今頃自由になっているはずだ。彼らの頭となる男の目星もついている。
「でも、・・・それなら何でお部屋に来たの?」
「特に意味はないだろうな。あの三人は本来の目的とは別に動いてたんだ」
緋天の眉が下がる。
彼女の代わりにできるのは、ベースに戻り、オーキッドにこの事を話し、然るべき筋から関係者を問責するだけだ。
「変なの・・・」
そう言って頬を膨らませた緋天の首筋に指を這わせて。
「っ、緋天!」
「え?」
「昨日より薄くなってる・・・!」
いつもの癖で、傷痕も撫でようとしたところで、ようやくそれに気付いた。
昨夜見た限りでは、ひきつれた様なその痕の色は、緋天の透き通る肌色とは異質なものだったのに。今、昼下がりの陽光に照らされているそこは、明らかに色が違う。薄桃色の、治りかけの傷のような色に見える。
「ほんと!?」
「ああ・・・もう少しで消えるかもしれないな」
嬉しそうな緋天を引き寄せて、赤く染まった耳にキスを落とした。
噂で終わりはしなかった、と昨日の医者をやっと信用する気になる。
「よかった・・・」
吐息と一緒に、緋天のほっとした声を聞いて。ようやく自分の中でずっと燻っていた想いが昇華した気がした。他人の手が緋天に触れた証拠がいつまでも残っているのだと、そう思い知らされていたのだから。
これでもう、傷跡を辿って執拗に口付けることもなくなるのだろう。それはそれで少々寂しいが。
「・・・帰ったら、ベリルさんに報告できるね」
微笑む緋天を目にすれば、こちらも満足で。
これくらいならいいだろう、と。
持て余した指先を、彼女の背中の、水着の結び目と肌の間に滑り込ませた。
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