寒い冬は暖かい場所で 11

 

 きっと、蒼羽も疲れていたのだろう、と。

 頭の上の規則正しい寝息を感じてそう思った。新しく用意された部屋は、はじめにいた部屋に限りなく近いものに見えたが。あの割れてしまった装飾品たちを思うと、何となく悲しい。

 目を開けたら、視界に入った蒼羽の首。それは、いつも通り。

 けれど、珍しく彼が寝入っている気配だったから、それがようやく笑みを誘ってくれた。

「・・・」

 静かで薄暗い部屋に、カーテンの隙間から外の光が一条差しこんでいるのを見ていたら、そろそろあの入浴場へと向かった方がいいのではないか、と思った。できるだけお湯に浸かる時間をとらないといけない、と分かっていたけれど、蒼羽を起こしたくはないから。

 そう思いはするが、彼の腕の中から、彼を起こさずに抜け出すことは不可能なことも知っていた。

 どういった訳か、蒼羽は寝ていたとしても、自分がベッドから離れようとすれば目を覚ます。蒼羽より先に目覚めたこと事態、片手で数えられる程であったが、少し身をよじっただけでいつも彼は目を開けた。

「むぅ・・・」

「・・・どうした」

「あっ」

 このまま大人しくするべきかどうか、そんな迷いが音に出てしまった途端、蒼羽の低い声。寝起きだからか、ごく小さな気だるげなそれは、頭の上で直に響く。それから、こめかみの辺りに降りた口付けは、ものすごい無意識下で行われた気がする。

 失敗したと気付いたけれど、もう戻れない。

 一体どんな仕組みだ、そもそも蒼羽にとってはそれが当たり前なのだろうか、と思わず聞いてみたくなる。

「緋天? もう昼だな・・・」

「うん・・・、なんで蒼羽さん、起きちゃうの?」

 自分よりも格段に眠りからの覚醒が早いのだ、と思ったのは、彼の二言目がもういつもの声音だったからだ。疑問を口に出すと、蒼羽がこちらをのぞきこんで、その笑みが目の前に見えた。

「・・・緋天が起きたからだ」

「そんなのずるい・・・」

 答えにならないそれを返されて、いたたまれなくなる。

 ただ、すかさず塞がれた唇に、濃厚な甘味のような感覚を注ぎ込まれて、もうどうでも良くなってしまった。

「・・・あ、また抱っこ・・・」

 怠惰に過ごしている、となんとなく自覚していたので、蒼羽が自分に腕を回したまま腹筋の力だけで起き上がって、驚きつつもほっとした。ようやくベッドから出られた、と思ったら、蒼羽に抱き上げられる。何だか最近、こうした彼の自分を甘やかす行為が更に悪化しているような。

「蒼羽さんっ、自分で歩けるよ!」

 ここはひとつ、きちんと言っておかなければ、と。

 分かりきっていることを口に出したら、ふ、と笑われた。それも意地悪げに。

「知ってるけど、これでいい」

 洗面所までそのまま運ばれて、顔を洗うように促される。拒否する理由はなく、水滴を落としながら顔を上げれば、傍らの蒼羽が柔らかなタオルを差し出した。拒否しなければいけないのは、彼の言葉だ。

「良くないの!」

 ふわふわのその感触に思わずうっとりしそうになって、間違えた、と軌道修正したはいいものの。

「・・・嫌なのか?」

「う、・・・イヤ、じゃない、けど・・・」

 目の前で眉間に皺を寄せられて、それから、心底困った、というような声を出されて。

「でも、甘やかしたらダメっ」

 何もできなくなってしまう、と続きを言う前に、蒼羽が蛇口を捻り顔を洗い出すから。条件反射で手に持っていたタオルを、先程彼に渡された時と同じように差し出した。

「俺はついでに緋天を連れてきただけだ。甘やかしてない」

 ぽい、と使用済みのそれを籠に放り込んで、蒼羽がにこりと笑う。

「それに、今、緋天も同じ事をやっただろう? 甘やかしてたのか?」

「え、だってタオル渡しただけ・・・」

 突然の蒼羽の切り返しに首をひねっていると、そうだろう、と言いながら、蒼羽の腕がまた体に回る。ふわりと浮く感触に、まただ、と抗議しようとしたら。

「ついでに緋天も部屋に戻しただけだぞ」

 口を開くより先に、そんな事を言われた。

「・・・ついでなの?」

「ついでだ」

 至極当然、という顔で頷かれれば。

何だか言葉で勝てる気がせず。

「・・・ついでは、みんなの前ではしないでね?」

 了承した、と言う代わりに、彼のくすりという笑い声とキスが返ってきた。

 

 

 

 

「あれ?」

 着替えを済ませ、食事をとりに行こうとしたところで。

 リビングから廊下に出る扉の前で緋天が急にしゃがみこんだ。

「・・・なんだろ、お手紙かな?」

 床と、木材の扉。

 わずかなその隙間に挟まった淡い生成りの紙を、何の躊躇いもなく引き抜いた彼女を止める間がなかった。

「あ、」

 危ないと口にするよりも先に、緋天の手からそれを取り上げる。

 自分の指に収まったそれは、ごく普通の封筒だった。封蝋はなく、尚且つ、糊付けしてあるわけでもなく。簡単に透かしてみたところで、中に折りたたまれた紙が入っているだけ。

「お手紙?」

 しゃがんだまま、下から不満そうにこちらを見上げる緋天は、先程と同じ疑問を口にする。

「蒼羽さん?」

 緋天を扉の前から引っ張り上げ、自分の体の後ろへと隠してから。気配を探りながら扉を開ける。廊下には誰もおらず、その代わり、足元に磨いていない乳白色の石。緋天の握った拳ほどの大きさの。

「それ何?」

 拾った石を手にして扉を閉め、疑問だらけの緋天を抱き上げてソファに戻る。

 食事に行くよりも先に、この二つの物体の出所を確認したかった。

「・・・うー」

 答えがないことについに痺れをきらしたのか、緋天から唸り声めいた音が聞こえて。怪しすぎる二点に気をとられた。まずいと思った瞬間に、緋天の頬が膨れていた。

「緋天、これはここの従業員が置いたものじゃない。分かるな?」

 背中の、緋天が手を伸ばしても届かない座面に封筒と石を置き、空いた腕を彼女に伸ばす。

 先程、少しも怪しまず封筒に手を触れた緋天を思うと、本当は溜息を吐きたい気分なのに。それでも、目の前で素直に頷く彼女を見ていると、もどかしいながらも愛しかった。緋天ができないことは、自分がやればいいのだから。

 宛書も何もない封筒を再び手に取り、中身を取り出す。

 気になって仕方ないのか、緋天が横で手元を凝視して。中に入っていたのは、便箋と言うよりも厚めの紙のカード。

「なんて書いてあるの?」

 綴られていたのはこちらの言語で、たった数行。

 流麗な文字が飾りのように並んでいる。

「・・・迷惑をかけた詫びだそうだ。これは宝飾品になる石だな」

「お詫び???」

 腹が立つことに、これは緋天宛てだ。

 首を傾げる緋天の手に、石をのせる。よく見れば、純度もなかなか高く、尚且つ大きい。何の力もない、ただの宝石になるだけの鉱物だが、これだけの大きさのものを買おうとすると、それなりの額になる。半年は遊んで過ごせる程の。

 興味深げにひとしきりそれを手の上で転がす緋天の目は、ただ無邪気な好奇心があるだけだ。

 脅かして済まない、という意味の丁寧な言葉が書かれているのだが、それは緋天に向けられているのだ。出所は、間違いなくあの三人組の上に立つ人間だろうと。最後まで姿を隠し続けた男が、何故ここで敢えてその存在を見せたのか分からなくなった。

 

「・・・それって、あの人達のこと?」

 右手に載った石に視線を落として。

 す、と静かに声を出した緋天に頷く。

「・・・・・・いらない。こんなのいらないもん」

「いらないなら売ればいい。緋天宛てだ」

 正直、他の男から贈られた品に喜ばれたなら複雑だった。けれど、緋天が迷いなくいらないと口にしたから、安堵してしまう。

「結構いい石だぞ」

「いらないの、売ったお金もいらないっ」

「っ、・・・緋天、分かったから」

 無碍に捨てるわけにもいかず、物はいいのだと説明しようとしたら。

 急に緋天が声を上げて。その顔には怒り。先程頬を膨らませていたようなものと比較にならない。こんな風に怒りを顕にしたのは、フェンネルに殴られた秋以来のこと。珍しいと思うより先に、焦りが奔った。

 急いで緋天の掌から石を取り、彼女の視界に触れない場所、寝室に置いていた自分の鞄の底に手紙と一緒に突っ込んだ。 

 

 彼女の傍に戻り、涙目になっているのを見て。

「緋天、今のは俺が預かる。それでいいか」

「うん」

 拒否されることが怖いから、強引に腕を伸ばして緋天を引き寄せ、その耳元で囁いた。

 忘れて欲しい。自分が彼女を怒らせてしまったことなど、忘れて欲しかった。小さな声で返事をした緋天の髪を撫でてじっとする。

 

 どうして緋天がそんなに嫌がったのか、何となく分かってはいた。

 漠然とした情報で自分が推測したものを、彼女はまだ知らない。教えなければ、と思いながらも、夜半からどこかで迷いが生じている。

 まずは、グラファイトに命じていたことの結果を回収しよう、と緋天を抱えて立ち上がった。

 

 

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