寒い冬は暖かい場所で 13

 

 ベースの門の前に、振動を感じさせずに静かに舞い降りた、その車から。

 御者が降り、抱えた踏み台を置いて、後部の小部屋の扉を開けた。大人しい犬達は、白い息を吐いてじっとしている。こんなところに犬を乗りつける人間はごく少数だから、誰が荷台から出てくるかは分かっていた。

「お帰りなさい」

 黒いブーツがタラップを踏んだのを見て、声をかける。その長い足の持ち主から答えが返ってこないのも分かっていたから、彼が真っ白のコートに包まれた細身の体を抱き下ろすのを、しばし黙って見守った。

「お帰りなさい」

 もう一度同じ言葉を出すと、彼女がこちらに視線を向けると同時に、その口元に笑みが浮かんだ。

「マロウさん、寒いのに大変ですね」

 柔らかい声を久しぶりに聞いて、冷たくなっていた指先が温まった気がする。

「いえ、まぁこれが仕事ですから。温泉はどうでした?」

「良かったです! ね、蒼羽さん」

「ん」

「どうぞー」

 にこにこと嬉しそうに蒼羽を見上げる緋天に、黙って隣に立っていたクレナタも、口元を綻ばせて門を開けた。緋天へ短い返事をした蒼羽は、ちらりとそれを見やるだけ。

「えーと、グラファイトさん、ありがとうございました」

 蒼羽に背を軽く押され、柵を抜けようとした彼女は、後ろを振り返り軽く頭を下げる。いつもの緋天と何も変わらない行為なのだが、それをされた御者が目に見えて慌てて。

「っ、いえ、そのような・・・またいつでもお呼び下さいませ」

 深く礼をとる彼を見て、ようやく。緋天の態度が、サンスパングル家の使用人にとっては戸惑うものなのだと気付いた。本来は門番である自分も、ベリルや蒼羽に対してそうあるべきなのに。更に言えば、蒼羽の恋人の緋天に対しても。

 

「行くぞ」

 慌てる御者をそのままに、冷たい風を気にしてか、蒼羽が緋天を促す。

「あ、蒼羽さん、フェンが来てますよ」

「フェンさん? ・・・あっ、そうだ!」

 クレナタがかけた声に、緋天が反応したのだが、蒼羽に手を引っ張られるように去っていく。そんなに他の男と話して欲しくないのか。それとも、彼女を寒さに晒したくないのか。両方だろうと思いながら、彼らの背中を見送った。

 後ろに向き直ると、御者の口元が綻んでいて。

 お互い、なんとも言いがたい空気を共有した。

 

 

 

 

「おかえり! どうだった!?」

 扉を開けたその音を聞きつけて、奥からベリルが駆け寄ってきた。その必死さの理由を知っているだけに、緋天の両肩をつかみかねない勢いなのも容認してしまう。

「見てください!ほら!!」

 ベリルの前のめりの姿勢に、多少、体を引きつつも。

 緋天が自らコートの袷をくつろげて、ニットの襟を引き下げた。ベリルが見えやすいように、と斜め上を向く仕草までしてみせる。

「すごい、ほんとに消えてる!」

腹が立つのは、その肌に顔を近づけるベリルの行為。

「わ、え、蒼羽さん!?」

 半分は、自分が嫌がるのを知っていて、それをやっているのだから。

 苛立ちつつも緋天を抱き上げ中に進む。忍び笑いしながら、ベリルが後ろをついてきて。

「おー、お二人さん。邪魔してるぜー」

 ソファに座ったフェンネルが、片手を上げてみせたその仕草に、何故だか力が抜けた。

「あ、フェンさん」

 緩んだ腕の中から緋天が抜け出して、彼の元へと近付く。

「あのね、蒼羽さん、あれ出して?」

 フェンネルに向けられた緋天の体。それが再びこちらを向いて、無垢な視線を投げられる。

 その彼女の肩越しに、嫌な笑みを浮かべた友人が見えた。この男はいつもこうして自分たちの行動を、特に緋天の振る舞いを面白がろうとするのだから、どうしても苛立ちを抑えきれない。

「あの石のことだよ?」

 動かない自分を、彼女の言葉を理解してないからだと判断したのか、緋天が再度口を開く。

「なになに? 石って何だよ?」

「・・・これでいいか」

 分かっていると言う代わりに、鞄の底から冷たい感触を指先に伝える石を取り出す。それを緋天の手に乗せてやると、そのままフェンネルの方へと差し出された。

「はい。フェンさんにお土産です」

 満足げな笑みを浮かべた緋天を見上げる彼の顔には、珍しく放心したような表情が浮かんでいた。横から彼女の手元をのぞきこんだベリルが、軽く眉を上げる。

「・・・えーと、これどうしたの?」

「貰い物、なんですけど、・・・・あたしが持ってるより、フェンさんの方が有効利用してくれそうなので」

 押しやるように前へ出された緋天の掌から、職業柄か、条件反射で手を差し出したフェンネルがそれを受け取って。彼女に聞くよりも早いからだろう、説明を求めるようにベリルがその視線をこちらに向けてくる。

「っ、・・・これ、すっげー高いやつなんだけど・・・緋天ちゃん、分かってんの?」

 

 手の上で石を転がすフェンネルの言葉に、頷くベリル。

「どこで貰ったの? ほんとにいらないの?」

 唐突に緋天が出した石の。

 その価値に驚くことはないが、彼女がそんなものを簡単に人に預ける事実にベリルは驚いているのだ。いくら顔なじみだからとはいえ、あまりに気軽過ぎるから。

「・・・フェンさんにあげる」

「おい、蒼羽・・・?」

 問い質すような口調のベリルに、緋天は頬の笑みを消してしまう。

「持っておけ。緋天には必要ない」

 これ以上聞くな、と二人に目線で訴えてから、緋天をソファに連れて行く。コートを脱がせて引き寄せると、彼女から鼻先を肩に寄せてきた。

やんわりと腹部にのせられた手を握って、しばらく沈黙を保った。

 

 

 

 

「・・・トリスティン家の姫君には、大変申し訳ないことを致しました。これでお許し頂けるつもりはございませんが、せめてものお詫びとして、受け取っては頂けないでしょうか・・・ふーん、これはまた厄介な言い訳だね」

 生成りのカードに目を落として、義務のように読み上げたベリルの声は低い。

 この場に緋天がいないからか、皮肉げな笑みさえ口元に浮かべて、その紙をひらひらと振ってみせた。

「それで? ここまで言われて、何か仕返ししてきたのか?」

「・・・俺が個人的にやれば、お前が困るんだぞ」

 言外に。

 緋天に手を出されて、何をしてきた、と。

 そう聞くベリルは、どことなく楽しげだ。

「まあね。それにしても・・・」

 小さく嘆息して、強めの視線をこちらに送られる。

緋天を家に帰して、冬知らずに遭遇した事を話したはいいが、どうも家名を盾に動かれたのが、彼にとっては不愉快らしい。

「さすがと言うか、頭がいいな。このイニシャルも、私達に正体を明かして、公に出す抗議書の意味を軽くしようとするのが狙いだろうね。叔父さんが出したとしても、丁寧な謝罪をしてあくまでも紳士的に終わらせるつもりだ」

 

 カードの終わりに記されたイニシャルは、宿に泊まっていた客の一人と合致する。

 後から従業員に聞いた話によれば、緋天の指輪を見ていたと言った男、それから、捕らえた三人組の一人を蔑むように言葉を交わした男と同一人物なのだ、と。そして恐らく、緋天を一人寝室に残した際にやってきたという男も、同じ人間なのだろう。

どれも自分がいない合間に、緋天に接触していた男だ。それだけで報復したい気分にさせられたが、ベリルが言うように、自由に振舞えない枷がある。

 

「アスター・シブレット・・・聞き覚えがないなぁ。シブレット家自体が、かなり前に衰退してたし・・・ちょっと調べてみるか」

「オーキッドに動いてもらうから、お前は何もするなよ」

「分かってる。これは純粋な興味。・・・冬知らずも暗黙の了解で嗅ぎ回らないようになってたけど、調べて損はない」

 

 ふ、と。

 小さく笑んだベリルの指に収まっていたカードが、唐突に宙へと放られた。

 

 舞い落ちるだけの、その紙切れを。

 空を切った銀のナイフが中央を射抜いて、その重さで床に落下する。

 

「・・・我らの緋天ちゃんを怖がらせたお返しはしようか」

 

ナイフを投げた本人は、いつもの声音に戻ってこちらを見る。

ベリルの悪戯を企んでいるような、その笑みに。

乗る気はあるが。

  

「お前のじゃない。俺だけのものだ」

 

 まずは。

聞き捨てならないベリルの発言を否定した。

 

 

END.

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