寒い冬は暖かい場所で 10

 

「・・・結局、何もなかったな」

 そろそろ日の出の時間、外の吹雪も図ったかのようにおさまってきて。

 腕の中の緋天が小さな寝息を立てている様子を、じっと聞き続けていると、寝入った彼女を気にしたのか、遠慮がちな声を発しながら向かいのソファに老人が腰を下ろした。

 吹雪が止むまで、このフロアに留まる。

フロアから出るには、必ず従業員をつける。

その二つを客に課して、客と従業員の出入りを全て観察するだけで時間が過ぎていたのだが。彼が目の前にやってきて、そろそろ部屋に戻れる、と実感する。

「オーキッドは元気か?」

「・・・、はい」

 先程、緋天の傍を離れている間に、彼女がこの男の横のソファに居た訳がようやく分かった。オーキッドの知り合いなのだろう。そもそも、この宿に泊まっている人間達に、怪しい出自の者など居ないはず。全員が、知り合いや血縁を通して糸を手繰っていけば、サンスパングルやトリスティンと繋がっても不思議はない。

 条件反射でトリスティン家の養子の仮面を被って返事をすれば。

「君が居合わせてくれたお陰で、大事にならずに済んだ。さすがだな。ありがとう」

「いえ。何もしてません。それに・・・ここに来ることを拒んだ客の部屋に、何か起こっているでしょう」

「それは自業自得だよ」

 ふ、と小さく笑ってから。

 彼の視線が、緋天へと向けられた。

「そのお嬢さんは、一人にしない方がいい。君がいない間に、一騒動あったんだが、こういう場では妙に目立つ」

 目立つ、と言ったその意味が。

 緋天を形容するのに全く合わないものだとしても、彼の言いたい事が良く分かった。

 着飾ることに慣れ、社交に慣れ、きらびやかな場での立ち居振る舞いに何の迷いもない人間の中で、ただ純粋な緋天は逆に目立つ。口にする言葉、その声の出し方、それだけでも差異が生じるから。

「あの三人の中の彼女が騒いでいてね。それで、彼らが口を塞ごうとしていたんだが、お嬢さんが嫌がった。自分の力では止められないと思ったんだろう、君に言う、と」

 

 彼女が眠りに入る前、何かを言いたそうにしていたのは、この事だったのだろう。

 視線を三人の方へと動かして、女の口元に猿轡などがない事を確認した。ならば、緋天の言葉は聞き入れられたのだ。記憶にある限り、緋天が自分に付随する権力の一端でも使用した過去はない。そうする事をむしろ避けていた節もあったのに、それでもそんな脅迫めいた事を口にしたのは。

「・・・一生懸命だった。お嬢さんには、何か、一本の芯のようなものがある」

 従業員を止めようとした行為に、緋天が戸惑いつつも、どれだけ必死だったか。他人に言葉で出されると、それが浮き彫りにされた気がした。彼の口ぶりは、緋天を褒めているようでもあり。

「手を差し伸べざるをえない雰囲気だ。周りに善人がいれば何の問題も無いが、そうでなければ利用されるか、傷つけられるだろう。君が傍にいる事ができないなら、代わりに誰かをつけた方がいい」

 

 淡々と。

 今日のことを背景に、未来のことを諭されている。

 同じ事を以前から。自分の領域内では、緋天を一人にしておけない、とそう思っていたのだ。特に、年末に緋天をサンスパングルの家へと連れて行ってからは、漠然と感じていたものを、より鮮明に。

 ただ、それを他人の口から聞くのは、何となく面白くなかった。目の前の老人が善意でそう言っていたとしても。

 

 右手の指先に絡ませていた、緋天の髪を梳いて。

 耳を澄ませて、もう一度、その小さな寝息を聞き取った。

 

 緋天の吐息を薄い皮膚の上で感じていると、体の奥がじわりと熱くなる。

 

 彼の忠告めいた発言に、答える義務はない。

 相手の地位を思うとそうすべきではないと判っていたが、黙ってやり過ごそうとした。言い返せば、明らかに非礼に当たる。沈黙ならば、どうとでも取れる。例え相手がそれを不快に思ったとしても、そんなつもりは無かったと主張すればいいだけだ。

 そもそも、名乗らずにそんな話題を口にしようとする彼に、これ以上礼を尽くす必要もなかった。

 

「・・・血は繋がっていないと言えど、やはりトリスティンの人間だな。領域を侵されると口を閉ざし、大事なものに手を伸ばす。・・・不躾なことを言ったね、許してほしい」

 怒って立ち去るだろう、とそう思っていたのに。

 緋天に触れる自分を見て微笑を浮かべ、静かに立ち上がった。

「君は十分愛されているよ」

「っ!?」

「お嬢さんを見ていて良く分かった。たまには周りを頼ってやってくれ」

 

 何を。

 思いがけない言葉に、一瞬、息が詰まった。

 愛されている、と言うそれは、緋天に、ということだ。動きを止めた指先の、絹のような手触り。緋天の一部を体に絡ませて、ゆっくりと去っていく老人の背を見送った。

 

 緋天に愛されている。

 緋天に、愛されている、この自分が。

 

 頭の中で繰り返して。

 緋天が頬を染めて言う、大好き、という言葉は、特別な響きをもって、充足感を与えてくれるけれど。

自分が抱える彼女への想いと比べると、重量が違う。それは仕方の無いことだと分かってはいるのに、足りない、まだ足りない、とどこかでそう思っていた。だからこそ、緋天をベッドに押し込んで、うわごとのように自分を呼ぶ時間を求めてしまう。

 

「っ、・・・」

 緋天から自由を奪うような事はしたくない、とそう思っているのに。

 反面、どこかに閉じ込めてしまいたい、と。本気で願っているのも確かで。

 それを彼に見破られた気がした。そんな事を考えなくてもいいと、そう言っている気がして。背筋を冷たいものが這っていく。

「・・・???」

 早くなった鼓動を抑えようと、緋天を強く引き寄せたら。

「そう、うさん? ・・・どこか行く?」

 首元で、ぼんやりとした甘い声。

 わずかに身じろぐ、細い体。

「いや・・・、もう少ししたら戻れる」

 起こしてしまった、と思いながら、その小さな問いかけに負けてしまう。眠りに落ちる前にも、緋天の傍を離れることを心配していたから、余程心細かったのだろう、と。それを思うと、嬉しさに似たものが駆け抜けた。

「っひゃ、ぁ」

 たまらず手近の耳を口に含んで、緋天の体がびくつく。

 何もかも食べてしまいたかったのだ。緋天という存在をこんなにも大事に思っているのに、相反して全て自分のものだと認識するために体が動いてしまう。そうせざるをえない言葉を、老人に投げかけられた。

「・・・あの人達だけ捕まるの?」

「そうだな、・・・気になるのか?」

 ひとしきり彼女に触れてから、少し離すと。耳を赤くした緋天が、こそりと呟いた。困ったようなその声に、犯罪者をどうする事もできないんだと言う代わりに、緋天の関心の度合いを測る。

「う、ん・・・元々そういう人達なの? お金に困ってとかじゃなくて?」

「ああ」

 自分にとってはどうでもいい事を、緋天は気にする。

 三人の言葉から推測するに、もともと、自分たちの部屋に侵入する予定はなかったはずだ。別の何かを狙っていたのに、彼らだけが、何かの理由で勝手な行動を取った。その結果、こうして捕まる羽目に陥って。

 緋天は、同じ年頃の女が気になっているのだろう。緋天が気にするからといって、女の処遇だけを不問にすることなどもうできない。吹雪が弱まったと同時に、外に報せに出た従業員が、そろそろ警備兵を連れて帰ってくる。

「緋天」

「うん、・・・分かってる」

 緋天の視線は、捕らえられた三人の方を彷徨っていた。

 声をかけそれを自分の元へと戻して、もうそちらへと目が向かないよう、後頭部を固定する。大人しく頭を預けてくる緋天の体を抱えなおして、静かに髪を撫でる。誤魔化しているようで後ろめたかったが、緋天の心配事をなくすのが一番だった。他の何者にも、彼女の心を乱されたくは無い。

 

 緋天が気持ちよさそうに目を閉じ、全身から力が抜けて。そういった事を確認していると、彼女が無意識下で好意を伝えてくるようで嬉しい。

「・・・あのね」

 視界の端で数人の従業員が動くのが見えた。

 慌しく玄関へ向かっているので、警備兵が到着したのだろう。緋天の小さな呟きを促しながら、彼らが自分へと目を向けるのを見やる。

「例えばだけどね、・・・もし、あたしがオーキッドさんのお家に住んでたら、蒼羽さんは安心する?」

 そっと出された言葉が、どういう経緯で緋天の声にのせられたのか、理由が分かった。

 あの老人が、緋天に同じような事を忠告したのだ。

「・・・今とあまり変わらないな。緋天の好きなところに居ていいんだぞ」

 緋天を家族から引き離す気はない。

 それに、こちら側に緋天を留めていれば、瞬時に連絡がつかなくなる。そこで緋天の家族に不信感を抱かれたら終わりだ。

「ん・・・」

「どうせならベースに居てくれる方がいい」

 ただ、緋天自身の意思で自分の元へと来る気になったのならば、毎晩傍に居られるようにしたい。

 そうではないと分かっていながら、万一の可能性も考えてそんな事を口に出した。

「緋天、・・・緋天がそうしたくなったら言ってくれ。周りを気にしなくていい」

「・・・うん」

 戸惑ったままの緋天がこちらを見上げた、その間に。

 静かな空間に足を踏み入れる警備兵が目に入った。客を気にしたのか、言葉を発しないまま追い立てるように三人を歩かせていくそれを見送ってから立ち上がる。すかさず寄ってきたグラファイトに、事前に説明していた事を確認するように命じてから、緋天を引き上げた。

「もういいか?」

「はい、後はこちらで出入りを調べます。ありがとうございました」

 同じように進み出た従業員に、最低限の言葉で片付けて。

「・・・? もう戻っていいの?」

「ああ、寝なおすぞ」

 手を繋いで緩く引くと、素直についてはくるが、後ろを気にして何度か振り向いた。

「緋天」

 

 名前を呼んで、こちらへ意識を向けさせて。

 大人しく横に並んだ緋天を目にしたら。

 

 日々、傲慢になっていく自分を止められない気がした。 

 

 

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