続・月夜のジレンマ 5

 

 蒼羽が手を止めるまで、緋天の状態に気付かなかった自分が悔しい。

 眠ってしまった緋天を、迷うことなく抱えあげた蒼羽が憎い。

 無意識に彼に身を預ける緋天なんて見たくなかった。

 

 かちゃ、と音を立てて、緋天の部屋にいるはずの蒼羽が部屋のドアに手をかけて立っていた。

 彼の行動と、追い討ちをかけるようなシンの言葉に混乱していた頭が、ようやく動き出す。何をしていたか、などと聞く勇気はなく、ただ、この場所に戻ってきたことが意外で。

「・・・なんで、急に出て来るんだよ・・・」

 

 もう少し先だろうと、そう思っていた。

 緋天に恋人ができて、自分を頼らなくなるのは、まだもう少し先だと。

 こんな風に、急な変化が訪れるとは思ってもみなかった。しかも、自分が知らない間に、緋天の相手が現れて、すっかり家族にとけこんでいるなんて。

 

 ベッドに連れて行って寝かせようとする役目も全部、自分のものだったはずなのに。

 

「俺のものです。・・・ただ、緋天の前で言い争いたくない」

 意味合いを計りかねたのか、こちらの呟きに答えない形で、彼が口を開く。やけにきっぱりと言い切った前半部分は、昼間も聞いた。逆に、ためらうように出された後半部分は、それでも蒼羽の確固たる意思を秘めているように聞こえた。

「あなたが嫌な顔を見せるたびに、緋天が困って俺との間を行き来する」

 責めの口調。

 先程、緋天を運ぼうとする彼を止めようとした際に見せた顔。彼女のことを一番に考えないことを咎めるような、そういった種類の。

「家族はずっと家族だ。俺がいても、あなたと緋天の関係が変わるわけでもありません」

 しん、と静寂が訪れる。

 

 

 緋天の指に、左手の薬指に。

 収まっていた指輪の、その意味。彼の真意に気付かないわけではないが、認めたくなかった。

 けれど、蒼羽は本気だ。

 

 先日、同じ言葉を柔らかな声で聞いた、と。

 唐突にそれを思い出した。

 

「・・・緋天は司月のこと、すげー好きだと思うけど。それじゃダメなわけ?」

 身動きせずに黙って蒼羽を伺っていたシンが、呆れたように口を開きこちらを見た。

「そんな単純な話じゃない。僕は、」

 この期に及んで、言いよどむ。

 言わなければ、きっと曖昧なまま終わってしまうのだろう。蒼羽はこうして真剣であるのに、と自分の中の何かがそれを促した。

「僕は、緋天の相手が誰であっても気に入らない。特に君は偉そうで嫌だ」

 

く、と小さな笑い声が耳に届く。

何がおかしいのか、随分と意地悪げな笑みをその口元に浮かべた蒼羽がそこにいた。緋天の前で見せる柔らかで魅力的なそれとは大違いで。

 

「偉そうなくせに、猫かぶってるし。緋天の前では大人しくしてるし。たまに僕にだけ向ける殺気とか普通じゃない。緋天のガードには最適かもしれないけど、おかしいだろ、身のこなしとかも」

 ついに言ってしまった、という罪悪感のようなものはすぐに消えた。

 夏に会った時と、今日。

 善良な一般人ではないと、その所作が物語っていた。剣道をしているから、似たような人間は、割と間近で見てきたのだ。だからこそ感じる、その空気。

「ふーん・・・気付いてたんだ」

 返ってきたのは、シンの声。嬉しそうに見えるのは気のせいじゃない。

 不敵な笑みを浮かべたままの蒼羽は、それを聞いて更に笑う。

 

「・・・俺が勝ったら、緋天を困らせるような事はもうやめて下さい」

 

 目線で示されたのは、プラスチックの箱とテレビ。

 彼が負け続けていたそれを、こうして持ち出すそこが小癪だ。しかもその言葉は、こちらを諌めようとする口調のまま。

 

「じゃあ。僕が勝ったら、何をしてくれる?」

「あなたの前では緋天に触らない」

 

 すかさず返されたそれに、頷いてしまった。

 それを合図に部屋に入って腰を下ろした彼が、いつでもどうぞ、とばかりにこちらを見る。

 負けるわけが、ない。

 

 

 

 

「・・・元気出せって」

 呆然とする司月を横目に、すたすたと部屋を出て行った蒼羽。

 放り出されたコントローラーが、なんだか蒼羽の代わりに笑っているように見える。

「あいつ、初めから・・・」

「だなぁ・・・つーか、緋天がいるところで、緋天以外に集中することなんてないんだぜ、多分だけど」

 ぼそりと呟いた司月に答えながら、ようやく確信を得た。

 たった今、勝敗のついたレース。

 涼しい顔で司月の車と競り合いながら、急カーブを難なく切り抜けゴールした蒼羽は、はじめからそれが出来たはずだ。そうしなかったのは、緋天がいたからだ。

緋天が傍にいるから、彼女の動向を半身で気にしていた。

 

「もうやだ・・・あいつ嫌いだ・・・」

 眉を下げてそう言う彼の言葉は、緋天が口にするような自然なもので。

 本人には悪いが、笑ってしまう。

「何だよ、笑うなよ」

「だって笑えるし。緋天の兄ちゃんなんだなって思ったら、すげー」

「何がすごいんだか・・・はぁ」

 ふてくされてるような横顔とか、ため息の出し方とか。

 同じ血が通ってるのだ、とよく分かる。

「褒めてんの。オレ、蒼羽は司月のこと好きになる気がする」

「気持ち悪いこと言うなって・・・」

 

 蒼羽がずっと負けていた理由の、もうひとつに。

緋天の前で、司月に勝つことを避けていた、ということが挙げられる気がした。あっさり蒼羽が買ってしまったら、緋天は喜んでいたかもしれないが、彼女の中での司月の立ち位置が変わってしまうことまでは考えていなかったと思う。

それを知っていて、蒼羽がセーブしていたとするなら。

 近いからと反発するよりも先に、間違いなく緋天の兄だという片鱗に気付いてしまったのだ。だから、彼女を気にして、全面的に撥ね退けない。

 

「次は絶対負けないからな・・・」

 ぶつぶつと呟きながらベッドに移動して、彼は背中を向けてしまう。

 不貞寝するのだとわかったので、何も言わずに明かりを落とした。

 

 

END.

 

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