続・月夜のジレンマ 4

 

 やったことがない、とシンが口にしていたが、蒼羽が今までテレビゲームというものに何の興味も示した事がないのだと分かった。簡単なカーソルと、数個のボタン。その役割を教える間、驚く程、彼は真面目にそれを聞いていた。くだらない、と放り出すかと思ったのに。

「・・・あ、抜かされちゃう!」

 緋天の悲痛な声をバックに、画面の中のレーシングカーを操り、ハンデをつけていた蒼羽のそれを追い越した。初めてだから、と一周分くれてやったが、あまり意味はなく、簡単に彼を抜いたことに満足する。ただ、緋天のように見当違いな方向へと車を動かすような事はせずに、まともにゲームを進めているのだから、蒼羽のバランス感覚などはそれなりに優れているのだ。

「お先〜」

 嬉しそうなシンの呟きも続き、結局レースは蒼羽の負けとなった。

「うぅ・・・」

 傍で見ていた緋天だけが、一番楽しくなさそうなのは、そんな風に蒼羽があっけなく負けたからなのだろう。結果に対しては何の反応も見せないでいたのに、彼は緋天の声に困惑している。

 

 先程、自分の目の前で、緋天のこめかみに口付けた蒼羽の。

 その瞬間に、にじみ出ていた彼の本質な今はどこにも見えなかった。ただ、その手が迷いながらも緋天の髪に触れて、優しく撫でる。悔しいことに、それを止めることができない。

「しばらくやってれば慣れるだろ?」

 そんな二人を全く気にせず、シンが蒼羽を伺う。

 

彼もまた、異質だと。

今日初めて顔を合わせた子供だが、なんとなく、そう思った。

蒼羽側の人間なのだ、と確信を持てるだけの、何か不思議な空気をまとっているのだ。けれど、本人が無邪気に振舞うことと、自分に懐いてくるその行動のせいで、いつのまにか馴染んでいた。彼の言葉の端々から、蒼羽を慕っているのだと良く分かるのに。

 

「・・・そうだな」

 遅れて答えた蒼羽の声に、緋天の口元がほころぶ。

 結局はそうやって、彼のことばかりだ。緋天の目も、意識も、最後は蒼羽に向けられてしまう。

 この先、ずっと。

 

 

 

 

「あ!? 蒼羽、何やって・・・」

 どかん、と派手な音をさせて、メタリックブルーの流線型の車が炎上した。

 このゲームを始めてから、小一時間。

 緩いカーブを曲がることをせず、まっすぐに壁へと追突したそれを操っていたのは蒼羽。初めてコントローラーを手にしたはずなのに、何の迷いもミスもなく淡々と進めていたからこそ、意図的ともとれる大きな事故を起こした彼が信じられなかったのだ。

 あまりに驚いたのと、あっけない終わりに拍子抜けして、画面から目を外し、ボタンを操作するのをやめた。スピードを失った赤い車が、蒼羽と同じように何かに衝突する音が聞こえる。一番前を走っていた司月のダークグリーンのそれも同じ結末を迎えて。

「・・・マジかよ」

 隣の蒼羽を見上げて、ようやく原因が判明した。

 自分で体重を支えない緋天が、蒼羽の腕に収まろうとしていた。なんだか最近、こんな場面ばかり見ている気がする。眠りにつく緋天と、それを愛しそうに抱える蒼羽。

「なんかテンション高かったから、疲れたんじゃねえの?」

 小さな寝息が自分のところにまで届く。

 きっと蒼羽は、横に座る緋天が寝てしまったことに誰よりも先に気付き、彼女が床へと傾いたりしないようにコントローラーを手放した。だから、唐突に車が炎上する事になったのだ。

 

「・・・緋天、・・・」

 呆然とした表情を浮かべてそう呟いたのは司月。

 彼も自分も、画面に集中していた。

 集中していなかったのは、ただ一人、蒼羽だけだ。

 この部屋が、妙な空気に支配されていたのは知っている。その原因が、司月と蒼羽だということも。殺気に似たものを含んだ視線が司月から一方的に放たれ、それは完全に無視されていたが。

 緋天が珍しく、それこそ雪を前にした時と同じようにご機嫌だったのも、もしかしたらそれを感じていたからなのかもしれない、と。今更ながらに思った。

「んぅ、・・・」

 腕の中にくるむように緋天を引き寄せた蒼羽が、その閉じられた目に唇を落としたら、小さな吐息と共に甘い声が漏れた。聞いてはいけないものを、耳にしてしまった、といつになく焦る。

「緋天、・・・どこに」

「ここにいれば風邪をひく。寝かせます」

 立ち上がった蒼羽に抱えられた緋天がその身をすり寄せたのは、無意識だ。

 白い頬が彼の首元に寄ったのを見て、何かの呪縛からとけたように怒りを孕んだ声を出した司月に。低い声で返した蒼羽は司月以上に苛立って見える。

「シン」

「あー、うん」

 有無を言わせない声音のまま自分を呼ぶそれに立ち上がる。

 扉を開け、廊下に出て。以前入った緋天の部屋の扉を同じように開け放つ。

「・・・何がおかしい」

「え、うー、あのさ、前も同じことしたなって」

 ベッドの上の掛け布団と毛布をめくって、知らぬ間に笑っていた。それを不機嫌な彼に咎められて、理由を述べた。いつかと同じように、緋天のためにベッドの上掛けをめくる自分がおかしかったのだ。そんなこと、二度としないと思っていたから。

 

 そっと彼女の体を横たえた蒼羽が、剣呑な視線をこちらに向けて。聞いてないとばかりに睨んでくる。

「ん、・・・?」

「・・・っと、オレ邪魔しないから」

 自分の役目が終わったことと、蒼羽の体温から離れた緋天が身じろいで声を上げたことを理由に背を向けて部屋から出た。

 

 

「うわ・・・すげー怖いんだけど」

 司月の部屋に戻ると、静かで冷ややかな視線に迎えられた。先程の蒼羽といい勝負だ、と余計なことを思う。ただ、今まで蒼羽と過ごしてきたせいか、司月の怒りなど大したことなどないように感じた。彼が緋天の兄だからなのかもしれないが、どこかに柔らかな、隙のようなものがあるような気がしてならない。

「・・・なんで」

「緋天のことで蒼羽になんか言っても聞かないよ。気に入らないんだろ? 蒼羽が好きなようにしてるのが」

「っっ、何でそんなこと・・・」

 蒼羽が緋天を部屋に連れて行ったことに対してか、それとも自分が彼の言うとおりに動いたことか。責める口調ではなかったが、忌々しそうに呟いた彼に事実を告げたら、罪悪感が浮かんでくる。

 司月にとっては、蒼羽が緋天を奪ったという風に見えるのだろうか。

 同じ兄という立場であっても、司月はベリルやフェンネルとは違う。彼の態度は、むしろ蒼羽に近いのではないか。過保護とも言える、その愛情。午後からずっと傍で見ていて、そう思った。近いからこそ、反発しあっている二人。

 

「オレは蒼羽の味方なんだ。悪いけど、緋天を司月には返せないから」

 

数歩先の、たった今出てきた緋天の部屋の中で。

 蒼羽が緋天に唇を落としているだなんて、とっくに知っている。誰もそれを遮る権利がない事を、そろそろ司月も理解してもらわないと、蒼羽がますます不機嫌になる。

 

それだけは、避けたかった。

 

 

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