続・月夜のジレンマ 3

 

 自分だけにわかる香りを発する、風呂上りの緋天の体を。

 引き寄せようとして、やめた。右側から発せられる視線が、何もするなと訴えていたからだ。

「??? 蒼羽さん?」

 首を傾げる緋天に、何でもないと伝える。

 司月の目線のせいで、居心地が悪いだろうと予想していた夕食の席は、意外にも穏やかだった。シンがいるからか、普段は離れている家族が食卓についているからか、それとも自分が隣に座るからか。とにかく嬉しそうな緋天を見ていると、自然とこちらも笑みがこぼれる。

 夕方向けられていた敵意に近い感情は、両親が帰ってきてからは抑えられていたのだが。

「緋天、髪がまだ濡れてるよ。ちゃんと乾かしておいで」

「うん。シン君、先やってていいよ〜」

 その言葉は、たった今自分が言おうと思っていたのに。

 生乾きの緋天の髪が目に入って、乾かしてやろうと口に出す一瞬前に、優しげな声が発せられていた。自分ではなく、司月から。それに答えて、視線をシンに向けた後、彼女はあっけなく背を見せて去ってしまった。これだけ近くにいるのに、好きなように触れられないことは拷問だ。

「司月、部屋行こうぜ」

「ああ、うん」

 緋天の言葉に勢い良く立ち上がったシンが、今にも走りそうな状態で司月を呼ぶ。シンは何の躊躇いも遠慮もなく、既にこの家に馴染んでいた。無邪気なシンには、司月も悪く思わないらしく、言われるままに彼と上階へ向かっていた。何だかシンに動かされるところが緋天と重なり、妙に腹立たしい。

「・・・蒼羽君、悪いね。司月が何かと邪魔するだろう?」

 こらえきれない、とばかりに笑みをこぼしながら、ビールを入れたグラスを手に緋天の父親が声をかけてくる。その目がちらりと廊下へ続く扉を示す。

「いえ・・・」

 不明瞭な声が出てしまい、失敗した、と思ったが。

 自分には、そうすることが許されている気がした。取り繕わなくてもいいのだ、という受け入れの姿勢を感じたのだ。

「・・・正直、緋天を取り合っているような感覚に陥ります」

 吐き出したそれが、彼の笑いを更に誘う。笑われたことで、腹は立たず、なぜかこちらも笑みが浮かんだ。

 緋天と同じような柔らかな空気を自分に与えた彼を間近に感じて。これまでは母親の笑みが緋天に似ているとは思っていたが、父親もまた、緋天に似ていると思った。正確には、緋天が二人に似ているのだが。

「司月はずっと緋天の面倒を見てきたから、緋天のことをまだ子供だと思いたいんだ」

 苦笑いに転じた声音は、台所で皿をしまう母親に届いたらしい。

 彼とは対照的な明るい笑い声を出して、肩をすくめていた。

「まあ本当は僕もそう思いたいけどね。司月にとっては、司月の可愛い緋天でいてほしいんだよ」

 緋天が髪を乾かすドライヤーの音が、耳に入る。

 彼女が子供でないことは、自分が一番良く知っているとそう言いたい。ただ、それを両親の前で口にするのはさすがに憚られた。それと、緋天が司月のものでないことも。

「頭では分かってると思うんだ。だからあまり嫌わないでやってくれるとありがたいかな」

 こうやって笑い話のように口にしながら、実のところ、自分が司月を嫌う、という事を恐れているように感じる。そう思ったのは、父親の声の裏側に、緋天がたまに見せるような、こちらの機嫌をおそるおそる伺う表情に通じるものがあったからだ。

「・・・ええ、分かってます。無理に切り離すようなこともしません」

「つまらないことを言ったね。ありがとう」

 向けられた笑顔は、緋天と同じ。

 

 結局のところ、彼らに。

 こんな風に、緋天の血の片鱗が垣間見えることで。

 

 嫌悪を感じることなど、到底ありえない。

 

「蒼羽さん」

 乾いた髪を揺らしながら、近付いてくる緋天の。

 長めの袖からのぞいた指先を手の中に入れて、立ち上がる。唇を寄せてしまいたい衝動は押さえ込んで、緋天をこの世に誕生させた両親に挨拶をして退出した。

 

 

 

 

「えい!」

 必死な顔の緋天が、コントローラーを動かしたタイミングで、画面の中の小男が飛ぶ。

 指先だけを動かせばいいのに、緋天の腕は先程から割と激しく上下左右に動く。わざとではないと分かっていたが、普通ならば無駄なその動きがとても微笑ましかった。

「あっ、落ちちゃった・・・」

「つーか緋天、才能ないって」

 これが一番得意だ、と緋天が言ったから、このゲームをやり始めたのに。

 主人公を死なせてばかりいる彼女に、呆れ顔のシンが否定しようがないことを口にしてしまった。

「難しいところはお兄ちゃんにやってもらうからいいの〜」

 それでも楽しそうに笑いながら返す緋天の言葉は、何気ないものではあったが自分にとっては鮮烈だった。緋天の頭の中には、もはやこの手の、つまりは緋天の世界の現代的な機器を、自分が使いこなせるという考えはないのだ。

 ふ、と得意そうに笑う司月の横顔が視界に入るものだから、余計にそれを思い知る。

「なぁ、ぬるいのやめて、レースしようぜ!」

「車のは酔っちゃうからいい・・・あ、蒼羽さんに代わるね」

 肩から力を抜いた彼女の手から、ぬくもりを残したプラスチックの塊が渡されて。ついでに、何かを期待するような目線も向けられた。

「・・・蒼羽、絶対やったことねーだろ」

「まあ、やってみればいいよ。見てるだけなのはつまらないしね」

 妙な状況に陥っている、と自覚はあった。シンの困惑した声音と、司月の面白がっている声音は、ただすり抜けていく。緋天の過剰ともいえるその期待に応えられるかどうかが問題なのであって。

「蒼羽さんは何でもできるから大丈夫!」

 ひとり、相変わらずの笑顔でそう言う緋天のこめかみに。

 大丈夫と返す代わりに、唇を落とした。

 司月への牽制の意味も込めて。

 

 

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