続・月夜のジレンマ 2

 

「明日来る予定じゃなかった?」

 自分でも、むすっとした声だな、とは思ったが。

 それを和らげることができなかった。緋天がおろおろと蒼羽と自分の間で視線を動かしていても。

「あのね、お母さんが泊まっていって、って急に誘ったみたい。あたしもさっき知ったの」

 玄関のドアを開けて、見知らぬ男物の靴が目に入った時、嫌な予感がしたのだ。案の定、リビングで悠々とくつろぐ蒼羽を発見してしまい、緋天が奪われてしまう事実を否定できない。

「・・・緋天の部屋には入れないからな」

「え!なんで!?」

 泊まらせる必要があるのか、と勝手な行動をとる母への苛立ち。

 少しも表情を崩さない蒼羽への牽制をかければ、緋天から声が上がる。

「緋天が危ないから」

「一緒に寝ちゃだめなの? 前にお泊りした時、お母さんはいいって言ったよ?」

「は!?」

 少しも恥ずかしがらず、そんなことを言い出した彼女に驚きが走る。

「・・・何もしてません」

 ぼそりと呟くのは蒼羽で。

 緋天の無邪気な様子の原因を知った。言葉通り、ただ同じ部屋で寝ただけなのだろう。

 意外にも、困ったように目線を宙に這わせる彼がおかしかった。それで溜飲を下げて、緋天の方へ目を向ける。蒼羽が同じ部屋で眠らないということを心底残念がっているように見えた。

「緋天、久々にゲームするか? 蒼羽君も入れてやってもいいよ」

「する! あ、でも蒼羽さん、したことないよね? 別の遊びにする?」

 確実に、緋天が喜ぶこと。

 伊達に20年も兄をしているわけではない。どうすれば緋天が楽しくなるか、なんてポイントは熟知しているつもりだ。蒼羽の目の前で彼女を誘うと、思ったとおり嬉しそうな表情を浮かべてくれた。不愉快なことに、蒼羽の意向を伺うおまけをつけて。

「緋天のやりたいものでいい」

 笑顔の彼女に、にこりと笑み、そのまま頬に唇が寄せられる。

 あまりに自然すぎて、見ているしかなかった。

「・・・っ、おい、何してんだよ」

「う? え?」

 一拍置いて我に返り、緋天の腕を引いて蒼羽の横から立たせて離す。

 悠然とソファに座っていた彼が、一瞬、凶悪とも取れる光を目に浮かべた。伸びた状態のその左腕を見れば、自分が引っ張るのを途中で止めることができたのだと推測がつく。けれど、自分に敵意を向けるのは得策ではないと考えたのか、眉を顰めるだけにとどめ、その左手も緋天を引き戻しはしなかった。

「・・・返してください」

「緋天は物じゃないよ」

「俺のものです」

 

 ものすごく。

 ものすごく、偉そうで自分本位な事を。

 こんなに簡単にさらりと口に出されると。

 

「・・・・・・、緋天」

「あ、の、あの、違うのっ、えっと、あの、誤解だよ!?」

「緋天、僕のコーヒー淹れてきてくれる?」

「お兄ちゃん! あの、違うからね!?悪い意味じゃないからね!?」

「いいから」

 

 背中に隠した緋天が、慌てながら縋るのをキッチンの方へと押し出す。

 しぶしぶ、といった様子で離れた彼女を見送った後は。もう不機嫌さを隠そうともしない表情は、お互い様。

「緋天の話を聞く限りでは」

 立ったままだったから。

 家に帰ってきて、リビングに入った瞬間、蒼羽を発見したままの姿勢をようやく解く。蒼羽から離れた位置に座り、彼の即頭部がこちらを向くのを確認してから、もう一度口を開く。

「君は、優しいし、仕事も順調だし。緋天を大事にしているように思える」

 眉をしかめた彼が、何を言い出すのか、と若干圧力を伴った視線を送ってくる。

「だけど、・・・だからと言って緋天が傷つかないという保障は?」

 

 豆を挽く音に、空間が遮断される。

 今更ながら思うが、こちらに向き合った蒼羽には、何か目に見えない威圧感のようなものがあった。纏う気質が、明らかに同年代の男とは違う。目を逸らせば、攻撃をしかけられるのではないか、という不安を煽るような空気を発している。

「・・・その顔」

 反応は、全くない。むしろ、気勢を殺ぐように彼は台所に立つ緋天を一瞬見やる。

「例えば、君のその顔が好きな子が、緋天に嫉妬して何か嫌がらせをする可能性がないとは言い切れない」

黙ったままの彼に畳み掛けた。

もう一度、蒼羽が緋天に視線を向けて。不安そうな表情を浮かべてこちらを伺う彼女と目が合う。そのタイミングで、にこりと笑みを浮かべてみせてから。

「確かに・・・保障はどこにもありませんが」

 崩されない、その綺麗すぎる笑みに。

 体を後ろに引きたくなった。ほんの少しも迷いを感じさせない態度に、既に体が敗北を認めている。

「だからと言って、緋天を手放す気にはなりません」

 蒼羽がそれを言い終えた時、緋天がちょうどコーヒーメーカーに水をセットしスイッチを入れた。まるで、計ったかのようなその一瞬に、もう口を開く余裕がなくなってしまう。緋天が早足気味にこちらに戻ってくるから。

「あ、緋天」

 まっすぐに向かったのは、伸ばされた蒼羽の左手。

 するりとその手に誘導され、彼の隣に腰を下ろした緋天の顔には、なんの迷いもなかった。たった今、言葉を発していた蒼羽と同じように。

「・・・ああ、もういいよ、そのままで」

「???」

 なんだか、とても寂しくて。

 蒼羽の笑みに、安心しきった顔で引き寄せられる緋天など、見たくなかった。

 ほんの半年ほど前まで、その表情は自分の傍にあったものなのに。べたべたとくっついているわけではないが、蒼羽の横に当然とばかりに座ってしまう緋天。それを誘導した蒼羽に怒りを覚える元気さえない。

 後はもう、緋天が淹れてくれたコーヒーを大人しく待つしかなかった。

 

 

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