暑い夏は涼しい場所で 8
観光客相手の街中に、広いスペースをとって作られた駐車場。そこに停めた車に向かう。
「あたし貰ってくるから先に車の所に行っててー」
そう言いながら、走り去るその背中を見送った。午前中作ったカップを取りに行くのをすっかり忘れて、駐車場に入りかけた時に、緋天がそれを思い出した。苦笑が浮かぶ。こういう時に走るのは自分の役目ではないだろうか。
駐車場の中ほどに自分の銀色の車を、目の中に認めた。鍵を取り出してドアを開けたままエンジンを回す。濃縮されたような暑い空気が、狭い車内に押し込められていた。
「えー、ウソー超かっこいーよ。ねーねー、待って。あなたモデルとかやってるの?」
「マジでかっこいー。どこから来たんですかぁ?」
突然。
同年代のアウトサイドに囲まれる。
全員が全員、似たような格好をしていて、化粧品なのか香水なのか、とにかく辟易するような香りを発していた。5、6人の女が口々に何かを言ってくる。
背中に車。
なぜ急に取り囲まれたのか。車に乗り込んで、目の前のうるさい連中を無視して行きたいけれど、緋天を待たなければいけないので黙ってこの場に留まる事にした。それに少しでも車内を空調で涼しくしておきたい。
「うちら、これから飲みに行くんだけどぉ、一緒に行きません?」
「っわー、あんたいきなり誘ってるよ。はやっ」
「つーかシカトされてるよ?ねー、ちょっとこっち向いて」
頬に手を添えられる。
この女達は。数年前、フェンネルと出入りしていた所に群れていた女と同じ視線を自分に向けている。
「触るな」
あの頃はどうでも良かった事が、今はたまらなく汚いものに感じる。
触れられて判ったのは、今の自分は緋天しか受け入れられない、という事実。嫌悪感が体を巡る。
「あ、やっとしゃべったー」
「あんた拒否られてんじゃん。あたしはどう?」
口にした言葉を別段気にする様子も無く、へらへらと笑いながら、別の女が手を伸ばしてくる。
「あたしなら絶対満足できると思うよ?」
何かしら自信があるからそう言うのだろう。何人か他の男を落としたりもしたのだろう。それでもその言葉は、笑いを誘うほどに自分の中に面白い響きを与えた。緋天以外に何が自分を満足させるのか。
「ふふ。ほら、一緒に来たくなったでしょ?」
自然と漏れた失笑を、肯定の笑みだと判断したのか。女が一歩自分へ近づく。
この人間が動いて視界が変わった。黄に近い茶色の頭越しに、緋天の驚いた顔が目に入った。立ちすくんだ状態で、自分を見ている。
すぐに手招きをして緋天に合図する。くだらないこの状況から、早く抜け出したかった。
「どけ。そこを空けろ」
乱暴に言い放つと、予想通り、全員が笑みを引かせた。
「やだぁ、急にどうしちゃったの?」
目の前の女だけが、また媚びるような笑みを浮かべて口を開いた。
「うるさい。お前に関わる気はない。緋天」
いぶかしげな顔をした緋天が、女達の輪の外にゆっくりとした足取りでようやく辿りついたので、正直ほっとした。
「緋天。行くぞ」
うなずいて、目線を緋天だけに向ける。何かに弾かれたように、緋天はもう一歩を大きく踏み出し、そして邪魔な女達はようやく。自分にとっての唯一の存在を呼んでいる事に気付いたのか、全員が後ろを振り返る。
「っわ!!」
次の瞬間。
緋天はアスファルトの上に、膝をついていた。
勢いよく振り返ったひとりの女と接触して、バランスを崩した緋天が見えて。
右手に持った紙袋を必死で庇ったせいで、普通なら踏みとどまる事が出来るはずなのに。大きくよろけて、倒れ込む。
「緋天!」
「え、ウソ、ごめん!大丈夫!?」
「〜〜〜っ」
急に真面目な顔になった女が緋天に謝ったけれど。
目に涙を溜めて自分を見上げたその表情が、心臓を締め付けた。
急いで目の前の女をどける。他の女は自然と道を空ける。
「怪我は・・・」
「平気。擦りむいただけ」
焦った自分に、緋天が眉をしかめたまま答える。立たせると左膝と左腕に痛々しく血がにじんでいた。途端に頭が真っ白になる。
「あ、マジでごめん。他にケガしてない?」
おそらく本気で謝ってるのだろうが、うろたえた様子の女に途方もなく怒りが込み上げてきて、手を上げそうになるのをこらえる。
「消えろ」
「蒼羽さん。大丈夫だから・・・もう帰りたい」
緋天が硬い声を出して、腕に触れて。その手が震えていることに気が付き、頭が冷える。
潤んだ目。決して転んだせいで、そうなっているのではないと。何かが緋天に不安を与えていると。警告を発していた。
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