夏の終わりに恋人祭り 1万HIT記念:こぼれ話 4

 

 外はまだ、暗かった。

 カーテンを開けた、その窓の向こう。日が昇る気配がないので、眠りについてから1、2時間しか経っていないのだと悟る。

 見慣れない部屋、見慣れない窓の外の景色。

 肌触りの違う寝具。

 自分がどこに寝ているか、何故こんな部屋にいるのか。一拍置いて、その理由を思い出す。

「・・・っ」

 今までの似たような状況ならば。必ず腕の中にいるはずの彼女が視界に見当たらず、一気に体が目覚めた。跳ね起きて、自分が向いていた右側ではなく、左側で緋天が寝息を立てているのが見える。

「っ、ひて、・・・」

 ほっとして、思わず名前を呼びそうになる。

 緋天、と。

 口に出しかけて、残りを飲み込んだ。静かに眠っている緋天を起こしたくない。ベッドの端で自分に背を向けている彼女を引き寄せて、ようやく安堵の溜息が出る。

冷や汗が背中を伝っていた。

抱きしめて、髪にキスを落として。いくらかの落ち着きを得る。寝ている間に彼女が消えてしまったのかと、そう思ってしまったのだ。そんな考えがよぎってしまうのは、緋天が見せた不安と同じで避けられない事だった。

今腕の中に存在している彼女が、いつか離れてしまうのではないかと、言い知れない怖さに侵食される。それは、緋天自身の興味が自分から失われるという事もあるが。それこそ、自分が緋天の場所へと行けなくなるような事が起こってしまうのではないかと、そんな想像をしてしまう。

 

「・・・ん。や、まだ眠い、の・・・」

 腕に力を入れすぎたのだろうか。少し身じろいで、緋天が小さな声を出す。

「・・・判ってる」

 一旦緋天の体の前に回した腕を外して、きっと聞こえていないだろうが、そう緋天に答えた。

「やぁ」

 泣きそうな声を出して、背を向けていた緋天が寝返りを打つ。

「・・・蒼羽さんも、ここにいて、ね・・・?」

 小さく、そう願う声。

 頬に落ちた髪をどかすと、目を閉じたままで。

「・・・ん。どこにも行かないから」

 半分は、眠っているのだろう。それでも余計な不安は抱えて欲しくなくて、一度外した手を彼女の背に置いて、更に引き寄せる。細い体が壊れそうだった。

「ここにいる。お休み・・・」

 耳の上で囁いて、そっと髪をなでる。すぐに規則正しい寝息が首の下から響いてきて、甘い疼きが生まれた。今、緋天が一番求めている人間は間違いなく自分なのだと実感して、先ほど感じた嫌な気分が払拭されていく。

 目を潤ませて、白い肌を赤く染めて。果てしなく甘い響きで自分の名前を呼ぶ彼女は、誰も見る事ができない。きめの細かい背中も、髪に隠れた首筋も、誰も触れる事ができない。

 

 全てが、自分のものだ。

 

 普段誰にも甘えない彼女が、こうしてふいに甘えるのも自分だけ。

 自分一人に向けられた感情、そして自分だけに預けるその細い体。

 

 緋天は、自分のものだ。

 

 改めてそれを認識した途端、眠っていた血が活動を始めた。

 初めて緋天への独占欲を抱いた、あの日。青い顔をした彼女を前に現れた、あの気持ち。流されてはいけない、そう思うのに、口元に冷たい笑みが浮かんでいるのが、自分でも良く判った。

 

 そんな自分を目にした緋天はどう思うだろうか。

 

 湧き上がる苦い感情。心臓を冷たい水に浸された気がした。

「っ。緋天・・・」

 抑えきれずに、救いの手を差し伸べてくれるはずの彼女の名前を今度こそ、音にのせた。それだけで、闇に向かう道から現実へと浮上する。腕の中の緋天を、次は絶対に放さないと言い聞かせて目を閉じた。

 

 

 

 

 前髪を撫でる、心地よい感触。

「・・・起きたのか?」

 頭の上から小さな呟きが落ちてくる。

「ん・・・蒼羽さん・・・?」

 どうやら彼の指の甲が、ゆっくりと額の上を上下しているらしい。目を開けても蒼羽が見えないので、寝返りを打った。途端に体がきしむ。

 柔らかな枕の上で肘をついて。高い位置から彼の視線が降りてくる。にっこりと微笑まれて、その笑顔にさっそく頬に熱が上った。

「いっぱい寝た、ね・・・」

 窓から見える空は真っ青で、随分と寝坊をした事に気付いた。昨夜、馬鹿みたいに泣いたせいで、目が痛い。蒼羽の指が耳に髪をかける。そのまま今度はこめかみを指の甲で撫でてきた。ゆったりとしたその動きは、もう一度まどろみの中へと自分を押し寄せていく。

「・・・・・・なんか、蒼羽さん優しい・・・」

 彼はいつも自分に対して、優しいけれど。今までの経験からすると、こうして蒼羽が先に起きている朝は、目が覚めると待ちかねたように口付けられるのが常で。

「ん?」

 こんな風に随分ゆったりとした朝の時間が、とても珍しく感じた。降ってくる声も果てしなく優しかった。

それが穏やかすぎて、切なくなるくらいに。

「蒼羽さん・・・昨日ごめんね・・・?」

 口に出さなければ、何か崩れてしまいそうな気がした。

「・・・怒ってる?」

 静かに首を振る彼は、本当に穏やかで。静寂そのもの。見下ろす目は相変わらず優しい。

「じゃあ・・・なんで・・・?」

 優しくしてくれるのは嬉しい。

「・・・なんで?・・・蒼羽さん、なんか変だよ・・・」

 優しくても、蒼羽が蒼羽でなければ意味がない。

「何か、あった、の・・・・・・?」

 答えをすぐに返してくれない時点で、やはりいつもと何かが違うと感じる。耳の上でぴたりと止まったままの指が、信号を出している。

「蒼羽さ、ん・・・?」

 じっとこちらを見下ろす目が、細められて。そっと閉じる。

「っ蒼、・・・」

 閉じられた目は、一瞬その力を強めた。

「・・・緋天は」

 彼の返事がないという事が、これほど怖いものかと思った時。ようやく蒼羽の口が開く。同時にその目も開いて、そして鋭くなっていた。

「・・・俺が怖くないか・・・?」

「え・・・?」

 強い視線を向けてくる蒼羽にたじろぐ。一緒に出てきた言葉にも。

「俺はいつか緋天を自分で壊すかもしれない事が怖い」

 けれども、その声音は低くて消えそうで。いつもとは明らかに違う。

「緋天なしの生活をやる自信がない。だから手放したくない。いつか緋天が離れようとしたら、それを防ぐ為に緋天を傷つけそうで怖い」

「そんな事・・・蒼羽さんはそんな事しないよ!」

 こうした後ろ向きな言葉を。蒼羽が吐き出す事が怖い。

「・・・蒼羽さんが怖い、っていうのはたまにあるけど・・・でもそれは違うのっ。今みたいに蒼羽さんが変だと怖いよ・・・置いて行かないで」

 背中に暖かい手が降りていないのが嫌だった。見下ろすだけで、いつものようにその腕の中に入れてくれないのが怖かった。

「それに昨日、あたしは蒼羽さんのもの、って蒼羽さんが言ったんだよ・・・違うの・・・?」

 目を閉じてしまいたかったけれど、それをしたら蒼羽がどこかへ行ってしまうような気がして、その深い色の瞳をじっと見返す。

「・・・緋天」

 一瞬戸惑いを見せた視線が、柔らかいものに変わる。耳の上で止まったままだった指が外されて、腰に回った。強く引き寄せられて目の前に蒼羽の鎖骨。

「・・・ん」

 そのまま上へと、両手で引っ張られる。瞼に落とされたキスが、ようやく安心感を与えてくれた。

「・・・蒼羽さんがいらないって言うまで。ずっと蒼羽さんのものだよ」

 もう一度目を合わせて、蒼羽に宣言すると。彼の口元にようやくいつもの笑みが浮かぶ。

 

「じゃあ。一生俺のものだ」

 晴れやかな顔でそう囁かれて。

 体が反転する。幸せな気分と同時に、彼の唇が降りてきた。

 

END.

 

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