夏の終わりに恋人祭り 1万HIT記念:こぼれ話 3

 

「・・・緋天」

 思わず、深いため息がこぼれ落ちた。

 約2時間前にも発したそれに、緋天がびくりと肩を震わせる。静かに流れていた涙を追いかけて、また新しい粒が彼女の目に浮かび上がった。

 

 

 ようやく2人になったと思った、ホテルの部屋。

 真剣にTVの画面を見つめていたその顔。今と同じようなため息をついて声をかけていなければ、彼女は自分の存在を忘れて見入ったままだっただろう。

「あの、ね?」

 気になるから、最後まで見せて欲しい。そう願ってきた目。

 ベッドの端に座って首を傾げて見上げてくる緋天を抱き上げた。

「ん・・・っ」

 シャワーを浴びて部屋に戻れば、緋天は映画を観はじめてしまっていて。続きを見たいと主張する彼女を、無理やり自分の望み通りにする気にもなれなかった。抑えがきかなくなる前に、甘い感触から唇を離し緋天をベッドの背にもたれさせるように座らせたのが、そもそもの間違いだったのだろうか。

 

「緋天」

「っ、ぅ・・・っ」

 ため息を吐いてしまった事を後悔しながら、もう一度緋天を呼ぶと。止まるどころか更に大きな粒をこぼして、彼女は必死で声を漏らさない様に唇を噛む。

 髪から、首筋から。入浴後の甘い香りを漂わせる緋天を腕の中に入れておく事だけに留めて。CMになる度に身じろぐ緋天を抱えなおして。こちらは生殺しの状態に長いこと耐えていたというのに。

 映画が終わったと思えば、緋天はその結末に涙していて手を出しづらい。そこで内心の疲弊をため息にのせてしまったら、緋天がそれに怯えたように震え、更に涙を落とし始めたという最悪なこの状況。

 

「・・・ハッピーエンドだと、思ってた、のっ」

 髪を撫でて、こぼれ落ちた涙を吸い上げて。しばらく黙っていると、しゃくりあげながら緋天が声を出す。それを聞いて、ため息に過剰に反応した時点で見当がついていた緋天の気持ちに、確信を得る。

「何でそんなに泣く?」 

 数ヶ月前の緋天なら。自分に会う前の緋天なら。

 同じ映画を見ても、ひとすじの涙を流すだけで終わっていたはずだ。緋天の不安の理由を知りながら問いかけると、自分を見上げて何かを言いかけた。けれども結局はうつむいて、また唇を噛む。

「緋天?」

 赤くなった唇を啄んで、もうこれ以上泣くことで苦しい呼吸をしないように。ゆっくりと、できるだけ穏やかに。緋天の口内を侵食した。しゃくりあげる度に跳ねていた肩が次第に静かになり、強張っていた全身の力が抜けたところで本来の目的を忘れそうになる。自分を戒めながら唇を離した。

「・・・俺はあんなに簡単に怪我をしない。今日、見ただろう?」

 こくり、と頷く緋天の頬を撫でる。

 先ほどまで見ていた映画。それは身分の違う世界に生きる男女がお互いを求めながらも、最終的には離れてしまうというものだった。緋天はその内容と同じ事を自分がするのではないかと、不安を覚えて涙を流していたのだ。だから、その要因となりそうなものを、ひとつずつ否定しなければならない。緋天が納得するまで。

「緋天をあんなに泣かせたまま、放っておいたりしない」

 明日、腫れてしまいそうな瞼。こんな事で涙を流す緋天が痛ましかった。自分は主人公の相手の男を馬鹿だと思うだけで終わったのだが、彼女はそう思えなかった、その存在自体が異質なものだと理解しているだけに。

「・・・それに緋天がどこにいても、ちゃんと会いに行ける。見え透いた嘘に騙されて、黙って自分の領域に帰ったりもしない」

 出来るなら、緋天の不安を根本からなくしてやりたいが、それは生きている限り無理だと。自分も重々承知している。

「緋天が存在してるなら、簡単に諦めたりしない」

 こぼれたため息を。自分が苛立っているのだと、それを彼女にぶつけたのだと。緋天はそう思ったはずだ。だから余計に不安を覚えた、自分に対して。

「・・・蒼羽さんは、探してくれる・・・?」

「ああ」

 伏せていた目を少し上げて。囁く緋天に答えを返す。ほんのり微笑を浮かべたその表情に、ようやくほっとした。

「他の誰かに譲ったりしない。俺のものだ」

「ん・・・」

 遠慮がちにもたれてくる緋天の上体を支えて。

遠慮なく口付けた。

 

 

 

 

繰り出された拳を、受け流す、そして1歩離れる。

先ほどから、その繰り返し。

「・・・っ何で、当たらねぇんだ、よっ」

「だってそんな重そうな拳、いちいち真正面から受けてたら怪我するじゃないか。・・・それにしても、あれだね。ただの力自慢かと思えば、スピードもあるし、型もしっかりしてるし。御見逸れしました」

 嬉しそうな顔のベリルが、筋肉男の拳の力を上手く殺いで流すその攻防戦に、野次馬は大喜びで、文字通り粗野な野次が飛び交い始めた。仲間の2人はもう呆気に取られた顔のまま、手も出さずにぼんやりとそれを目で追う。

「おっ、危ない危ない・・・うーん、何だか疲れてきたなぁ。実は流すのも結構痛いんだよね」

 勢いのついた腕に右腕を当てて、またひとつ。ベリルが攻撃を受け流したのだが、拳の先が白いYシャツの脇をかすめて彼はそんな言葉を吐く。その割に相変わらずの笑顔は崩さないのだが。

「疲れたなら、そろそろ倒れろ、っての!!」

「・・・それはどうかな?」

 ふいにベリルの視線がこちらを向いた。

正確には、自分の頭を超えた、その後ろ。

「ああ・・・ようやくお出ましだわ」

 振り返ると、数人の警備兵が完全にギャラリーに混じってこちらに見入っていた。

「そっちはそろそろ降参する気、ない?・・・って聞くまでもないか」

「当然!!」

「じゃあ、潔く負けてもらおう、かな、っと」

 勝負は一瞬。

 それは、一瞬の隙を逃すな、勝敗は一瞬で決まる、という教え。

 子供の頃、さんざん聞かされたその言葉通りに、ベリルは見事にそれを守ってみせた。地面に転がる男に観客が気付いて、口々にベリルを褒め称える。それに満足そうに右手を振っているところは身内としては恥ずかしさを伴うが。

 

「・・・やけにサッパリした顔しちゃって」

 晴れ晴れとした笑顔を浮かべてこちらに向かう弟に、預かっていた上着を投げてやる。入れ替わりに警備兵が輪の中へと入って行った。

「だって、本当に久々なんですよ、体動かすの」

「ま、いいんじゃない?人助けになるんだからね。・・・それにあのまま放っとけば、どうせ蒼羽と緋天ちゃんの事探していちゃもん付ける気だったんだろうし?」

 警備兵がすぐに来るのが判っていて、ベリルが手を出した理由。結局はそこに行き着くのだ。

「・・・姉上は叔父さんに似てきましたね、何でもお見通しなところが」

 苦笑して後頭部に手をやる彼は、何だか照れくさそうで。

「あのっ。ベリルさん!ありがとうございました!!」

 からかってやろうと手を伸ばしかけたところに横から声がかかる。見れば、最初に絡まれていた、居酒屋の娘。

「どういたしまして。怪我はない?」

 頬を染めて頭を下げる彼女に、にこやかに答えるその姿はさすがだと思う。フェミニストだ何だと言われているが、それは刷り込まれた反応でしかない。二言三言、応答をして。再度頭を下げて去っていく彼女を見送ったベリルに声をかける。

「またファンが増えたんじゃない?」

 

「それは有難い限り」

 

 夜空を見て、嬉しそうに息を吐く。

 そんな彼の言葉が、少し気の毒だった。

 それが本心であればいい、と願って。

 

背中をひとつ、叩いてやった。

 

 

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