月夜のジレンマ 4

 

おいしそうにケーキを頬張る緋天を見て、本当に、癒し、というものを感じた。

あの男が帰って行って、今はのんびりとした空気がリビングに流れている。緋天の笑顔を見ていると、本人が視線に気付いてこちらを見た。

「おいしー」

「そうかそうか」

その笑顔に自分の頬が自然に緩む。

「荷造りはすんだか?」

「うん!ばっちり。楽しみー」

せっかく全員が休みになるんだからと、明日から家族旅行へ行く事になっていた。

2泊3日で温泉へ。この歳になって家族旅行というのもどうかと思っていたが、緋天の笑顔を見ればそんな気もどこかへ消える。

「蒼羽さんはどこに行くか教えてくれたの?」

「ううん。秘密なんだって」

「お母さん・・・奴の事は言わないでくれ」

幸せに浸っていた所を、母がその名前を口にして水を差す。はあ、とため息をつくと。緋天が戸惑った顔になった。

「え・・・お兄ちゃん、蒼羽さんの事嫌いなの?」

「う。いや、嫌いじゃないさ」

みるみる曇っていくその表情を見て、慌てて答える。

「なんだー。良かった。蒼羽さん、かっこよすぎてびっくりしたでしょ?えへへ」

「あんな完璧な男の子はそうそういないわよー。しーちゃんも見習いなさい」

「あーはいはい。そうさせてもらいますよ」

 

複雑な気分で、楽しそうに蒼羽の話をする2人の言葉を聞き流す。

「ご飯食べる姿もかっこよかったわあ」

「でしょー?蒼羽さん、きれいに食べるよね、上品って言うか」

「しかもたくさん食べてくれて。嬉しくなるわよねぇ」

 他人の家で遠慮なく食べるなんて、ただ食い意地が張ってるだけじゃないか。

 口にすれば、たちまち彼女達の、特に母の怒涛の反撃に見舞われる、と分かったので沈黙を貫いた。

「はぁ。どこに連れて行ってくれるのかしら? 行き先が判らないのもわくわくしていいわねー」

「とりあえず涼しい所、ってのは確かだよ。やっぱ東京よりは北だよねえ?3泊って事は結構遠いのかな?」

「車で行くのよね?あんまり遠いと蒼羽さんが疲れちゃうわよ。半日位で着く距離じゃないかしら」

「あーそっか」

 母が顎に右手を添えて、首を傾げた。それに緋天がうなずいている。

急に2人が話し出した内容について行けない。奴がらみの話である事は確かだが。

「一体何の話だよ?」

 不本意ながら説明を促すと、待ってましたとばかりに母が嬉々とした顔をこちらに向けた。

「うふふー。蒼羽さんもねー、緋天ちゃんと一緒にお休み取ったのよ。それで、夏バテしてる緋天ちゃんを、涼しい場所に遊びに連れて行ってくれるんですって。大事にされて幸せ絶頂よ!行き先は秘密らしいわ」

 その言葉に頬を少し染めた緋天から、さらに信じられない言葉が出る。

「温泉から帰った次の日から行くの。なんかねー、当日まではどこに行くか内緒、って言ってた。3泊するからその用意だけしてなさい、って」

  

「なっ!?3泊って・・・?3泊!?何考えてるんだ!!あいつは!?」

 優雅に微笑むその仮面の下は。

緋天を気遣って、涼しい場所に行くというのはいい。それが何故。

「何で泊りがけなんだよ!?」

「やあねー。真夏に涼しい場所、って日本の中じゃ限りがあるでしょう。ここからじゃ、日帰りはきついし、のんびりできないじゃないの」

 どんなに現実離れしたきれいな顔だからって。

「のんびり、って・・・」

 仮面の下は。その中身は男なんだ、と。

「朝目が覚めたら、蒼羽さんが側にいるのよー。すてき・・・。寝顔も見れるのよー?あっ!!緋天ちゃん、蒼羽さんの寝顔、撮れたら撮ってきてね!プレミアものよ?」

 寝顔。あの男が緋天の寝顔を見る事に。ぎりぎりと歯噛みして、更に嫌な想像が脳内を横切った。

 問題は、その眠りにつく前だ。

「そうじゃなくて!」

「お兄ちゃん?何怒ってるの???」

 ほわー、とした声と顔で、緋天が自分を覗き込んでくる。

 この純粋な反応を見ろ、と両親に突きつけてやりたい。緋天本人は何も判っていないではないか、と。

「あらら、まあ・・・。しーちゃん。あなた古いわよ」

 言いたい事をやっと察したのか、母がまともな返答を返した。

「緋天ちゃんだってもう二十歳なんだし。蒼羽さんだって大人なんだから。それに相手が蒼羽さんなら、何にも心配する事なんてないわ」

「ちょ、何でそんな信用してんだ?お父さんもこの事知ってるのか?」

 至極、本当に珍しく母の威厳をもって吐かれた言葉。それに面食らいながらも、さすがに父は許さないだろう、と聞く。

「うん、知ってるよー?」

「おいおい・・・」

緋天からの返答、その何でもない事のように言い切る口調と。両親の無防備ぶりに言葉を失う。そこへタイミングがいいのか悪いのか、入浴中だった父が頭を拭きながらやってきた。

「風呂空いたぞー?」

「あ、お父さん。しーちゃんたら、蒼羽さんの事気に入らないみたい。何とか言ってあげてよ」

「んー?・・・あー、あれか?緋天と遊びに行く話か?」

がしがしとタオルを動かしながら、父が緋天の横へ座る。母の言葉から即座に泊りがけの旅行話に行き着く父は、少しは気にかけていたのだろうか。それでも、きょとんとした顔の緋天を見て、やはり危険を感じてしまう。

「親の反応としておかしいぞ!?あいつ、絶対ムッツ、」

「司月」

 言いかけた言葉を少し厳しい父の声に遮られる。

「僕らは蒼羽君を信頼してる。彼が緋天を大事にしてくれているのが、良く判るんだ。お前もそのうち判るよ。蒼羽君を見ていればね」

 そう言って柔らかく笑うと、緋天の方に向き直る。

「緋天だって、蒼羽君の事を信頼してるだろう?」

「うん」

 笑顔できっぱりと即答する緋天に、満足そうにうなずいた。

「ほら。人見知りの緋天がこんなに心を許しているのに、僕らが間に入る隙間はないんだよ」

 

 奴の何が、緋天はもちろん、両親までを引き寄せたのだろう。

 ただ単に。

 大事にしてきた存在が、いともたやすく他人に取られてしまった苛立ちと。それをあっさり認めた両親に対する疑問が。ごちゃごちゃと複雑な感

情が大波に乗って何かを侵した。

  

 

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