8.

 

「緋天ちゃん、本当に一人で帰して平気かな・・・」

「え?」

緋天が帰って行った後、しばらくしてベリルが呟くその言葉に驚きを隠しきれず、思わずそう声に出してしまう。

「・・・緋天さんの家がある地域ってそんなに危険なんですか?」

 普段の彼女から、そんな話は1度も聞いた事がないのに、ベリルの口調はとても危ないと言っているようで。

「いや、そうじゃなくてさ。蒼羽、緋天ちゃん最近はどうなんだ?」

 苦笑したベリルがすぐに心配顔に戻って、ソファに座りなおして広げた紙束を整える蒼羽に顔を向ける。

「判らないんだ。俺といる時は暗闇でも怖がらない。でも・・・今日は前みたいに家に1人だし・・・」

 首を振って、曖昧な言葉を返す彼。

 そんな風に応える蒼羽は珍しい。いつだって、自信に満ちた断定口調で仕事を進めてきた彼なのに。

 緋天が背中を見せて出て行った扉に目をやる蒼羽、その顔はどこか不安そうだった。

 

「・・・。この前の祭の時、急に灯りが消えただろう?あれにだって君がいるのに本当は怯えてたじゃないか」

 

少し、鋭い声。

それに手を止めて眉をひそめた蒼羽が苛立たしげにベリルを見上げた。

 

「そりゃあ、緋天ちゃんだって頭では判ってるだろうさ。昔の記憶は取り戻したし、危険な事は何もない。それでも心のどこかで恐怖を抱えてる。きっと今日は深い眠りにつけない」

 

 この前の祭。

そうベリルが口にした祭典の時、自分は彼らと同じ空間にいた。あまりに人が多かったので、蒼羽と緋天がどこにいたかなど、そこまで把握していなかった。

 灯りが消えたというのは、祭の始まりを告げるちょっとした演出のはず。驚きはするが、怯える、ということにはならないのではないだろうか。それが普通の人間ならば。

 

 ベリルのその言葉が入っていき、そしてその意味をかみ砕いて、背筋に緊張が走るのを感じた。それは蒼羽の怒りを孕んだ表情を見ているせいなのか、それとも門番の自分が何か聞いてはいけない話が始まりそうな雰囲気の中にいるせいなのか。

ベリルの静かで厳かなその声に蒼羽がどう答えるのか、沈黙が破られるのを待った。

 

「・・・じゃあ、どうすればいい?」

 

 冷たい怒りを湛えていた蒼羽が、ふいに低く呟く。それはいつか彼が緋天を抱えて、留守番をしていた自分にカウンターの横のドアを開けてくれと言った、その声だった。

 

「どうすれば緋天が泣きながら目を覚まさなくなる? どうすれば緋天が1人でいる事に不安を感じなくなる?・・・何でもするから。教えてくれ。今すぐ緋天を追いかけて、何もしないでここに置いてずっとついててやりたい」

 

 淡々と紡ぎ出されているのに、それはあまりにも悲痛に聞こえて。

 何も言えない自分が歯痒い。

 

「・・・蒼羽。悪かった。君に言う事じゃなかった。今は君にしかどうする事もできない。彼女は蒼羽を頼りにしてる。それはもう刷り込まれた。もう変えられない。緋天ちゃんには、今、蒼羽しかいない」

 

 助けを求める蒼羽の声に、はっとした様子で、ベリルが言い聞かせるように返す。

 

「来月・・・総会だな」

 ベリルがそのまま低い声でぽつりと呟く。

「置いて行きたくない。だけど・・・連れて行っても・・・・・・」

「今の状況じゃ・・・受け入れられないだろうな」

 2人が同時にため息をつく。そしてまた同時に自分を見た。

「マロウ・・・今のは・・・」

 ベリルが少し驚いた顔をして、口を開いた。

「判ってます。緋天さんには・・・誰にも、言いませんから」

 蒼羽がほっとした顔をする。

 自分はやはり、知ってはいけない事を知ってしまったのだ。

 

 いつも心が和む笑顔をたたえている緋天の、不安定な部分。

 そして、その微妙な立場。

 蒼羽が必死で彼女を守ろうとしているのは良く判る。

 ベリルが早く前に進む為の最善策を考えようとしているのが判る。

 

 けれどいずれ小さな穴から緋天の耳に届いてしまうのではないだろうか。

彼女自身がそれに気付いてしまう事も有り得る。蒼羽以外の人間から、それも面白がって噂を広める様な人間から、緋天が知ってしまったら。

 

それはいたずらに彼女を傷つけてしまうのだ、と。

2人に言う勇気は、なかった。

 

 

 

 

暗闇が、怖い。

その理由は自分で判っている。それなのに、こうして1人きりで家にいる夜は、おかしい位に怯えてしまう。そしてかなりの確率で、悪夢に目を覚ますのだ。その中身は小さな頃から見ていた夢に似ていて、途中から以前襲われかけた時の嫌悪感も伴う夢へと変わっていく。

だから、あまり眠りたくない。けれども1人でいるのが嫌で結局ベッドにもぐりこむ。

 

ただの夢だ、怖くないとそう思わせてくれる人は、今日は、とても忙しい。

 

 

 明るい電子音にうとうとしかけていた所を起こされる。それにびくつく自分が、どうしようもなく嫌だ。

 電話をくれると言っていた。きっと彼だと確信して、枕元にあった携帯を急いで開いた。

「緋天」

 柔らかい声。甘いものに体は包まれる。漂っていたよどみが嘘にようにどこかへ消えていく。

「緋天?・・・平気か?」

「うん。大、丈夫・・・」

「・・・。寝てたのか?」

 自分を気遣う優しい響き。蒼羽にあまり心配はかけたくないのに。

「うとうとしてた・・・蒼羽さんは今何してるの?」

「待機中。明け方、雨が降りそうだから。・・・眠れないなら眠れないで明日一緒に昼寝するか?ここにいれば眠れるだろう?」

 

 

 

 

 弱々しい声になりそうなのを、必死で何でもないように振舞う。

時計は11時を少し回っていて。1人で小さくなって怯えている緋天が容易に想像できて。

きりきりと胸が痛む。

 

「緋天?」

返事が返ってこないので、不安になって促すと小さな笑い声。

「蒼羽さんとお昼寝?・・・したいけど、明日はダメだよ。アルジェさんの所に行かなきゃ・・・」

「そうだけど・・・まあ、それは明日の朝決めよう。緋天の体調が悪かったらアルジェだってやりにくいから」

「ん・・・」

 ぼんやりとした返事。

「夜中に起きたら電話しろ。いつでもいいから。どうせ明日の朝まで起きてる。いいか?」

「・・・うん」

「・・・緋天。本当に平気なのか?無理するな・・・今度こういう日がある時はこっちに泊まるとかしよう、な?」

 ほんの少しでもその不安を取り除こうと、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「うん。ありがとう」

 眠いせいなのか、それとも怯えすぎて話す事が難しいのか、変わらず短い言葉を小さな声で返して歯切れが悪い。

「・・・もう平気。ちゃんと眠れそう・・・だから蒼羽さん気にしないで。もう、切るね・・・」

「緋天!ちょっと待て・・・っ」

 話し出したと思ったら、そう言い終えて制止も聞かずに唐突に会話を切られた。聞こえるのは機械のツーツーという音だけで。

そんな風に緋天が会話を終わらせたのは、きっと自分の仕事の事を気にかけたせいだと悟って、心がざわめいた。

彼女を安心させたいのに、それが出来ずにどうしようもなく苛ついてしまう。掛け直しても同じように切られてしまうだろう。

 

「え・・・緋天ちゃん切っちゃったの?・・・あの子は・・・どうして自分の事を優先しないんだ・・・」

 傍らで様子を伺っていたベリルがそうつぶやいて。

「・・・もっと色々甘えさせてやりたいなぁ」

 頷くと同時にため息がこぼれ落ちた。

 

 

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