6.
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
行き交う人が、口々に朝の挨拶を交わす。明るいざわめき。爽やかな朝の空気。
叔父がいつもいる部屋に向かって足を進める。すれ違う人間が頭を下げてくるのを適当に流した。いつもは冗談のひとつでも口にして、女の子達を笑顔にして通り抜ける玄関そばの窓口も早足で通り過ぎた。
「どうした?蒼羽みたいな顔してるぞ」
開口一番、そんな言葉を苦笑交じりに投げられた。思わず眉間に手が伸びる。行き場のない苛立ちは思わぬ所に出ていたようで。
「・・・蒼羽が聞いたら怒りますよ」
ため息をついて見せると、叔父は片眉を上げてそれから吹き出した。
「くっ。本当に蒼羽みたいだな。そんな風にしてると」
「茶化さないで下さい」
「おいおい。本当にどうしたんだ?何をそんなに息巻いてる?」
ふいに真面目な表情になって、叔父の手が座れとばかりに両肩をつかんでソファの方向に押しつけた。
「・・・落ち着け。頭に血が上っていれば何も見えない」
その低い声に頭は少し冷えて。
「聞きたい事というのは何だ?」
ここに来た理由を思い出す。
「昨日着任した、アルジェの事ですが・・・。彼女は、どんな経緯でここに?こちらに来る前の所属はどこですか?そこでの評判は?」
「ベリル・・・何があった?そういう個人の経歴というのは簡単に話していいものじゃない。まあ、それぐらいなら調べればすぐに判るが。・・・理由を教えてくれ。何故そんな事が知りたい?」
何故だろう。
何故、こんな事を調べる気になったのだろう。
全然怒ってないですし、傷付いてもいないです、おいしいお茶ご馳走になっちゃいました、と。
昨日の夕方、そう言って笑顔で帰って行った緋天を目にして、毒気を抜かれた気がしたのに。
「理由、ですか?そうですね・・・正直、彼女はここで働くには少し・・・他の人間に悪影響を及ぼすのではないかと。あることないこと大げさに話されては私達の仕事がやりにくくなるんですよ」
昨日から消そうと思っても消えない苛立ちを一気に吐き出した。案の定、叔父は驚いて自分を見ている。
「代わりがあるなら、是非そちらに交換して頂きたいですね」
そう締めくくると沈黙が訪れる。
別世界だった朝の喧騒が耳に溶け込んだ。
「・・・・・・ベリル」
ゆっくりと自分の名前を紡いで。
厳しさを含んだ、それでいて困惑した視線が降り注いだ。
「お前がそう言うからには何かあったのだと思うよ。けれど私は彼女を優秀だと思うし、いい人間だと思っている。それは個人的な意見もあるが、私自身がここでの責任ある立場として面接した結果でもあるんだ。昔からあの子の事も知っている。今私が言えるのは、お前はきっと何か誤解しているんだ、としか言いようがない」
最後の方は溜め息交じりにそう言って。
「彼女の仕事ぶりを確かめてからでも遅くはないだろう?しばらく様子を見てから、それでもそう思うなら再度私に言ってくれ」
仕事ぶり。
彼女の役割は、緋天に関する不可思議な事を究明し、積み重なるやっかい事を少しでも軽減する、今まさに必要とされているポジションだった。本当にアルジェを信用して緋天を預けてもいいのか、起こり得る危険が不安となって押し寄せた。
「・・・しばらく様子を見る、なんて悠長な事は言ってられない気もしますが。叔父さんがそうまで言うなら・・・一応は従いますよ。ああ、でも私は私で気を付けるようにします。それぐらいは認めて下さい。何かあってからじゃ遅いですから」
強く叔父を真正面に見つめると、渋々といった様子で彼は頷いた。
「礼節はわきまえろ。お前の気が済むなら好きなだけやってみろと言いたいが。いくら叩いても彼女からは何の埃も出ないと、それだけは確信している」
逆に強い口調で言い返されて、少したじろいだ。
「きっとお前は自分が間違っていたと言って、彼女に謝罪するだろう」
そして面白そうな表情でそう付け加えた。
「さあ・・・どうでしょうね」
嘯いてから、立ち上がる。
これ以上話を続ければ、叔父に口で勝てるとは到底思えなかった。
背後で彼が苦笑しているのには気付かない振りをして、部屋を抜け出した。
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