5.

 

長方形の、10畳位の部屋。

 ドアを開けてすぐ左に、3つの大きな木箱が重ねられていて。右側には3人がけの柔らかそうなソファと、1人がけのそれが小さなテーブルを挟んでいる。奥の壁に窓、そしてその下に上質そうな木材の机。

「昨日着いたばかりで・・・まだ全然、荷物開けてないの」

 申し訳なさそうにそう言ってから、ソファに座る事を勧めて、重ねられた箱の一番上から、ティーセットとお茶の缶を出して見せた。5分もしない内にどこかからお湯をもらってきて、いい香りが漂うカップを差し出される。

 

「あ・・・おいしー」

 口に入った風味の良さに、思わずつぶやくと、アルジェがほっとした顔を見せて微笑む。

それは自分を安心させて、柔らかな気分にさせるだけ。隣に座る蒼羽が同じ様に微笑んでくれて、それでようやく緊張がとけた。

「あの・・・さっきは、ごめんなさい。緋天さんを傷付けるような言い方をしてしまって・・・もちろん蒼羽も」

「いえ。全然気にしてないですから。気にしないで下さい。って、何か変かなぁ」

 自然とそんな言葉が出てきた。今はもう、本当にアルジェに対してのマイナス感情は全くなかった。むしろ、プラスの感情が生まれている。

「・・・優しいのね、緋天さんは。本当にごめんなさい。ここに来る前に嫌な事を思い出してしまって・・・何だかいらいらしてたみたい。八つ当たりだったわ。最低ね」

 自虐的に笑うアルジェに一瞬目を奪われる。言い訳でもない、彼女の本心がこぼれ落ちたように見えて。どう返せばいいか判らなかった。

「俺も緋天も気にしてないから。お前は自分の事を考えろ」

 蒼羽が苦い顔でそう言った。そんな風にする彼が珍しくて、アルジェが悪い人間でないのだと妙な確信すら持てる。

 

「そうね・・・そう。明日から、ばりばり働くわ。自分で無くした信用は仕事を見てもらって取り戻してみせる。心配しないで。これでも、自分の能力には自身があるの」

 明るい笑顔が浮かぶ。途端に変わった明朗な口調と。それはとても美しく見えて、同時に羨ましくも思ったけれど。先程よりも彼女をどこか遠くに感じた。蒼羽もそう感じたのだろうか。戸惑ったように口を開いた。

「そうじゃなくて、」

「大丈夫だってば。あ、もちろん蒼羽も根回しの必要はないわよ。あなたが一言、ここの人達に口を利けば楽になるでしょうけれど。それだと私の仕事は見てもらえないから」

 蒼羽の言葉を遮って、アルジェがこちらを見てさらに続きを言う。

「緋天さん、今までのあなたに関しての資料を読んでから、これからの予定を決めようと思うの。だから、直接あなたから話を聞くのは2、3

日後になると思う。それまでは今まで通りに過ごして下さい。準備が整ったら連絡するわね」

「はい。判りました」

 

そう、答えるしかなかった。

 蒼羽が気遣わしげに、アルジェを見て、何かを諦めたように立ち上がる。

「緋天。帰ろう。・・・邪魔したな」

「ううん。2人とも弁解の余地を与えてくれて、ありがとう。このお礼は、緋天さんについての謎を解いて返すわ。期待してて」

「・・・ああ」

「あ、お茶。ごちそうさまでしたっ」

まるで急かすように。立ち上がった自分の手をつかんで、蒼羽が部屋を出る。

あわてて、頭を下げて蒼羽の後を追った。

 

 

 

「蒼羽さんっ。どうしたの?」

 センターの建物から、外に出て。蒼羽がやっと足を止めた。厳しい顔で、たった今出てきたばかりの入り口を見つめている。

「あいつ・・・」

「???あいつ、ってアルジェさんの事?何かあったの?」

 普通でない蒼羽の横顔に、本当に真面目に何かとんでもない事が起きているのだろうと感じる。

「・・・早く何とかしてやらないと手遅れになる」

 つぶやいてから、はっとした顔で蒼羽が自分に目を向けた。

「手遅れって?」

「・・・」

「蒼羽さん」

「・・・多分。アルジェは本当の自分の気持ちを、外に出せないままずっと生きてきてる。誰にも関心を示さないし、大事だと思う物もないんだ。それなのに、弱い部分を抱えきれずにいるから。いつか・・・壊れる」

「え・・・?壊れるって・・・どういう事?だって全然普通だったよ?」

「違うんだ。あいつは周りの人間に何も期待してない」

 きっぱりとそう言いきって、蒼羽がもう一度振り返った。自分には見えないものを蒼羽は確かに感じ取って、それを危惧している。それだけ判って。だけど、どうすればいいかが判らなかった。

「今言った事はしばらく黙っておいてくれるか?俺もどうすればいいか、判らないんだ」

「うん・・・」

 自分の考えていた事を読み取ったように、蒼羽が言って。それから困ったように微笑んで。

「すぐにどうこうなる、って訳でもないと思うから。俺にとっての緋天みたいに、あいつにも誰か大事に思う奴ができればいいんだ。できるだけ、早く。しばらくは様子を見ようと思う。環境が変われば、気分転換にもなるかもしれないし」

「判った・・・あたしもそういう心理学的な事は、良く判らないから。蒼羽さんにおまかせする」

 ようやく、頭の中で整理された情報から、自分ができる事はないと判断して答えた。

「ん」

 

 蒼羽がつないでいた手を引っ張って、腕の中に収まる。

自分が今、蒼羽を大切に思うように。アルジェにはそんな風に思う相手はいないのだろうか。

 

なんだか切なくて、抱きしめられたまま蒼羽の体に体重を預けた。

 

 

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