59.

 

「フェン」

「・・・何あっさり追いかけてきてんだよ。怒ってんだろ、お前」

 

 ベースの領域、丘を下った先の門を抜けて。

街へと入ってしばらくした頃。後ろから聞きなれた声がかかった。

聞きなれた、と言うには少しおかしいかもしれない。彼の戸惑いを含んだ声、それからこちらを窺うような目線を向ける蒼羽は、珍しい。

 

「血の封印の事を口にした事に対しては、まだ怒ってる」

「んじゃ、追いかける意味ねーじゃん、早く帰れば?緋天ちゃん放ってていいんだ?」

 どこかで。

 余計なことを口にした、とか。言い過ぎた、とか。

 判ってはいたが、苛々は依然収まっていなかったから。自分でも、嫌な響きだと思える声音で言葉を紡ぐ。蒼羽の目が途端に伏せられて、言った先から後悔した。

 

「・・・ごめん」

 

 一瞬、自分の口から出たものだと思った。

 耳を疑って、それから。たった今、空気にとけていったその言葉を反芻する。

 間違いなく、蒼羽の声で響いたそれ。

 

「今までずっとお前に甘えてたと思う。だから、ごめん」

 

「・・・っ、なんで謝ってんだよ! なんでお前が謝るんだよ!?」

 蒼羽との間に見える、ほんの少しの石畳。それが、ものすごく長いものに感じた。

 彼に、これで線を引かれたような気がして。

「謝んのはオレだろ!?なあ、そうだよな!?」

 突き放して、遠くに行って、蒼羽の記憶から自分は簡単に抹消される。

 蒼羽なら、それが容易にできる。ただ、緋天だけを領域に迎え入れていれば満足なのだろう。

「フェン」

 早鐘を打つ心臓と、額に浮かぶ冷や汗。

 半ば叫ぶように言い募る自分に、蒼羽は静かに名前を呼んで。

 

「・・・お前は俺の事を友達だと思ってるのか?」

 

「・・・っ」

 友達だなどと口にするな、そんな関係ではない、と。

 単調なその声は、そう言っているようにしか聞こえなかった。

 蒼羽に嫌がらせをしていた自分を悔いて、付き纏ったのが始まり。

そう認識していたけれど、蒼羽の始まりは、どこにもなかったのだろうか。

 

「俺はそう思ってる。だから謝った」

 

「謝って当然の態度をお前に取り続けてた。感謝の言葉も何も持ってなかった」

 

 ざわざわと色んな音が聞こえるはずの、この場所。

 それなのに、蒼羽の言葉だけが耳に届く。

相変わらず静かなトーンで響いているのに、どこか切ない色を伴うのは、蒼羽が初めて自分を真正面から捉えてくるから。そんな風に自分の中で音色が変わるのは、きっと気のせいじゃない。

 

「・・・そんなの、とっくに判ってるって」

 重たくて、押しつぶされそうだった全身から。

 ふわりと力が抜けていった。同時に出てきた、自分の声は。いつも通りに軽く響かず、安堵と不安を含む。

「判ってんだよ、蒼羽の性格なんて。ガキの頃から見てきたのを、今更どうこう言う気もねーんだよ」

 急いで取り繕った言葉は、今度こそ本来の調子を取り戻せた。

 口を閉ざした蒼羽の反応は、まだ見て取れない。と言うよりも、あまり彼をまっすぐ見れない。

「ああ、もう!!だから、お前が謝るなら、オレだってそうしなきゃおかしいじゃん!」

 

「緋天ちゃんにバラして悪かったよ。・・・ごめん」

 

 吹き抜けていく風が、涼しくて。

 若干恥ずかしさに熱をもった頬に心地良かった。

「・・・でもな、お前が何でも一人でやろうとするから悪いんだからなっ!何にも言わないくせして、あんなボロボロになってるから。心配すんだろ。相談くらいしろよ」

「そうだな・・・今度からはそうする」

 音を立てて、不満の山が崩れていく。

 勢い付いたまま出た本音は、思いもかけず、あっさりと蒼羽に迎え入れられた。

「なん、だよ・・・なんか素直すぎて怖ぇよ、お前」

「・・・」

「あ、今ムカついただろ?ほら、シワ寄せてんじゃん」

「別に。・・・俺は多分、反省してる」

 真面目な顔で告げる彼。そんな素直な蒼羽を見るのは何となく居心地が悪かった。

 自分の言葉にムっとしたのは事実だろうに、それを口にしないのも、線を引いている証拠ではないだろうか。

 

「なーんか、オレが微妙にムカつくなぁ・・・やっぱ殴らせろ」

「っ!?」

 

 

 納まる所に納まらない。

 少しでも距離を置いたら、男としてのプライドや誇りや、お互いへの気持ちが薄れるだけ。

 

「・・・こんな日が来るなんてなぁ・・・」

 

 自然と綻んでしまう口元を抑えつつ、一歩前に踏み込んだ。

 それだけ、蒼羽が近くなる。何故だという顔を、一瞬見せた彼だけれど。足を進めた時にはもう、諦めた視線を投げていた。蒼羽にも、この気持ちが届いていればいい。

 

「んじゃ、遠慮なくっ!」

 

 真昼の大通り。

 明るいこの場所には全く似合わない音が、確かに耳に届いた。喧騒に掻き消されそうだったけれど、右手に返った痛みと共に、自分の中に刻まれた、蒼羽を殴った音。

 

「・・・痛い」

 避けることなく自分の拳を受け止めた蒼羽が、ぼそりと呟いた。

 その声も、顔も。血の滲んだ口元を拭った仕草も。

 あまりに憮然としていて、それが笑いを誘う。

 

「当たり前じゃん、生きてんだからさ。人間だっつー証拠?」

 

 蒼羽の肩を乱暴に叩けば、眉をしかめながらも、浮かぶのは華やかな笑み。

 眩しいほどに爽やかなそれが、色濃く視界を染め上げる。

 

「今度から一人で抱え込んでたら、問答無用で殴るからな!!」

「ああ・・・次は当たらないけどな」

 

 笑いながらそう言った蒼羽は、今までで見た中で一番。

晴れやかな顔をしていた。

 

 

 

 

 来た道を逆戻り、再びベースに向かいながら。

 ここ二週間ほど、何が起きていたかを聞いた。順を追って話をする蒼羽の目には、緋天の待つベースに近付くにつれ、鋭い光が灯る。今朝起きたばかりの、彼女への攻撃、それを口にした途端。凶悪としか言えない空気を纏っていた。

 

「シュイってあれだろ?あの、暗そうなヤツ。ったく、ふざけた事しやがって」

 記憶にあるのは、確か蒼羽が正式にこの街の予報士として着任した頃のこと。蒼羽と変わらない年齢のセンター関連の人間だから、とわざわざ覗きに行った覚えがある。

「オレ、一般人のくせに蒼羽にちょっかい出すな、って言われたことあるぞ?」

「何だそれは。・・・で、何て返したんだ?」

「いや、面白かったからさー、蒼羽が好きなら早く告白すれば?ってからかった」

「・・・」

 あの頃のシュイは、今のシンに近いものがあった。

 強いものへの憧れ、独占欲。

 それが判ったからと言って、気軽に聞き逃せる程、自分も大人ではなく。軽口を叩いて存分にいたぶった後、勝ったと思いながら帰路についたのだ。どこかで、自分が蒼羽の友人だという事をひけらかしたかったから。

「・・・オレが思うに、あいつはただお前が好きなだけだよ。まあ、ちょっとどころか、かなり屈折してっけど」

「知るか。緋天に手を出したから、もう許す気もない」

 

 ベリルが急にセンターへと出かけた詳細を知ると同時に、泣いた目をしていた緋天が脳裏に浮かぶ。家へと帰る自分を追いかけてきた彼女は、本当は蒼羽に抱き込まれて安心を得ているはずだったのに。傷を癒す為の時間を、自分のせいで妨げてしまった。

 

「・・・向こうで石のついた指輪を手に入れたんだ。今回は間に合わなかったけど、次はお前に紋章を刻んで欲しい」

 

緋天の立場と、蒼羽に付随する面倒についてあれこれと考えていたら。

ベースの煉瓦が見えたところで、シュイへの怒りを募らせていた蒼羽が唐突に口を開く。

 

「っな!? おまっ、紋章貰ったのか!? そういう事は早く言えよ!!っつーかいきなりそっち飛ぶのかよ!?」

 至極日常的で、当たり前の事だ、とでも言うような涼しい顔で。

 一般人にとってはとても壮大な事を、それから人としての生涯で重大なイベント事を。さらりと言い出した蒼羽を遠慮なく小突く。どちらから問い質していいか迷いつつ、とにかく自分に大きく関わりありそうな方を先に言葉にした。

「・・・お前の親父さんのお下がり、じゃないよな?」

「ああ・・・とりあえずそっちは前から貰ってたようなものだったし。もうひとつ新しく」

「うっわー、二重装備かよ、かっこいーじゃん。ベリルさん知ってんの?当然、祝い酒しなきゃな」

 首を振る蒼羽に、今の状況を思い出す。

 一番に祝うべき、ベリルもオーキッドも。きっと忙しくてしばらくはそれどころじゃないのだろう。

 予報士が手にする最高の誉れ、と言うべき紋章。全ての予報士が手にするとも限らず、優れた者に贈られる貴族に並ぶ称号。

蒼羽が紋章を持っていた父親の名前を名乗るのも、それに匹敵する権力ではあったが。父の名前を、正統に仕事として受け継ぐ者としての実力公開。それにプラスして、新しく自分の名を知らしめる紋章というのは、相当なインパクトがある。

「っていうかもっと突っ込みたいのは指輪だよ!!・・・意味判ってる、よな?」

 涼しい顔を保っていたくせに、指輪、と口にしたら蒼羽の顔は綻ぶ。

「俺の物だという印だろう?まだ緋天にその気がないのは判ってるから、ただの予約だ」

「どこがただの予約だ!!どうせ貰ったばっかの紋章入れて、おまけに石はまた危険物なんだろーが」

 薄く笑う彼を、最早止める術はない。自分の紋章を何かに刻むという事は、それだけで蒼羽の力を示す事になる。加えて刻む対象は美しいだけの宝石ではなく、蒼羽が本部界隈で自ら選び手に入れたもの。

当然その石が何かしらの力を持つもので、それに紋章を刻めば蒼羽の力で石は強くなる。

かつて、彼の父親が母親に贈ったピアスのように。

緋天を生涯の伴侶とする、と宣言しているのと同義。それが例え、予約だとしても。蒼羽の紋章、更に言えば雄傑の予報士のウィスタリアの紋章、それらをダブルで身に着ける緋天に誰もおいそれと手を出せないはずだ。ましてや、そのひとつが左薬指にあるのだとすれば、死を覚悟して横槍を入れるしかない。

 

「ま、緋天ちゃんが頷くとは限らないし?いつになるか賭けたら面白いかもな」

 

 笑みを消して口を引き結んだ蒼羽。

彼にも自信の持てない事はある。それが見えて笑ってしまう。

「・・・その時が来たら、オレが最高の出来にしてやるからな。楽しみにしとけよ」

 今でなくて、良かったのかもしれない。

 正直、そんな大きな仕事に手をつけた事はない。石に直接紋章を刻むという技は、熟練した職人にしかできないことだ。寸分の違いもなく、紋章の模様をそっくりそのまま縮小して刻み込む器用さ。それから、強い力の石を扱う危険を回避できる術と経験。

 出来るかと問われれば、見栄を張って出来ると言うが。実際は師事する男にどやしつけられるレベルのもの。

 ただ、蒼羽の言うように。

彼が次に緋天に贈る小さな輪に篭められる誓いは、自分の手で仕上げを施したい。

 

緋天が、同じ想いの誓約を口にする時まで。

蒼羽が、自信満々で緋天を手にする時まで。

自分が、一流の細工師だと扱われる時まで。

 

年齢的には大人だと言いつつも、まだ時間が足りないから。

想いを積み重ねる、諸々の災いを取り除く、腕を磨く。その時間は確かに必要だった。

行き着くのを、それぞれ近くで見ていたい。

 自分にとっては、友情。彼らにとっては、それと、愛情と。

 

 

「ああ・・・フェン、・・・仕返し」

「っっっぐぉ!!?」

 

 背中に衝撃、それが突き抜けて、腹部にも痛みが這う。

視界一杯に、青空が見えた。

 

「ただ殴られるだけなのは、俺は好きじゃない」

 

ひとり、感慨に耽っていたら。いつの間にか到着していたベースの入り口。

庭に足を踏み入れたところで、右肩に蒼羽の手が軽くかかったと思えば、両足の裏側に感じた小さな打撃。打撃と言うよりも、ただ単に蒼羽の足に軽く薙ぎ払われただけだが。

それに気付く暇など無かった。あったとしても、絶対に避けられない距離とスピードだった。

咄嗟に受身を取る能力も、技も。予報士ではなく、街の武器屋の息子の、小間物細工で名声を収めたい、ただの男に。つまりは一般人に。

 

「っんな事できるか!!っ卑怯者!! くそっ、蒼羽の色ボケ大魔王!!!」

 

 とっくに玄関の中へと入った蒼羽に悪態を吐いて、寝転がったまま空を見る。

 澄みきった青は、蒼羽の父親が好きな色だ。

 母親に捧げたピアスも、授かった命に与えた色もそうだったから。

 勝手な思い込みだが、あながち外れてはいないと思う。

 

「・・・強く優しい子に育ちますように、か」

 

 昔、オーキッドに聞いた蒼羽の名前の由来。

 強い、という条件は間違いなくクリアしているだろう。優しい、も緋天限定ならば、それは際限なく。

 

「友情にも、優しさ発揮してくれよ・・・」

 

 痛む腰を庇いながら、のそりと起き上がる。

 手加減せずにやった蒼羽は、自分の本気の拳に対しての義理立てだろうか。

 だとしたら、最高だ。

 予報士としても、それから、一人の男としても。

 

「・・・最高に笑えるけど、っ痛ぇよ、腰に響く!!」

 

 扉を乱暴に開けて、中の蒼羽に叫ぶ。

 どうしても口元が笑みの形を取って、怒りの声が作れなかったのは。

 蒼羽のせいだ、と頭の中で呟いた。

 

 

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