54.

 

 シュイが口にした言葉に、それがどうした、と言いたかった。

 けれどそれはあまりにも現実的で、そして確かな事だったから。緋天だけがいればいい、他の人間なんて全部消えてしまえばいいと。そう言える程、自分を形成してきた環境を簡単に捨て去ることが出来ないのだと、気付いてしまった。緋天を大事に思うのと同時に、どうでも良かったはずのものが意外にも自分の中に深く浸透しているのだと。

これは、良い事なのだろうか。それとも邪魔な事なのだろうか。

 

「・・・蒼羽!!蒼羽、待って!!」

 後ろから聞こえてくるアルジェの声に足を止める。

 ざわつく心の中を鎮めて振り返ってから、彼女の顔にどこか焦燥のようなものが浮かんでいるのが目に入った。

「緋天さんは?大丈夫なの?」

「ああ・・・今は寝かせてる」

 それをわざわざ確認する為に出てきたのかと思い、同時にアルジェがそれ程心配している事実に驚きが浮かぶ。

 こんな人間だったのかと、そう思う気持ちと。常に冷えていた過去の彼女が一番便利だと思っていた、それもまた過去の自分に。

「今日は本当はドクターに診て頂く予定だったの。さっきあんな風に呼吸もおかしかったから、まだここにいられるなら、帰る前に体だけでも診察を受けていって」

 過呼吸だから、口を塞げと。

 ベリルがそう言った時に、躊躇いを覚えてすぐにそれを実行できなかった事を思い出した。自分ひとりだったなら、苦しそうにする緋天の息を止めようとする、その考えも出てこなかったに違いない。今更ながらに寒気を覚えて、ベリルに感謝する。

「すぐ行って頂くから。蒼羽の部屋でいいのよね?」

「・・・ああ・・・」

 自分が思っている以上に色んな人間が心配してくれていて。それが、とても暖かい、と。

 夏の夜に嬉しそうにそう言ったのは、緋天だった。

「悪い」

 口から出た言葉は、違和感を覚えた。こんな感覚は初めてで。

 感謝の意を音にするのなら、それは違うと。

 何かが告げてくる。

何年も前にいなくなった両親か、それとも眠りについている緋天か、自分の中の想いの。

 

「・・・ありがとう」

 

 言い置いて踵を返す寸前、驚いたアルジェの顔が見えた。

 いかに自分が他人に対して無関心であったか、ようやく知った気がする。

 

 

 

 

「・・・遅いですよ。蒼羽は暴れるだけ暴れて帰りました」

「お前達が放り出した中庭周辺にいた連中を収拾するという仕事をしていたのだが」

「あー、それは致し方なく・・・」

 蒼羽とアルジェが去ってからしばらくして、のんびりと部屋に入ってきた叔父に。思わず内心の不満をこめて口を開けば、すかさず間違いの見つけようのない言葉が返ってきた。後から入ってきたマルベリーが小さく笑う。

「緋天さんは念の為ドクターに診て頂くようになってます。心療専門ですがそのまま帰るよりは、と」

「・・・今日緋天ちゃんを呼んでたのはそれか・・・」

 そもそもの今日の予定はそれだったと気付く。アルジェが手配したそれを、自分が知る前に叔父はもちろん知っていたのだろう。

「昔蒼羽を診ていたべトニーに頼んだから、きっと今の蒼羽を目にして驚いているだろうな」

 楽しそうな笑みを浮かべて言うその名前は、自分もしっかり覚えている。蒼羽の両親が亡くなってから、ずっと診察を任せていた男の名前。内に篭り続ける蒼羽に匙を投げずに付き合ってくれた医師で。確かに表情を変えない彼を見ていたのだから、緋天の前にいる蒼羽に、それこそ別人かと思うのだろう。

「・・・現場に居合わせたいものですね」

「ああ、こんな面倒がなければね」

 瞬時に冷やりとした声と視線を、口の端に血を残したシュイに向けた叔父。

 とりあえず自力で立ち上がり、大人しく椅子に座りなおしてはいたものの。実際は折られた肋骨が痛いだろうに、顔を歪めることなく叔父の視線を受け止めていた。

「やり過ぎたというのは判っているだろう?」

「そうですね・・・」

「言い逃れもできないな。私は君のした事を余すことなく報告するが?」

「お好きなだけ。・・・ただアルジェはこっちに渡して欲しい」

 静かに答えるシュイは、アルジェの名前だけを強調する。そんな彼の様子に怪訝そうに眉を上げた叔父は、どういうことだ、という顔をして自分を見る。しかしそれは一瞬の事で、次に見えたのは厳しい横顔。

「・・・彼女がそちらに行くかどうかは、彼女自身で決めることだ。外でどうこう言うことではない」

 ふ、と小さく笑うシュイの顔には、アルジェが断るわけがない、という確信。

「それよりも。君がそれを目的にここ数日動いていたと言うなら・・・まるで関係のない緋天さんに手をかけた事は、君の私的な行動で、全くの私怨による蒼羽への攻撃とみなすが・・・いいね?」

 アルジェの問題を、些細な事だと脇に置いた叔父を見事と言うべきか。シュイの様子からおおよその事を推測したのだろうが、まだ確証のない話とはいえ、見逃せるものでもない。けれども、先にシュイに自身の起こした事の重大さを思い知らせる。その、手管。

「・・・蒼羽を攻撃しようと思ってたんじゃない。蒼羽が女に(そそのか)されて力が落ちてないか見にきただけ」

「君がそのつもりでなくても、蒼羽を怒らせた時点で終わりだ。それに私も君には好意的になれないね。あの娘に手を出した」

 あってはならない事だった。フェアじゃない。

 蒼羽を一番困らせ、そして本気で怒らせるのは、緋天に関わることだと身近な者は誰もが判ってはいたが。実際に彼女が傷つき弱る姿、そしてその事実。それが蒼羽以外にも、アルジェに我を忘れさせる程、叔父を動かす程、こうして大きな力を呼び起こす。

 

「それだけで充分なんだよ。私達を動かすにはね」

 

 手当てをして頭を冷やせ、と言い捨てて。

 叔父は不機嫌面を隠さずに部屋を後にした。

 持った怒りをぶつけて、唐突に帰っていく。それが蒼羽と変わらない行動だと気付いて苦笑がもれた。同情するに値しないシュイの怪我。痛みに苦しめばいいと自分も思ってしまうが、放置するのも後々厄介ごとを引き起こしそうで、叔父の後を追わず所在なさそうに残っているマルベリーを手招きする。

「緋天ちゃんの診察が終わったらここに来てもらえるように、先生に言っておいてくれる?あと、彼の処遇が決まるまでここにいてもらうから、そのつもりで」

「はい。・・・あの、監視は・・・?」

「いいよ。逃げるつもりはなさそうだし。適当に鍵だけはかけさせてもらうけどね」

「・・・判りました・・・」

 少し不満そうにシュイをちらりと見てからマルベリーは部屋を出る。彼も機密扱いだった緋天の一連の事件を把握していただけに、その犯人に対する怒りを面に出していた。ただ、自分の言葉に従う立場だから、蒼羽や叔父のように実力行使もしないだけ。

 

「さて。・・・これで判ってくれた?緋天ちゃんに危害を加えたのが、どんなに最悪な事だったか」

「・・・そうみたいだな」

 

 嘆息したシュイが見せた顔には、ようやく。

 幾許(いくばく)かの疲労と、小さな小さな後悔が浮かんでいた。

 

「じゃあ先生が来るまで、質疑応答といこうか。黙秘権はないよ」

 

 怒らせたのは、蒼羽とアルジェと叔父と、それに加えてマルベリーだけだと理解はさせない。

 一般人に比べれば、特殊能力を保持する彼らの存在を知っているという違いはあったが。

それ以上の事を求めずにいた自分に腹が立っていた。これだけ近くにいたのにシュイに気付かず、緋天への二度目の接触を許してしまった事に対しても。

 

「やっとベリルの番が回ってきたって?お前は一番最後なんだな」

「そういう見方もあるね。だけど、こうは考えられないか?・・・蒼羽も叔父さんも、ここから私の仕事だって思って譲ってくれたんだ、ってね」

 

 再度二人になった室内。

 シュイの目が一瞬顰められたのを確認した。

 

「君の組織。能力を証明するものは何だ?アルジェの髪の色だけで、何故判断できた?」

 

 居心地が悪そうに、椅子に座りなおす彼。

 そんな事をさせるのは、これが最後だ。

 

「答えて。・・・私が満足いく答えが出るまでは、体を伸ばすこともできないよ」

 

 呼吸することは可能だが、見えない鎖が体を拘束する。

 加護、力場、鍵、護符。

 様々な名前で呼ばれ仕様も異なるが、元は同じものだ。

 人間に対して最大限の威力を発するそれを、久しぶりに解放した。

 

 

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