53.
シュイ、という名前が。
本物なのか、それとも偽名なのか。
気にしたことはなかった。
自分達にとって、それは大した問題でなく。彼が、というよりも正直、彼の属する組織の誰でもいい、とにかくその特殊な力を発揮してくれればいいだけ。彼らの力がどこから来るか、何か体に力を持つという特別な印があるのか、そんな事を深く気にした事はない。
アルジェを仲間だと口にしてからのシュイの、その表情は。
嬉しそうにくつくつと笑い続け、そんな中、時折眩しそうな目を彼女に向ける。
悪役になりきれずに、そうしてちらりと見せる憧憬や邂逅や深い愛情、そんな感情が入り混じった目。
「・・・こんなに綺麗に色が出るなんて、何年ぶりかは知らないけど。とにかく珍しい」
アルジェの短い髪、そのふわりとしたそれを。
触りたそうに一歩前に出るシュイを押さえた。何をするかは判らない。現に先程も、彼女を惑わそうとしていたから。
「邪魔するなよ・・・俺たちのものだ」
「まだ決まった訳じゃない。それに本人に拒否権もある」
「決まってるさ。拒否する理由もない、力を使わない馬鹿がどこにいる」
不服を前面に出した彼に、何の言葉もかけず。
アルジェはぼんやりとした顔をして、黙って椅子に座った。銀の髪は、珍しい。九月の初め、彼女を街中で目にした時に、確かに自分はそう思った。その、初めて見る色合い、美しさに息をのんで。
「とにかく座れ。今の君に自由はない」
「・・・ご裁可を待つ、って? 蒼羽の? オーキッドの?・・・お前は二人の下僕か?」
「そうだよ。私に君をどうこうする決定は下せない」
「つまらない」
「そういう問題じゃないから。・・・アルジェ」
彼女の組み合わされた手の指、固くお互いを掴んでいるのであろう、それが。机の上で小さく、本当にわずかなのだが震えていた。思わずシュイからそれを隠すように、小さく細いそこへと自分の右手を重ね、隣へ座る。触れた部分は冷たくて。
「どこまで・・・何を知っているの?シュイの・・・彼らの存在は聞いた事が?」
そっと引き抜かれた手を無理に掴む事はできなかった。膝の上に移動したそれを目で追って、シュイから見えないところにあるという事実に何とか落ち着く。知っていることなどないだろうと判りながらも口にした問いに、一拍置いてアルジェの首が振られたのを確かめた。
「・・・シュイは影の情報部だよ。人を操る力がある」
音にのせた言葉は、随分と怖ろしい事に感じた。
その力の半分も理解できてない自分、その状態に平静でいた事。それが怖ろしい。
「何人いるか、私も詳しくは知らない。でも私達とは、密接な関係にあった、昔からね」
初めてこの特別な集団を目にしたのは、いつだったろうか。叔父に教えられて、遠くから眺めたのが一番初めの記憶。どこか物憂げな表情の女性、退屈そうに欠伸をする男性、空をぼんやり見上げる女性、本を片手に歩きながらそれを読む男性。そんなバラバラな4人が一緒に移動していたのを見た。
そのアンバランスさがおかしいと口にした時、叔父が言ったのだ。
彼らは特別だから。特殊な能力を持つが故に、彼らの結束は固い、と。
「情報操作が主な仕事。殆どが外に出る予報士の為の環境作りなんだ。厳しい制限があるから、本来悪い事には能力を使えないはずだけどね」
蒼羽を激怒させるに至ったシュイの行動は、当然懲罰ものだろう。
けれど、その立場から。どれだけ自分達が介入できるか判らない。嫌味をこめた言葉と共に、シュイを見やると。彼は肩をすくめてみせた。アルジェは口も挟まず黙って聞くだけで。そちらの方が自分に不安を抱かせる。
「目に・・・力があって、それが人に幻影を見せたりして操れる。でも声を使ったりする人もいると聞いているし、やり方はそれぞれらしいね。シュイは蒼羽の担当だけど、細かい事はあまり私達も知らないんだ」
こんな事をつらつらと説明する自分に腹が立っていた。
アルジェを仲間だというその根拠が判らない。髪の色が何を示すのかと、判らない状況に苛立つ。
「伝説、昔話、おとぎ話。何でもいい、とにかくお前の家の、ヴァーベインの家の地域だ、そこで聞いたことはないのか?銀の髪の娘が、幸福をもたらす話だ。手に入れた者は、巨万の富と幸運を得る、って話」
すっかり真面目な目をしたシュイが口を開く。
語りかけられたアルジェは、それでも黙っていた。
「知らないのか・・・まあ、いい。その話の元は、実話だぞ。その娘が恋人に捧げ続けた幸運は、全部俺たちと同じ力を使っていたんだ。髪の色が語り継がれるのは、それだけ珍しい色だからだ。なあ、お前が親に捨てられたのは、」
「っ勝手な事を言わないで!!髪の色が何?この色だからあなたと同じだなんて言われたくない!」
アルジェの気を自分の話へと引き込もうと。
夢中になって言葉を吐き出し続けていた、シュイの。それを遮ったのは怒りに打ち震えたアルジェの声だった。沈黙を破った末の、結果がこれ。立ち上がって燃え上がる怒りをまっすぐにぶつける彼女の横顔。不謹慎にもそれを美しいと感じる自分がいた。親に捨てられた云々は、一拍置いて自分を困惑させる。当然、ヴァーベインの事ではなく、孤児院に入る前の親の事なのだろうが。
ガチャ、という音と共に風が室内へと入り込む。
開いた扉から迷わず部屋へと足を踏み出した蒼羽が、無言で奥の席についたシュイに向かっていた。
「・・・蒼羽か・・・意外と早かったな。あの女のご機嫌は治ったか?」
口元を歪めたシュイに黙って近付き、その襟元を掴み上げ。強制的に彼を立たせて。
バキ、と音がした。
椅子が巻き込まれてなぎ倒される音よりも、それの方が小さかったが。静まり返っていた部屋で響いたそれが耳に残る。
「挨拶くらいしろよ・・・」
「黙れ」
頭を左右に振りながら半身を起こして。それでもまだ余裕ある素振りを見せるシュイに下された容赦ない二撃目。壁に手をついて立ち上がろうとした彼の腹部を蹴り上げた蒼羽は、顔色ひとつ変えていなかった。呻き声を上げるシュイを見下ろして、眼力だけでその身を縛っていた。石の力も使わずに、その怒りで彼を射抜く。それはシュイの持つ能力すら超越しそうな、鋭い覇気。
「・・・何がしたいんだ、お前は」
「緋天が好きだ、俺のものにしたい、とでも言えば、立たせてくれるのか?」
三撃目は、嫌な音がした。
先程と寸分違わず同じ場所に入れられた蹴りは、肋骨を折ったのだと思う。
それでもまだ、蒼羽を止める気にはなれなくて。
「答えろ」
「・・・蒼羽が本当に腑抜けたか確かめたかっただけだ。・・・どうやら心配する必要はないみたいだな」
「っ、そんな事で緋天に手を出したのか!?」
「お前の言う、そんな事、が数えられない程多くの人間に影響する」
低く告げられたそれは、事実。
痛みに顔を顰めながら出された言葉に、蒼羽の眉が跳ね上がって。
次いで紡がれたその真実に、いつもの無表情、それとは少し違う冷えた顔を蒼羽は見せた。
「・・・緋天を連れて帰る。後で連絡するから」
「ああ、うん。判った。・・・シンにだけ手短に説明しといて」
憮然とした声で自分に向き直り、既に足は扉へと動かしながら蒼羽が言う。それに答えて、少しばかりほっとした。怒り狂って、六月の事件の時のようにシュイをまだ痛めつけるのかと思っていたから。
ぱたん、と軽い音を立てて閉まった扉を、立ち尽くしたままのアルジェが見ていた。
「・・・申し訳ありませんが、私もこれで失礼します。後ほど審問の結果をお聞きしますので」
「あ・・・うん」
引き止める理由も、ここにいろと強制すべき判断も出てこなかった。静かに口を開いて頭を下げて、蒼羽と同じように出て行く彼女を、ただ見送った。
「失敗した、かな」
小さくこぼれたシュイのその声は。
どこか寂しさを含んで、そして聞かせる相手のいないまま消える。
追いかけて、彼女が泣いているのかどうか確かめたい。
頭に一番に浮かぶそれを、掻き消して。
部屋に残されたシュイ、彼に集中する事が少しだけ苦痛だった。
緋天の様子を気にしてこの場を後にした、蒼羽。
その気持ちが。今なら痛いほど良く判る。
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