41.

 

「はい、大丈夫なようでしたらそのままという事で。はい、失礼します」

 右耳にあてていた携帯を離し、通話を切った。

 明るい声で話していたその相手は、緋天の母親。昨日、やはり家に帰そうと決めて、緋天にそれを促したら。彼女は意外にもあっさりと頷いて、そして帰っていった。泣きそうな顔をしたままで。

「・・・シン。センターで叔父さんと話してくるから。緋天ちゃんが来たらそう言っといて。アルジェが来るまでは一緒にここにいて」

 緋天の調子が、つまりは彼女の気分なのだが、それが昨日と同じ状態なら、ここにいない方がいいと思い電話をした。ところがもう既に遅かったようで、彼女の母親から家を出たと言われたから。とりあえずここで落ち着かせてから様子を窺う事にする。電話をかける直前に、オーキッドが帰ってきたと報せが届いたので、現状報告と相談をしに行きたいのだが。

「面倒くさい」

 ソファに座るシンはそう言って仏頂面。

 昨日から機嫌が悪いのだ。正確には、自分とアルジェが2人で話をする為に別室へ行き、そこから戻った時から。緋天と残した時に、何か言葉を交わし、それが彼の機嫌を損ねたのだろう、と想像はつく。けれどそれをどうにかする時間がなかった。今もない。子供じみたシンのご機嫌を取るような世話をしてやる程、甘い仕事をするつもりはない。

「シン」

 上から厳しい声を発した。案の定、彼の顔は更に不快そうに歪められる。

「面倒ならいいよ。今すぐ辞めればいい。今度蒼羽に会った時に、堂々とその理由を言える?君は何の為にここにいるんだ?」

 それだけ言い置いて、外へ向かう。

 成長を。

彼の年齢を考えれば、それを望む事は気違い沙汰かもしれない。しかし、与えたこの環境に置いては、それを望む事すら問題外なのだ。ただの子供、そうではないのだから。

 

 

 

 

 苛々する。

 吐き気がしそうな程、苛ついて、目につく物全てを破壊したい、そんな衝動が体の内を燻り続けていた。

 そもそも、自分は蒼羽の代わりにここにいるはずなのに。何故、アウトサイドの面倒を見なくてはいけないのか。百歩譲って、それが蒼羽の恋人という立場の人間だとしても、彼の代わりに自分がそこまでする義務まではないはずだ。ましてや、あんな風にすぐ泣いて慈悲を請う、弱い女を装う人間の面倒など。

 一昨日からの、ベリルやアルジェ、門番、センターの人間。彼らの緋天に対する気遣い、過剰とも言える保護精神を目の当たりにして、それにどんな価値があるのかと反駁的な気分でいっぱいだった。だから緋天には現実を伝えてやったのに、ベリルは自分を明らかに非難する目で見る。そして今も、完全に緋天側についた口調で命令をしていった。

 一体、何だと言うのか。

 あの何もできない女に、そこまでする価値はないと断言できる。

 自分だけは、冷静な目で物事を判断できる。

 

「・・・あ、シン君、ひとり?・・・おはよう」

 静かに思考を巡らせていたところに、緋天のおどおどした様な声がかかり我に返った。目のまわりには赤みが差し、顔色は青白い。そういった状態でここに来るというその行動の迷惑さを少しも考えない緋天に、またも腹が立った。

「・・・何で来る訳?なぁ、知ってんだろ?今日も一応警戒態勢って。オレ達に迷惑かける、って判んないのかよ!?」

「・・・っ、・・・ごめんなさ、い・・・」

 自分の出した声に。びくりと肩を震わせる、気弱な人間。そして目に涙を溜めて謝罪を口にする。それすらも、今の自分の怒りを煽った。

「謝るなら来るなよ!帰れ!!お前なんかいても邪魔にしかなんないんだから!!」

「・・・わ、判ってるもん!でも今日はここにいる・・・!」

 顔を上げて、泣きそうな顔をしながらも。意外に強い声で反論してきた緋天が憎かった。何をやっても許されると思ってるのだろうから。

「うるさい!アルジェだってお前がおかしけりゃ仕事になんないだから!帰れ!!」

「やだっ!!・・・だって、蒼羽さんが・・・っ」

 首を横に振り、そして声に出したその言葉。一瞬で頭が真っ白になる。

「何、言ってんだよ・・・?蒼羽が本部の方、切り上げて帰って来るって言ってんのか・・・!?・・・お前、蒼羽の女気取りも大概にしとけよ!!お前なんかの為に、蒼羽がそこまでする訳ないだろ?調子に乗ってんな!!」

 緋天の我が侭ひとつの為に。蒼羽が動く理由がない。仕事を途中にしたままで、蒼羽が帰る理由がない。ましてや、現在の本部の幹部連中の、蒼羽やオーキッドやベリルに対する指図の類を考えれば、総会を抜け出すなんて芸当は自殺行為だと言うのに。

 

自惚れも、そこまで行けば。ただの夢想に他ならないが。

 その夢想が、これ程までに。自分に憎しみを抱かせる。

 

「・・・死ね!!お前なんか、さっさと雨の餌食になればいい!!」

 吐き捨てた、その声は。驚いた事に、冷たい感触を体の内側に生み出した。

 どこか遠くから。重い空気がじわじわと纏わりついてくる。

 

「・・・・・・シン君」

 息苦しいとさえ感じ始めた頃。沈黙を破って、緋天の声が降ってきた。

 どうせ泣いたのだろう思っていたのに。先ほどとは違い、静かな声で。

「死ねとか・・・そういう事言わないで。言っちゃ駄目な言葉だよ、それ。今、生きてる人に対して失礼だし、それに、生きたくても生きられなかった人に対して、ものすごく、失礼。暴言以外の何物でもない」

 怒りとか、そういった感情が何も感じられない程。淡々としたその響きに、背筋に寒気が奔る。

 顔を上げると、緋天の目が。じっと自分を見ていた。無表情とも言えるその顔が、蒼羽のようでもあり、全く別の、神仏の偶像のようにも見えた。

「・・・謝って。死んだ人に謝って。・・・蒼羽さんのお母さんもお父さんも、雨のせいで亡くなったんだよ。知ってるくせに、そういう事言うのは良くない。蒼羽さんの前で言えるの?今言った事、堂々と蒼羽さんの前で言える?」

 緋天の言葉は、蒼羽の両親の事を自分に思い出させたが。

 先程、ベリルが言ったのと同じような事を言い出す緋天には、苛立ちが先に来た。

「お前に、・・・お前に言ったんだ!蒼羽に言った訳じゃない!!」

「・・・同じでしょ?蒼羽さんの前で、あたしに言えるの?それ、口にしたら・・・蒼羽さん、きっと悲しくなる。あたしが言われた事に怒るとか、それの前に、シン君がそう言った事に、悲しくなる」

 何もかも、知ったようなその口調。まっすぐに見てくる、その視線。

 これでは、まるで。

 悪い事をして、怒られている子供のそれではないか。

 

「・・・・・・っ、うるさい!勝手にしろ!!母親面すんな!!」

 驚いて目を見開いたその顔を、最後に視界に入れて。

 ガラス扉を開けて、外へ。緋天の世界へと、出て行った。

 

 

 

 

 入れ違いに、なったのだろうか。

 ベースに着いて、ひとり、ぽつんとソファに座る緋天を見て、そう思った。ここに来る間にベリルと行き違ったかもしれないが、彼は今、この状況で緋天を一人にしておく事などしないだろうと、充分判っているだけに疑問が先走る。シンも見当たらないので、余程忙しいのかもしれない。

 朝の挨拶を交わして、緋天を窺ってはみるものの、彼女はどこかぼんやりとした様子。

 おかしいと思いつつも、それを口に出すのは気が引けて。ぽつりぽつりと、天気の事や料理の話題を緋天との橋渡しにする。

 気がつけば、ソファに座ってから30分が過ぎていた。

 気がついたのは、緋天が急に立ち上がり、それに合わせて目線を上げ、壁にかかった時計を目にしたから。

「・・・緋天、さん・・・?」

 その横顔が、あまりにも真剣で。

 彼女の形だけ、違う密度の空気が渦巻いているように感じられた。

「緋天さん?どうしたの・・・?」

 まっすぐに、玄関の方を見つめて。彼女の左手は、胸元を、暖かそうな薄緑色のニットごと握っていた。その指先が、白くなる程、力を入れて。

 そのまま。

 何も言わずに彼女は廊下へ続くドアへと足を踏み出す。

「ちょ、っ緋天さん!?」

 真剣で、触れる事すらどこか憚られるようなその姿に。

 一瞬、驚いたまま呆気に取られてしまったが。尋常でない彼女に、急いで声をかける。

「・・・アルジェさんは、ここにいて下さい。絶対、外に出ないで」

 焦りを前面に出した自分の大声に、彼女は振り向いて。

 珍しい、というよりも。初めて聞く厳しい声を発して自分を見た。

「え・・・どうしたの?どこに・・・、緋天さん!」

 言い置いて、廊下まで出て足を進める彼女の背中。

 この状況で、外に出るなんて。

「っっ、まさか・・・!?」

 急いで服の中に仕舞い込んだ結晶を取り出す。ここに赴任して、初めて自分専用に与えられた、それ。

 思わず、息が止まった。

「緋天さん!!駄目!!外に出ないで!!」

 

禍々しい程の、どす黒い赤と、紫が。

 交互に明滅する。

 

 緋天を追って、廊下を走る。

「一人では駄目よ!誰かが帰ってくるまで待って!!」

「大丈夫です。外に出ないで下さいね」

 彼女の腕を引っ張った。

 そう思ったのに。

 

 ぱちり、と音を立てた青い光に。それを阻まれた。

 蒼羽の加護が、こんなところで働くなんて。仕掛けた本人も、予想できなかったに違いない。

 上から押さえつけられるような、痛みを伴う重圧に。もう一度、緋天の腕を捕らえる事はできなかった。

 

 彼女の背中が、廊下の奥に消えて。

 その向こうで、かちゃり、とドアを開く音が耳に届く。ぱたん、と、完全にそれが閉じられた音も。

「っ、あ、緋天さん!!」

 体の自由を奪っていた、青い戒めが同時になくなる。

「緋天さん!!」

 扉の外には。

 間違いなく、異形のものが存在しているはずだ。彼女を狙って。

 右手を足に固定した皮の入れ物へ。そこに収められた細身のナイフが、今の自分の精一杯。

 どこにいるかは判らないが、ベリルもシンも、そう遠くへは行っていないはずだ。

 

早く気付いてくれる事を祈って。

外への扉に手をかけた。

 

 

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