38.

 

 集まっている顔ぶれをそっと見渡せば、そのほとんどが重たい空気を表面に押し出していた。

 時計の針は9時を示そうとしている。居心地の悪いベースのリビング。押し黙ってソファに座るのは、今日の緋天の失踪の全容を知る、マルベリーと門番隊長、そして自分。蒼羽の代役を務めるシンも同席する。

以前に来た時よりも暗く感じるのは、ここの主であるベリルの顔が険しいままだからだ。

「・・・あのさ、結局何があった訳?」

 さすがにこの空気の中で軽口を叩く気になれないのだろうか、シンが眉をひそめて沈黙を破る。ベースに緊急集合との連絡を受け、30分程前に訪れたのはいいが、同じように集められた他の人間とそっと挨拶を交わしてそれきりだった。

当事者であるマルベリーが自分に目を向ける。彼は結局、蒼羽の部屋にいた緋天の様子を目にしてはいない。その場にいたのは自分と門番隊長なのだ。今度は彼と目が合った。そして右隣に座るシンが苛立たしげに髪をいじる。

 

「判ってると思うだろうけど。この事は他言無用だからね。知っているのは・・・つまり細部まで把握してるのは。この場にいる皆と、あとは所長だけという事になる。その辺を了承して欲しい。現時点で第2級機密事項に格上げする」

「はい」

 ベリルが口を開くなり音にした重要事項に、静かな声の返事が複数重なった。もちろん自分の声もそこに混じる。

「皆が全部を知ってる訳ではないから。今から確認の為にも順を追って記録を取るよ。その前に挨拶して。各自の所属と階級、役職名」

 今日初めて顔を合わせた隊長とまたしても目が合う。ベリルの言う事は、常に的を得ている。

「・・・アルジェと申します。9月から緋天さん専門の研究員として着任致しました。二等究理士です」

「え、マジで?階級上がってんじゃん」

 隣からシンが驚いた顔で自分を見る。ここに呼ばれた時に昇級したのだけれど、知っている人間も、それを祝ってくれる人間も片手に満たなかった。

「シン、それは後にして」

「ったく。ピリピリすんなって。っとオレは本部の研究生って事になってるけど、今は蒼羽の代わり。だから一応は予報士次席」

 シンを見やったベリルに言い返した後、彼は大人しく言われた通りにする。それに続きマルベリーが口を開く。

「センター保安部のマルベリーです。四等公示士です」

「門番隊隊長を預かっています、ナツメです。階級は中隊長です」

 お互いの地位を確認した上で、また奇妙な沈黙が流れた。ベリルを抜かせばここでの位が高いのはシンという事になるのだが、当の本人はそれを何とも思ってないようだし、経験などを持ってくれば実質はナツメが高位ということになるだろう。

「よし。じゃあ、まずはマルベリー。君の知ってる事から話して」

 この場を仕切るベリルが指名した彼が深く息を吐いて口を開く。

 長い夜になりそうだ。

 

 

 

 

 緋天の元気がなかった、だからできればいつもより長く会話をしてやれ、と。

 そんな風にベリルからメールが入っていたのは日本時間の午後7時。言われなくても判っている。限界なんてとっくに超えているのだ。妙な胸騒ぎは依然治まらず、体を内側から焼いていく。

「蒼羽さん・・・っ」

 コール音は2回ほどで途切れた。すぐに聞こえた彼女の声は、何かを抑え込むかのように耳に届く。自分が電話をするのをずっと待っていたのだろうか。心臓を締めつける痛みが這い回った。

「緋天。・・・何してた?」

「っ電話、蒼羽さんの電話、待ってた・・・」

 いつもと同じ問いを口にした。昨日までならば、本を読んでいたとかテレビを見ていたとか、答えはいつも当たり障りのないもので。今のように、自分を求める言葉は決して言葉に出さなかったのだ。それは緋天の我慢と自分への気遣いであったのだと、今更ながらに気付く。返ってきた声は、泣き声にも聞こえる。それが逆に、こちらの気持ちを落ち着かせた。

「そうか・・・何かあったのか?」

「っ、ううん、違うけど・・・」

 

 こうやって、簡単に。

 自分のせいで緋天に嘘を吐かせてしまう。

ずっとそうだ。自分に心配をかけさせないようにと、彼女はすぐに抑え込む。

頼りないのは自分だから。緋天が手放しで甘える事ができないのは、全て自分を取り巻く環境だから。

情けなくて、左手に持った携帯電話に力が入る。こんな自分はいっそ殺してしまいたかった。

 

「蒼羽さん、・・・蒼羽さん・・・?」

「ん」

 もう嘘を吐かせたくない。我慢もさせたくない。涙を流して欲しくない。

 吸い込んだ息は、穏やかな流れと共に吐き出された。

 それが少しでも、緋天に届けばいい。

 

「・・・緋天」

 彼女を想って出した声は、不思議な事に自分自身を落ち着かせる程に柔らかく響く。

 

「泣くな」

 

耳に届いていた、震える吐息が止まった。

「泣かなくていい。俺は緋天を一番に想う。何よりも緋天を優先する」

「っ、・・・」

 片方残してきたピアスは、両親のものだ。

 それを緋天の肌に触れさせた時から、既にこの愚かな魂は彼女を欲していたのかもしれない。

「緋天が望むものをできる限り俺は与える。俺が緋天を満たしたい。それは誰にも譲らない」

 ずっと仕舞い込んでいた、あの小さなピアスを。

 初めて耳に穴を開ける緋天の定着用にと思った時は、自分の気持ちに気付いていなかったけれど。

「どうしたい?俺ができる事は何だ?」

 

「・・・っ、ぁ、そう、う、さん・・・早、く、帰ってき、て・・・っ」

 

「判った」

 

 緋天が吐き出した、その泣き声まじりの小さな叫びが。

 全身に心地良く沈んでいくのを感じた。

 

 

 

 

「明日も緋天ちゃんから言ってこない限りは何も聞かない事にする。下手に刺激したくない」

 きっぱりとそう言うベリルの言葉に、皆一様に頷く。

 今日の事件に対して彼の下した判断は、センター内部の者による緋天への攻撃。頭では判っていた事だが、言葉に出されて背筋が冷えた。蒼羽にはまだ知らせずに、できれば彼が帰ってきた時に緋天の話を聞きだす方がいいだろう、との見解に落ち着いた。犯人の捜索は、秘密裏に進める事にはなったが。その後の処置は蒼羽に決断を仰ぐ。

「・・・あの、緋天さんはしばらくセンターに来ないという事でいいですよね?」

 恐る恐るという感じで、マルベリーがベリルを伺う。

「ああ。どっちみち、明日から雨が降りそうなんだよね。シン、どうする?」

「ここに置いといていーんじゃねーの?っていうかさ、明日の雨が流れるかどうかまだ微妙なんだよね」

「じゃあ、そうしよう。あ、でも緋天ちゃんを一人にしたくないな」

 シンの言葉にほっとしたような顔をするベリル。できるだけ、目の前に積み重なる問題は少なくなった方がいい。今は緋天の様子に気をつけたいと思う彼の気持ちは当然だろう。

「あ、よろしければ私が」

気がつけば、口を挟む自分がいた。

「明日からこちらで緋天さんといるようにします。お邪魔にならなければ」

 言ってしまって、少しの後悔。でも今更後には引けない。ベリルと同じ空間にいるのは気がひけるが、緋天の事を放っておけるほど、非情にもなれなかった。できれば彼女の傍から離れるようなことをしたくない。緋天があんな風に泣きながら怯えているのを見たくないと言うべきだろうか。

「・・・え、うん。そうしてもらえればこっちも有難いけど」

 驚いた顔を覗かせて。

 彼がこちらをじっと見ていた。

 青い目が、ふっとなごんで笑顔に変わる。自分には、それがとても眩しくて目を逸らしたいのに。どういう訳か逸らせない。

「邪魔なんかじゃないって。また遊ぼうぜ」

 金縛りに遭ったように、全身が硬直してしまった。そこへシンの声がかかって、永遠に続くかと思われた迷路から抜け出す事ができた。

「まーた、シンはそうやってサボろうとするんだから。真面目に働かないと蒼羽に言うぞ」

「ベリルに言われたくないね」

 お互いに言いたい事を言い合う、ベリルとシンのその様子が。ずっと緊張を解けなかった2人にも微笑むきっかけを与えたようで。硬かった表情を崩したナツメとマルベリーを見やったのを合図に、ベリルはこの緊急招集に解散を告げた。

 

 

「・・・アルジェ。ちょっといい?」

 家に帰ろうと立ち上がり、そして挨拶を口にしようとした瞬間。

 ベリルから声がかかった。

「あ、オレオレ。オレ送ってく!!」

 一足先に立ち上がっていた他の男性2人は、気をきかせたつもりなのか簡単に挨拶して素早くベースから出ていった。取り残された自分には、逃げる術がない。送ってくれるというシンが、せめてもの救いだけれど。

「じゃあ私も一緒に行くよ」

「っえー!?」

 どういう訳か、すっかりそのつもりのシンと一緒に軽くジャケットを羽織った彼が、こちらの肩を軽く押すように玄関へと向かった。拒否できないこの状況は、かなりきつい。

「あ、いえ・・・そんなお手間を取らせるような事は」

 反応が遅すぎる。

そうからかうように苦笑してこちらを見る彼に更に逆らえる事ができずに、結局外に出てしまった。

 頭の上から響いたその小さな笑い声に、体の中心をまっすぐ、電流が走ったように感じた。

 

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