28.

 

「やあ」

 少し白々しかっただろうか。

 アルジェの目に驚きの色が見えていた。

「・・・先日はお招きありがとうございました」

 それでも礼儀正しく頭を下げる彼女。内心は自分と顔を合わせたくないはずだ。こちらもできれば関りたくない、そう思っていたのはついこの前なのに。

「いいえ。シンが喜ぶからまた来て。・・・調子はどう?」

 それなのにこうして笑顔を浮かべて彼女の前に立っている。誰にも邪魔されない為に、アルジェの私室に足を運び、しばらく誰も近付かないようにと他の人間に注意を促してから。

「特に進展はありません。ただ・・・しばらくは緋天さんの精神状態に気を付けたいと思っています」

 無表情、を作れずに強張った顔。どうやら自分の前では他の人間の前でやるように、笑顔を作る余裕が無いらしい。

「そうじゃなくて。君の様子を聞いているんだよ」

 一瞬こちらを見返してきた彼女と目が合う。すぐに伏せられたその目には、怯えに似た色が見えた。蒼羽と同じだと思ったが、以前の彼ほど心を殺している訳でもない。これほど簡単に弱みを見せる。

「何か不都合な事はない?・・・本当は私が色々気に掛けていなきゃ駄目だったんだけど。今まで手が回らなくて。ごめんね」

 まだ目を伏せたままの彼女に謝る。それは本当の事だった。彼女と緋天がコンタクトを取るのに自分が間に入らなければならなかったのだ、本来は。その仕事の報告書はさすがに目を通していたが、詳しく聞きたい事は叔父から話を聞く事にして、彼女としっかり話していなかった。忙しさを言い訳にして。

「それで急に来て悪いんだけど、ちょっと話しようかと思って。時間はいい?何か急ぎのものがあるなら出直すよ」

「・・・っ。いいえ」

 断れるはずがない。自分の方が立場的に上なのだから。今のこの時間を覆せることができるのは、ほんの一握りの人間。唇を少し噛んだアルジェは一歩下がり、自分が部屋の奥へと入れるように体を引いた。

「お茶を・・・」

「いいよ。あ、君が飲みたいなら別だけど」

 横をすり抜けて、外に出ようとした彼女を引き止める。うつむいたその首筋がやけに弱々しく見えた。

 これは決して虐めではない。

 何か厄介なものを抱える彼女を、少しでも楽にする為の糸口探しだ。

 それなのに。少しの後ろめたさが心臓を刺した。

 

 

 

 

 避けられなかった。

 突然やってきて、あんな風に言われれば。彼と1対1で会話する事から逃れられない。目の前できっとあの眩しい程の笑顔を浮かべているベリルの顔を、直接見る勇気はまだ出ない。

「さて。もうそろそろ1ヶ月経つけど。緋天ちゃんはどう?上手くやってるみたいだね、あの娘の話を聞くと」

 まずは、誰が聞いても極普通の仕事内容。それらしい話をする事から始めるようだ。本当に仕事の話をしに来ただなんて、そんな事は期待できない、彼相手では。この前の蒼羽と同じように。

「・・・。そう、ですね。緋天さんとお話するのは楽しくて。私はかなり仲良くなれたと思っています」

「うん。緋天ちゃんはまあ、ああいう純粋な子だからね。君の話も良くするし、かなり気を許していると思うよ」

 仕事をしているのだから。失礼に当たる。

顔を上げざるをえなくなり、彼の喉元辺りに視線をやった。

「感触としてはどう?何か気になる事はある?」

 笑顔。金の髪、青い目。見たくない。

「先程も申し上げましたが・・・やはり、緋天さんの精神的な脆さは気になります。私は見たことがないのでまだ何とも言えませんが・・・その・・・何かあった時に、周りが判らなくなるほど混乱してしまうのは。いざという時に困るのではないでしょうか、最悪の場合、心が壊れてしまいます」

 彼女が安心するのは蒼羽だけなのに。彼がいない時に、また以前のように悪戯に傷付けられたら。一体どうするのだろう。

 ふう、と溜息が耳に聞こえた。眉をしかめた顔。笑顔を消したこの表情が本心なのだ。目を細めてこちらを見る彼は、何か言おうと口を開きかけて首を振った。

「・・・。そうならないように努力はしているけどね。正直何とも言えないな、今の状況じゃ。でも寂しいって口に出さずに頑張ってるよ、緋天ちゃん。逆に蒼羽の方が必死になってる」

 そして彼はまた笑みを浮かべる。彼らの事は自分が一番良く判っているのだとでも言うように。

「どこ見てるの?」

「・・・え?」

 視界の中の彼の笑みの形を作っていた唇が少し引き締められる。

「上司と話をする時は、ちゃんと顔を見たほうがいいんじゃない?まあ、本当は相手が誰でも同じ事だけどね」

 失礼にならないようにと。顔を上げているのに。

 小さなテーブルの上を越えて、ベリルの腕が伸びてくる。

 触らないでと叫びたい。

「ほら。相手の目を見て話す。これ基本」

 頬から顎にかけて添えられた手に誘導されて、その青い目を見てしまう。

 だから嫌だったのに。

 覗いたその目の色は、記憶の中の人間と同じ深い青。今まで避けていた、こうして正面から目をじっと合わせる事、それはここ最近綻びかけていた糸を解くのに充分だった。

 

 

 

 

 瞬く間にアルジェの目に怯えが走り、そして何かに耐えるようにきつく目をつぶり、苦悶の表情を浮かべる。そんな反応をされるとは思っていなかった。同じ動作で頬を赤く染めるのが普通だろうと思っていた程で。

無理やりこちらに仰向かせていた、彼女の顔に触れた右手を思わず元に戻す。それぐらい、切羽詰った必死の顔。どうやら思った以上に、彼女の心の奥底をかきまぜてしまったようだった。

 

「・・・これは・・・アウトサイドならセクハラと言うところでしょうね、サー・クロム」

 乗り切った。ゆっくりと開かれた目はこちらを見ているが、何の感情も見せていない。溢れ出そうとする激情を抑え込んだ彼女は、無機質な声でそう告げる。

「ごめん、でも相手の目を見た方がいいっていうのは本当だから」

 そろそろ引き上げ時だ。これ以上の会話は彼女を危うい場所へと追い詰める。それこそ緋天と同じ様に。アルジェが緋天の精神的脆さを挙げた時、それは君も同じだと言いたかったが、口に出す事は憚られた。

「何かあったらいつでも言って。どんなに小さな事でもいいから。君には報告する義務がある。私はそれを聞く義務がある。判った?」

「はい」

 

 従順な部下の態度。そんなアルジェの返事がどこか腹立たしかった。

 

 

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