25.

 

「こんにちは」

 ここを訪問するのは、初めての事だ。

 正直、ベリルには会いたくなかった。9月の半ばに、彼が自分の部屋へ書類を届けにやってきて。その時自分は、蒼羽と話をした後。彼の言葉は恐れていた程、心の内側をえぐる事はしなかった。けれども閉じ込めた記憶の扉をノックをするにはそれで充分で。駄目だと思えば思うほど、それを鮮明に頭に思い描き。そして抑えられない涙がこぼれてしまったのだ。

 それをベリルに気付かれ、何があったのかと問われ。

 曖昧に誤魔化したまま、それきりだ。

 その後も顔を合わせはしたが、必ず誰かが周りにいる時に話をするようにと気をつけていたので。彼の方も仕事の話しか口にしない。忘れてくれた、と思いたい。けれどもそれは甘い期待なのだと充分承知している。彼の評判は、その優秀さは、誰もが知っている。

「アルジェさん、こんにちは」

 開かれていた玄関の扉から、中に向かって声をかけて。しばらくしてパタパタと足音が近付いてきて。その持ち主が満面の笑みで出迎えてくれた。

「アルジェさんが来てくれて嬉しいです。女の子他にいなかったから」

 にっこりしながら、そう言う彼女に導かれ。奥へと入る。

「アルジェ遅いっ。お前が最後だぞ」

 ひとつ廊下の角を曲がったところで、その奥から腕を組んだ少年が出て、こちらは不満そうな顔で出迎えられた。

「ごめんなさい。家を出るのが遅くなっちゃって」

「まあいいや。早く来いよ」

 手を引っ張られ、明るい光の漏れる部屋へと案内された。後ろから相変わらずにこにこしている緋天がついてくる。

「あー、アルジェさん遅いじゃん。オレ、迎えに行った方が良かった?」

 広いフローリングの空間に置かれたソファから、真っ赤な髪のフェンネルが、その頭だけをこちらに仰け反らせて、真っ先に口を開く。その周りには、見慣れない数人の男性。その誰もが自分に視線を向けていた。

 

「・・・いらっしゃい」

 右手から、聞き覚えのある声が発せられて。そちらに目を向けるとカウンター。そこからベリルが出てきて、笑みを浮かべていた。

「あ、お招きありがとうございます。お言葉に甘えてお邪魔させて頂きました」

 礼儀に倣って頭を下げる。それに苦笑した彼は、ソファからこちらを見ている数人に向かって口を開く。

「センターでアウトサイドの専門家として、本部から呼ばれて来たアルジェ。緋天ちゃんについてのあれこれを引き受ける仕事だから、これからは当然ここを通る事もあると思うんだ。顔を覚えてあげて」

「アルジェと申します。よろしくお願いします」

 彼の言葉に続いて頭を下げる。フェンネル以外の男達は、つられて頭を下げた。

「フェンの横にいるのがマロウ。で、そっちにいるのがクレナタとストック。全員、門番隊」

 ベリルの紹介にそれぞれが挨拶を口にする。シンの歓迎会だと聞いていたので、自分より高位の者ばかりが集まると思っていた。それなのに、フェンネル以外は門番隊の人間しかいない状況に、内心驚く。

「他の門番はみんな仕事だから駄目だったんだよ。まあ、蒼羽が親交を築いているのは、フェンネルだけだね、悲しい事に」

「それも怪しいっすよ、かなり。あいつ、最近は緋天ちゃんにべったりだから。な、緋天ちゃん」

「そんな事ないですってば」

 赤くなって必死で否定する緋天に、門番である3人は笑いを漏らす。なんとなく、アットホームな感じがして、目を逸らしたくなった。ここにいる人間の中で、自分は完全に異質な存在だ。センターの他の人間が1人もいないのに、何故自分はここにいるのだろう。

「アルジェ、こっち座れよ」

 この場の居心地の悪さに耐えられなくなりそうになった時、シンが右側のソファに招いてくれる。ほっとして彼の横に腰を下ろした。

「ていうかさ、ぶっちゃけ、ただの飲み会だから、これ」

「何だよっ、アルジェはオレの為に来たんだぞ」

 フェンネルが笑いながらそう言った所へ、シンが反論する。

「だって、お前、昔から蒼羽の周りちょろちょろしてたから、歓迎会も何もないだろ。センターの奴らだってほとんどお前の事知ってんだろ?」

「そうだけど・・・でもアルジェはオレの為に来たんだよっ、お前らみたいにタダ食いする為に来た訳じゃねえもん。な?」

「え?・・・私は歓迎会と聞いていたから・・・」

「ほら見ろ」

「ふふ。アルジェさん、何飲みますか?」

 シンが得意そうな顔になったところで、後ろから緋天の声が降ってくる。他の人間はそれぞれ手にアルコールらしきグラスを持っている事に気付く。もう、大分くつろいでいるようだった。

「ベリルさんが作ってくれますよ。今日はバーテンのコスプレだから」

 彼女の視線を追うと、カウンターの奥で微かに彼が笑う。盛装しているのかと思っていたが、どうやら何かの余興でそんな格好をしているらしい。

「どういうのが好き?何でもどうぞ」

 青い目が笑みの形で自分を見る。とりあえず今日は何も追及しないという事だろうか。彼とは初めてセンターで顔を会わせた時に、厄介な事にその怒りを引き起こしてしまったので、どうもやりにくい。

「え、っと・・・」

 どういう訳かいつものように口が回らないのだ。何もかも見透かされているような気さえして、センターで他の男性を相手にするように笑みを浮かべて調子のいい事を口にできなくなる。

「水色のがいい。アルジェの目と同じ色だもんな」

 シンが横から口を出す。彼のようにベリルに対して、くだけた口調で話す事もはばかられる。蒼羽とは、言わば級友のような感覚でいるので、彼が自分より高位であると判っていても、以前からの言葉遣いを改める事はしなかった。だがベリルに対しては、いくら他のセンターの人間が気軽に彼に話しかけていようと、自分はそれに倣えない。家柄、地位、それらが全てを支配する。

「了解。特に希望がなければそれでいい?」

「・・・はい。お願いします」

「はは。アルジェさん、いっつもそんな話し方なの?なんか上司と部下、って感じ」

 フェンネルがテーブルに置かれた、野菜スティックをつまんでベリルをそれで指す。横にいたマロウも笑ってそれに頷いた。

「ですよね。ベリルさんがものすごく偉い人に見えますよ。本当は偉いんですけど」

「君達好き放題言ってくれるね。アルジェは立場的にそういう話し方になっちゃうんだよ。まだ慣れてないし」

 小気味いい音を立てて、シェイカーを振っていた彼がその手を止める。

「緋天ちゃん、そこのグラス取って」

 カウンターの中で忙しく動いていた緋天を捕まえて。受け取ったグラスに中身を注ぐ。

「わ、あ。きれーい」

 その手元は見えないが、緋天の声ににっこりと笑う彼の顔は見えた。

 金の髪と青い目の、その組み合わせは。自分の中に問答無用でわだかまりを作り出す。消し去る事のできない痛みを、否応なしに思い出させてくれる、彼の外観が嫌いだ。その惜しみない笑みも。

「はい。どうぞ」

「・・・ありがとうございます」

「おぉー、なんかオレらのとは明らかに違うけど。さすがフェミニスト」

 ベリルの手渡してくれたグラスには、上から下へと美しい水色のグラデーションを作る液体で満たされていた。フェンネルのからかいの声が笑いを誘う。確かにベリルの物腰は柔らかで、誰でも簡単に彼の手中に収まるのだろう。

「じゃあ、全員揃ったから始めるよ?って言ってもフェンはかなりもう飲んでるけどね。はい、シン。皆様にご挨拶」

「おう、頑張れ、ちびっこ予報士」

「うるせー。ちび言うな」

 立ち上がったシンがフェンネルの頭をはたいて、そして全員の注目を集めている事を確かめる。

「っと。かなり怪しいけど、一応オレの為に集まってくれてありがとう。まだ本当の予報士じゃないけど、蒼羽の代わりは立派に果たします。んで、蒼羽が帰って来た時には、誉めてもらうように頑張るよ」

「何だそりゃ、蒼羽が誉めるかな。まあ、いいや。じゃあシンの着任を祝って乾杯〜」

 フェンネルが引き継いだ言葉に、皆が一様に笑みを漏らして、グラスをぶつける。口をつけたそのカクテルは、酸味がきいて飲みやすい。

「今日のメインは手巻き寿司でーす。緋天ちゃんがいなかったら、一生食べれなかったものなので、皆味わって食べるように」

 米が入った大きな鉢をベリルがテーブルに置く。大皿に乗った他の料理も次々にテーブルを埋め尽くした。

「緋天ちゃんがお手本に作ってくれるから、真似して食べて」

「まず、のりを用意して〜・・・」

 相変わらずにこにこしながら、彼女が説明と共に手を動かす。クレープのように、きれいに中身を見せて巻き終えたそれを、緋天は皆に見せた。

「はい、これでできあがりです」

「おー、それ、オレに頂戴。第1号」

 フェンネルの言葉に頷きかけた彼女は、首を振って笑う。

「やっぱりダメ。一番はシン君の。主役だし。はい」

「緋天にしては気がきくな。でもオレ、魚嫌いだからいらない」

「まあ、ひとつぐらい食べてごらんよ。せっかく緋天ちゃんが作ってくれたんだからさ。罰が当たるよ。蒼羽の」

「ち、しょうがねーな。食ってやるよ」

「どうでもいいけど、お前は偉そうだな。変な所まで蒼羽に似なくてもいいのに」

 口一杯に手渡されたそれを頬張る彼の顔は、裏も何もない。自然に笑みがこぼれて、ほっとした。

「・・・これなら食べれる。緋天、もっと作れ」

「うん。次、どれがいい?」

「緋天ちゃんも何気に使われてるし。少しは疑問を感じろよ」

「いいのっ。フェンさんは黙ってて」

「お、強気に出たな。今日は蒼羽いないのに、そんな事言っちゃって言い訳?このオレに盾突くとはいい度胸だ」

「フェン、うるさい。緋天、次あれ」

 緋天に絡むフェンネルに、シンが横から口を挟む。

「うわ、今の言い方、蒼羽にそっくり」

 嬉しそうにシンの指差した具を入れて、手早く作って彼に手渡す緋天を見て、何とか間が持ちそうだ、と。ベリルと気まずくなることはなさそうだ、と。少しの安心感が訪れて、緊張していた肩の力が、半分抜けたのが判った。

 

 

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