23.

 

 この世界では見た覚えのない、黒髪。

 けれども目の色は、こげ茶のふちに、金に近い薄い茶。

 変声期はまだ迎えていないらしく、発せられる声はあどけない。

 自信に満ちた、顔。子供の態度のまま、大人の仕事をこなす。

 

 そんな彼は、朝から晩まで蒼羽にべったりだった。

 

 

 

 

「緋天ちゃん、お帰り〜」

 ベースに戻ると陽気な笑顔でベリルが出迎える。

「ただいまっ。蒼羽さんは帰ってきました?」

 早足でセンターからここまで歩いてきたので。額に汗がにじむ。苦笑して首を振ったベリルの手に招かれて、カウンターの椅子に座った。

「今日はさすがにそろそろ帰ってくると思うよ。蒼羽も苛々してたし。顔には出してないけど。ほら、仕事の事でまとわりつかれたら邪険にするわけにもいかないからね」

「う〜、頭では判ってるんですけど。この一週間でシン君に全部引き継ぐんだから、って。でもなんか・・・」

「シンに邪魔されてる気がする?」

「・・・はい」

 目の前で笑うベリルが、冷えたグラスを差し出した。柑橘系の爽やかな香りが漂う。

「まあ、これでも飲んで蒼羽が帰ってくるの待ってて。もし、帰って緋天ちゃんがいなかったら、蒼羽もそろそろ暴力に訴えるかもしれないよ」

「・・・ありがとうございマス」

 

 

 シンがやってきた、金曜日。

 ベースに辿り着くなり、蒼羽とベリルに矢継ぎ早に仕事の質問を浴びせかけて。シンのその態度に完全に仕事に引き戻された蒼羽は、軽く口付けを落として、ベースから自分を送り出した。扉を出た所で一度振り返ると、彼は微笑をくれたけれど、すぐにその視線の間をシンの小さな体で遮られて。

 どうやら自分は蒼羽にふさわしくない、と。シンにそう思われているらしい。はっきりとした言葉でそう言ったのは、センターで会った時だけ。けれども、シンの視線や態度が、自分が蒼羽に近付くと牽制をかけてくる。

土日を挟んで、昨日、月曜日にベースへ出勤すると。蒼羽とシンはもう外に出掛けていて。聞けば土日も朝早くから夜遅くまで、2人で忙しく動き回っていたらしい。結局昨日は1度も蒼羽に会えず、家に帰った。今朝も会う事ができなくて。3日も蒼羽に会えないとなると、禁断症状も表に出てしまうらしく、こうしてベリルもそれを承知で落ち着かせようとしてくれる。

 

「・・・ベリルさんは、蒼羽さんが付き合うなら、どんな人だと思ってました?やっぱり綺麗な人?」

 とんとんとリズム良く、にんじんに包丁を入れていたベリルは顔を上げて、また笑顔を見せる。

「うーん。そもそも蒼羽が誰かと付き合う、っていう事をあまり想像した事がないから。前のままの蒼羽なら、誰かと付き合う事になっても絶対続かない、っていう確信は持ってたけどね」

「じゃあ、他の人は?蒼羽さんがあたしと付き合いだして、つりあわない、って思ってる人、いっぱいいると思いませんか?」

 ふう、とため息が聞こえる。そして楽しそうに笑う声。

「すっかり恋する乙女だね、緋天ちゃん。確かにね。蒼羽の外見と地位だけを見てる人はさ、蒼羽に似合うのはゴージャスな美人だ、って思ってるだろうな。だけどね。蒼羽に近い人は皆、緋天ちゃんで良かったと思っているよ」

「・・・ベリルさんも?」

 一点の曇りもないその笑顔で頷くその姿に、少々照れくさくなって。視線をジュースの上に移した。

「それにね。緋天ちゃんはゴージャスな美人ではないけど、可愛いよ?」

「・・・ゴージャスな美人の方がいいな」

 可愛いと言ってくれるのは、とてもとても嬉しいけれど。

 美男美女でお似合いだ、と言われるような美人になりたい。

「困ったもんだね・・・ああ、そうだ。ほら、フェンに言われなかった?緋天ちゃんがそうやって1人で悩んでても、それを見た蒼羽がおかしくなるんだよ」

 フェンネルとベリルの間で、どうやら話が通じているらしい。夏の昼下がり、フェンネルと話していた内容をベリルが持ち出した。

「そういう不安は」

 うつむいていた頬に、ふいに長い指の感触。そのまま横を、扉の方向に顔を向けられて。

「・・・本人に解消してもらえ、ってね」

 視界に入る、ガラス扉。

 その向こうに映るのは、待ち望んでいた彼の姿。

 

 

「緋天」

「お帰り。今日の夕飯はハンバーグでーす」

「やったぁ!肉だ!!」

 無邪気に喜ぶシンの体の後ろから、蒼羽が手を伸ばす。椅子から下りるのを待たずに、その手が腰を引っ張った。

「あっ、明日雨降ったら流れるんだ。蒼羽、オレ鳥飛ばしたい。呼び方教えろ」

 髪にキスが降りると同時に、早口なシンの言葉が響いた。

「〜〜〜っ、お前は・・・」

「私が教えるよ。シン、こっちだよ」

 蒼羽の唸るような声が頭の上に降ってきたと思えば、ベリルがカウンターから出て、玄関へと向かう。ウィンクした笑い顔がこちらを向いていた。体を離した蒼羽が満足そうに頷いて、対照的に不満げな顔のシンの背中をベリルが押して。大きな体と小さな体が視界から消える。

 手を引かれてソファに座る。

「・・・やらなきゃいけない事があるのに、緋天に触れないせいで、随分気が散った」

 嘆息しながら蒼羽の手は先程ベリルが触れた右の頬を包み込む。そのまま口付けが降りてくると思ったのに、蒼羽はじっとこちらの目を見つめる。

「どうした?何を気にしてる?」

「え・・・?」

 強い視線は柔らかい微笑へと変わり。唇の上を親指がゆるりと撫でる。

「ベリルが。緋天をどうにかしてやれ、って顔をしてた」

 思いがけず発せられたその言葉は、ベリルと蒼羽があの一瞬で、目線だけの会話をしたのだという事実を示していた。

「何も、」

「嘘を吐くな」

 驚きと一緒に何もないと言いかけて、蒼羽の声が重なる。言わなくてもどうせベリルから今日話していた事は伝わってしまうのだと気付いて、正直に言うことにする。

「・・・蒼羽さんの隣にはね。ゴージャスな美人さんが似合う、って思ってる人が多いと思ったの」

 蒼羽の指が唇に乗ったまま。一気に吐き出して、逃れられなかった視線から、ようやく目を逸らした。

「そんな奴らは全く関係ないだろう?勝手な思い込みだ。放っておけばいい。シンはまだ緋天に慣れていないだけだ」

 きっと全く同じ事をベリルが口にしても、それはこれほど自分の中にすんなりと吸収できないのだろうと思った。蒼羽が言うから。本当に気にする事なんて何もないのだ、と安心できる。

「・・・緋天」

 促すような声に、もう一度蒼羽と視線を合わせて。先程まで頭の中を我が物顔で廻っていた、他人の評価に対する不安がきれいに溶けたのが判った。笑みの形に変わる蒼羽の唇が降りてくる。漂うこの甘い流れに身をまかせていたいのだけれど。

「緋天。もうあまり、こんな風に時間が取れない。何か言いたい事があったら今の内に全部言って欲しい」

 あと3日。

 土曜日になれば蒼羽はイギリスに行ってしまう。心なしか唇を離した蒼羽の顔にも焦りが見えた気がした。

「・・・大丈夫。ベリルさんもいるし。アルジェさんも。シン君も。1人じゃないもん」

 2週間ほど前の、漠然とした不安も。忙しい人達を見ていると、こんな事ではいけない、ただ蒼羽を煩わすだけなのだから、と。少しばかりのやる気が掘り起こされて。ぼんやりして涙を流しているだけの、我侭な自分から抜け出さなくては、ここに残る意味がない。

「お土産。買ってきて欲しいな・・・」

「ん。何がいい?」

 もう一度、大丈夫だと言う代わりに。蒼羽が向かう国へと考えをめぐらせ、そう言った。右の頬を包んでいた蒼羽の手が滑り落ちて、鎖骨の上から髪をすくう。しばらくそのひとつかみの髪を、確かめるように手の中で遊ばせてから、蒼羽の唇はそこへ落とされた。

「・・・やっぱりお茶かなぁ。おいしそうなの、買ってきて?」

 緩慢なその動きに、我を忘れそうになる。それでも必死で紡ぎだしたその言葉に、蒼羽は微笑んで。こちらの気持ちを見透かした上で頷いた。

「金曜は帰るな。外に行くから」

「え、だって・・・シン君は?いいの?」

 瞬時に蒼羽の考えが読めてしまい、戸惑いと、嬉しさと。こんな事は少し前の自分は知りもしなかったのに、という驚きと、あとを追う羞恥。

「いい。前日の夜に慌てる位なら、初めから何もさせない。それに」

 言葉を切った蒼羽が、意地の悪い笑みを浮かべて目を覗き込んでくる。

「・・・夜は、子供が寝る時間だろう?」

 蒼羽の狙い通りに真っ赤になってしまうのを、何とか防ごうとしたのだけれど。指に絡めていた髪をといて、耳の縁をその手でなぞり。最後にその後を唇が追って、偶然のように舌がほんの少し触れると。壊れた機械が熱を発するかのごとく。それを止める事ができなかった。

 

 

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