13.
「・・・っ、どうしよう」
バスタブに身を沈めて膝を抱える。食事を始めるまでは楽しい気分で話をしていたはずだった。少なくとも表向きには。実際に楽しい時間を味わっていた。それなのに蒼羽がイギリスへ行くという話をしてから、自分でも驚くくらいに変な態度を、蒼羽が困るような反応を見せてしまって。しかもそれを抑えられずに、苦し紛れに昼間のアルジェとの話に集中しようとそちらに力をそそいでいたら、ついに蒼羽を怒らせてしまった。
きっと本当は昨日の夜、電話を一方的に切ってしまった時から。蒼羽は怒っていたのだと思う。それが朝、自分が泣き喚いたせいでそれをなだめるのに精一杯で。蒼羽はなるべく自分を笑顔に保とうと気を遣っていたのに、真面目に話をしようとする彼から逃げてしまって、そんな臆病な行動を後悔する。
「っ、ぅ〜〜〜」
そして涙が勝手にあふれて、目のまわりにまた痛みが走る。朝から何故こんなに涙が出るのだろうと、泣けば蒼羽はまた困ってしまうのだと思いながらも、簡単には止められなかった。
どうにかそれがおさまる頃には、蒼羽とちゃんと話をしなければと思うようになって。ようやく浴室を後にする事ができた。
「蒼羽さ、・・・」
リビングに戻って蒼羽の名前を呼ぶ。
きっとパジャマ代わりだと思われる黒のTシャツと綿のオリーブ色のパンツという楽な服装で、ソファに深く腰掛けて足を組んで目をつぶっていた蒼羽がちらりとこちらを見た。
その視線に背筋が凍りつく。いつものように微笑んで手を伸ばしてくる蒼羽はどこにもいなかった。
「・・・っ」
またしても涙が浮かび上がってきて、必死でそれを押さえ込んでいると苦虫を潰したような表情で蒼羽がため息をつく。
「緋天・・・」
凍りついたまま体は動かない。
「・・・緋天は平気なのか?」
蒼羽が言った言葉になんとか首を振って答える。総会の間、平気でいられるかと聞いてきているのだ。
「っ、ちゃんとする、から・・・っご、めんなさ」
「謝るな。何度言えば判る?」
冷たく静かな声で蒼羽が言葉を紡ぐ。想像していた以上に彼を怒らせてしまった事に、もう本当にどうしていいか判らなくなった。
「・・・俺は平気じゃない。俺が知らない間に緋天が他の誰かに触れられたり、怖い思いをするのが嫌だ。そういう危険性を否定できない。それがなくても緋天と離れるのは我慢できない」
蒼羽が斜めに自分を見上げていた。
「それなのにお前はまた自分の言いたい事を飲み込んだ。今朝、判ってくれたと思ったのに。緋天はどう思ってる?どうしたい?」
厳しい口調はそのままだった。だけど蒼羽は自分の事を思ってくれているのはしっかりと感じる事ができて。
「・・・蒼羽さん、がいないのは寂しい、けど。だけど・・・一緒、には行かない。1人でも、ちゃんとやりたい。・・・だってそんな風に甘えたくないもん。そういう甘え方は、違う気がするの・・・」
湯船の中で漠然と思っていた事をようやく伝える事ができて、蒼羽の表情を伺う。
「・・・・・・判った」
ぽつりと蒼羽が一言呟く。少しだけ和らいだ声になっている事に気付いて、多分自分の正直な気持ちは伝わったのだと思った。静かに蒼羽が右腕を伸ばしたので、それを確信して固くなった体を動かせた。
「・・・・・・この状態のまま緋天を置いていきたくなかったんだ。ちゃんとしておきたかったから」
耳元で蒼羽がため息と一緒に、小さな声で囁いた。ごめん、と耳に響く音に電気が走る。そして自分も素直に言葉が出た。
「・・・ややこしくしてごめんなさい」
「全くだ」
苦笑まじりの声と唇がまた耳に触れた。今度は謝るなと言われず、蒼羽はもう怒っていないと判る。背中に置かれた手が暖かい。蒼羽の膝の上で首元に顔をうずめて、そして今は2人だけで。
「っ・・・」
ゆっくり蒼羽の唇が耳の縁を這う。そのまま首筋を伝ってようやくキスが降りてきた。心のどこかでそれを待ちわびていて、そして満たされた自分がいた。
「ん、蒼羽さ、・・・ここじゃ、や」
緋天のパジャマのボタンをひとつ外した時、唇を離した緋天が目を伏せたまま言った。普段緋天が家族と団欒する場で彼女に手を出しかけた事に気付く。緋天が嫌がるのも当然だと納得して、それから拒否をしていない事実に嬉しくなる。
抱き上げると首に緋天の手が回った。肩の上でその息遣いを感じて足の進みも速くなる。気にかかっていた事を片付けて、緋天本人の気持ちもちゃんと聞く事ができて、大分軽い気分になっていた。少なくとも緋天が素直になってくれた事が、総会に1人で行く重い気分を半減させた。
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