12.

 

「アルジェさんすごいー!何で判ったんですか?」

 3時間ほど前に緋天を送り届けた部屋の扉を開けた瞬間、緋天の嬉しそうな横顔が目に入った。その視線の先に微笑を浮かべたアルジェ。

「ふふ。まあ、蒼羽なら適当に計算してくると思って。ね、帰り支度してて良かったでしょ?」

「はい!」

 ソファから立ち上がった緋天がこちらに向かってくるのを、腕を伸ばして引き寄せる。

「蒼羽さん、ちゃんとお昼寝できた?」

「ん」

 昼間に別れたときより少し顔色が良くなったのを確かめて、アルジェに目を向けると、彼女は片目をつぶって見せてから口を開いた。

「じゃあ緋天さん。また明日来てね。何時でもいいから」

「はーい。お疲れ様でした」

 

 2人の打ち解けた様子を目の当たりにして、かなり戸惑いを感じてしまう。自分の知っているアルジェは、そもそも誰とでもすぐに気楽に話をするような性格ではなかった、と過去の記憶からもそう判断していたのだ。にこやかに手を振るアルジェを振り返っている緋天がようやく前を向いて歩き出した所で、その右手をつかむ。廊下の角を曲がりきってからもう一度緋天の顔を覗き込んだ。

「・・・顔色が良くなってる。疲れなかったか?」

 赤く腫れた目のまわりは昼間のままなのに、その頬には血の気が戻っているし、ぼんやりしている様子もなかった。

「アルジェさんがね、今日は難しい話はやめましょう、って。お茶しながらおしゃべりしてたら、眠くなってね。マルベリーさんがタオルケットみたいの掛けてくれたのは覚えてるんだけど・・・1時間は寝てたみたい」

 そう恥ずかしそうに話す緋天を見て、緋天を休ませてくれたアルジェに感謝の気持ちが芽生えると同時に、その寝顔をマルベリーに見られた事に苛立ちも湧いた。

「だから結局、アルジェさんのお仕事邪魔しただけになっちゃった・・・でもすっごく楽しかった」

「・・・何話してたんだ?」

「ふふー。色々。秘密」

 とりあえず本当に嬉しそうにする緋天にほっとして、センターを後にした。

 

 

 

 

「蒼羽さん、その袋、なあに?」

 家に送ってもらう為に、蒼羽と2人でベースを出ようとしていると、ガラス扉の横に置いてあった少し大きめの紙袋を蒼羽が持ち上げた。いつも彼は外に行く時、財布と携帯くらいしか持たないのでだいたい手ぶらで。違和感を感じてすかさず聞いてしまった。

「着替えとか」

「え、何かあるの?」

 短く答えた蒼羽にその意味を問う。すると彼は怪訝な顔を一瞬見せて、ああ、とつぶやいて笑顔になる。

「今日は緋天の家に泊まるから。祥子さんにも連絡しておいたし」

「・・・は?っっええ!?」

「頼んだつもりだったのに、逆に頼まれた」

「え、何で、お母さん?ええ?何で名前?」

 何故自分の知らないところで、いつの間にそんな話になっていたのか。おまけに蒼羽は何で母親の事を名前で呼ぶようになっているのか。ぐるぐると疑問が頭を廻って、何から質問すればいいのか判らなくなる。

「緋天ちゃんがいない間に、蒼羽がお母さんに電話かけたんだよ。番号は知ってたからね。そしたら2つ返事でさ。なんかご機嫌だったよ。名前で呼ぶように蒼羽に言ってたよ」

 横からベリルが知りたい事を答えてくれた。途端に恥ずかしさやら何やら、得体のしれない気分で押しつぶされる。

「遅くなるから。行くぞ」

 笑みを浮かべる蒼羽が手を軽く引っ張って先を急がせた。前もって知っていれば、家の中を掃除したりしてきたのに、と少し悔しい気持ちになる。けれども蒼羽がそれを決めたのは、間違いなく自分が大泣きして理不尽に喚いたせいだろうと思い当たって。素直に蒼羽の優しさに甘えるしかなかった。

「どうした?」

 それでも今日は蒼羽が傍にいてくれると思うと、どうしようもなく嬉しくなって、浮ついてくる心を必死で抑える。柔らかな声でこちらを伺う蒼羽の手を少し振ってみてから後ろを振り返ると、ベリルの苦笑する顔が目に入った。

 

「夜ご飯、何がいいかなあ?」

 照れ隠しに前を向き直してつぶやく。アーケードの中は夕飯の買い物客で混雑していた。

「買い物して帰るか?」

「ん、どうしよう・・・」

 蒼羽が人の合間をうまく移動して自分を誘導していく。ぼんやり冷蔵庫の中身を思い描いて歩いていると、商店街の切れ目近くに魚屋が目に入った。

「・・・あ、手巻き寿司とか食べたいかも。蒼羽さんお刺身食べれたよね?この前、家でご飯食べた時」

「ああ」

「お寿司でいい?別のでもいいよ」

「ん」

 にっこり頷く蒼羽を目にした所で、魚屋の前で立ち止まる。もの珍しそうな顔をする蒼羽の手を離して、店の主人に何種類か切り身を分けてもらうように頼んだ。

「はいよー、お嬢さんかわいいからタコおまけ」

「わー、ありがとうございます!」

 人好きのする笑顔の主人がそう言って袋を渡してくれた。その連れ合いだろうと思われる女性がレジを叩きながら笑う。

「あら、だめよ。後ろで彼氏が怒ってるわ」

「ええ?」

 支払いを済ませて後ろを向くと、無表情ではあるが別に怒っているようには見えなくて。

「蒼羽さん?見てー、オマケ貰ったよ」

 傍に寄って袋を見せると微笑してその袋を取り上げてくれる。

「あ、ありがとう」

 手をつなぎ直して歩き出すと、レジの前で店の女性が頬を染めているのが見えた。

 

 

 

 

「・・・おいしい?」

 向かい合わせに座った緋天が上目遣いにこちらをじっと見ていた。リビングのソファの向こうからTVの音が流れてくる。テーブルを挟んだ緋天との距離がもどかしく感じてしまうほどに、その表情を見て愛しさが高まった。目の前にはきれいに並ぶ刺身類。

「ん」

 時刻は午後7時。緋天が食事の支度をする間にシャワーを浴びて、少々熱を持った体にエアコンの送風が気持ちいい。

「緋天」

 自分の返事に嬉しそうにする緋天に手を出して我を忘れてしまう前に、言わなければいけない事を先に伝えてしまおうと決心する。

「・・・来月イギリスに行かないと駄目なんだ」

「え?・・・アルジェさんが?」

 突然言い出したせいで緋天が首を傾げる。つい先程までは緋天が今日のアルジェとの話を楽しげに話していたのだから。そう取ってしまっても不思議はない。

「違う。俺が」

 首を振って詳しい内容を説明する。目の前の緋天の手は食事を続ける事を止めて、その表情からは笑顔が消えていた。

「総会が・・・予報士が集まる研修会みたいなものがあって、1年に3回ある内の2回は絶対出席するように言われてる。次にあるのが来月だから」

「それって・・・いつからあるの?」

「10月の頭から3週間」

「え・・・その間、ヴィオランさんがまた来てくれるのかな」

 静かな声で問いかけてくる緋天にまた首を振る。

「ヴィオランでもいいけど。今回は期間が長いから・・・違う奴を呼ぶつもりなんだ。この仕事がうまく出来たら正式に予報士として登録できるような奴がいるから」

「そっか」

 そう言って黙る緋天が、この事をどう受け止めているか判らなくて。

「・・・緋天も来るか?」

「っ・・・そんな事してもいいの?」

 ほんの一瞬顔を輝かせた緋天が唇を噛みしめる。

「本当は連れて行きたいんだ。だけどほとんど一緒にいられないと思う。緋天がそれでいいなら行こう」

「・・・じゃあ、いい。行かない。それに3週間も休めないよ。アルジェさんも困っちゃうし」

 そう言って笑う緋天に、心の奥でほっとする自分がいた。連れて行きたい、3週間も離れていたくないと強く思う反面、一緒に行けば緋天が嫌な思いをするであろう事も容易に想像ができた。

「何でイギリスでやるの?」

「ああ・・・センターの本部はイギリスの穴の裏にあるんだ」

「ふーん。イギリス、遠いね・・・」

 どこか上の空でつぶやいてから、ぽつりぽつりと総会の概要を聞いてきて、ついには口を閉ざして食事を終えてしまった。

 

「緋天」

 食器を流しへ運ぼうと立ち上がる緋天に声を掛けて、その手から皿を取り上げた。

「え、あ・・・ありがとう」

 皿を洗う事なら手伝えるから。なんとか緋天に笑顔に戻って欲しくて黙ってその仕事を手伝い始めた。背中から食事を始めた時と同じ歌番組の司会役の男の声が聞こえてくる。次いで静かなピアノの音。そして柔らかな、司会者とは違う男の歌声

「・・・あ、これ。アルジェさん、この歌好きなんだって。なんかこっちの流行とかすごい詳しくてびっくりした」

 左隣で小さな笑みを浮かべる緋天がいた。どうやらアルジェの話の続きを始めるようで。とりあえず黙り込んだ状態から脱した事にまたしてもほっとしてしまう。そして相槌を打つ自分に嫌悪感を感じて、この微妙な空気をどうにかしてしまいたかった。

「服とかもこっちのお店で買う事多いって。今度一緒にお買い物に連れてってもらうんだー」

 手元から視線を外さずに、一見楽しげに話を続ける緋天が泡のついた食器を次々に渡す。それを水ですすいで右側の食器かごに移す。2人分の食事だったし、2人で片付けているのだからあっという間にその作業は終わりを見せた。

「・・・それでアルジェさんもお茶好きでね。いろんなの見せてくれたの。カップもいっぱい持ってるんだよ」

「アルジェの話はもういい」

 最後の皿をかごに入れ終えても変わらず話を続ける緋天の、水に冷やされた手を取って強引に自分に向かせた。途端にびくりと体を強張らせるその反応に少なからず苛立ってしまう。朝から、正確には昨夜から緋天との歩調が合わないような気がして。朝に泣いた後、表面的にはいつもの様子に戻っているようだと錯覚を起こしかけたけれども、小さなわだかまりは未だ朝のまま、緋天の心に残っているようで。午後の内に姿を隠しかけたそれは、今の総会の話で大きさを増したのだと確信した。

「・・・緋天」

 ため息と共に吐き出してしまった自分の声に、何事もなかったかのように振る舞おうと、緋天が笑顔を浮かべる。けれどもその目には、いつかと同じで怯えの色が見えた。あの時も緋天の家で食事を取った後だったと記憶が甦る。

「なんか蒼羽さん怖い・・・あ、お風呂入ってくるね」

 細い手首をつかんだままでいると、緋天がそっと冷たい指でそれを解く。小さく苦笑してから緋天が自分の横をすり抜けた。捕まえるのは簡単だったが無理やりに従わせるのは気が引けて。何より“怖い”と言われた事が衝撃を与えて、今強引に緋天と話を続けようとすれば、乱暴に扱ってしまいそうで。それ以上動こうとするのを阻んだ。

 

 

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