9.

 

「君の言った通り、夜中に一度、目を覚ましてね。泣いていたんだ。すぐに、僕らがいるのを確認して、また眠ったんだけど。確かに、あれは普段のあの子とは違う。何かに怯えてるみたいだ」

 

朝、蒼羽が緋天を迎えに来て、玄関で夜の出来事を小声で話す。彼は眉間にしわを寄せて、うつむいた。

「本当は今日、会社に戻ろうと思っていたんだが。もう少し、家にいる事にしたよ。まあ、今は少し元気がない位で、いつもと変わらないんだけど。もし、君が気付いてくれなかったら、僕らも見過ごしていたよ。本当にありがとう」

「いえ。ご両親がいたら、今夜も安心ですね」

「今日の帰りは、僕が迎えに行くよ。映画にでも行こうと思って。それで、もし良ければ君も一緒に夕飯を食べないか?君がいたら、緋天の気も紛れるだろう」

 

「ええ?何でお父さん、蒼羽さんと話してるのー?」

ぱたぱたと足音がして、緋天が玄関にやってくる。

「何で、って・・・緋天がお世話になってるから、挨拶しないと。それに、今日の夜、一緒に夕食をどうかと思って、誘っていたんだ」

喜ぶかと思ったのに、なぜか緋天は困った顔で空を見上げる。

「駄目だよ。蒼羽さん、今日は忙しいから」

つられて空を見上げると、曇っていて。夕方から雨が降り始める、と朝のニュースで言っていた。

「ええ。申し訳ありませんが、今日は仕事がたてこんでいるので」

「そうか、残念だね。じゃあ、また次の機会に」

 

自分の言葉に蒼羽は少し微笑んでから、靴を履き終えた緋天を見下ろした。左腕を伸ばして彼女が立ち上がるのを助ける。彼にとっては自然な事なのだろう。けれども自分にとってはそれがとても特別に、まるで映画を見ているかのように映った。

「じゃあ、行ってきまーす。帰りに電話するね」

「あーん。待って待って。蒼羽さん、行ってらっしゃい」

 祥子がリビングから走ってきて、蒼羽に手を振る。

「何でお母さん、蒼羽さんに言うのー?」

「だって、蒼羽さんを見送るなんて、こんな事あんまりできないわよ。見慣れてる娘より、まず、カッコいい子が先でしょ」

「・・・もう。蒼羽さんも突っ込まなきゃ、うちのお母さん、調子に乗っちゃうよ」

 緋天が蒼羽を見上げると、彼はにっこり微笑む。

「あ、あぁぁ、ダメー。『蒼羽さんスマイル』になってるー。あ!お母さん、今の見ちゃった!?あーあ、もう」

不本意ながら。妻のみならず、男の自分までが一瞬彼のその笑顔に魅入られてしまった。

「そろそろ行きます。失礼しました」

腹立つ暇もなく、頭を下げて彼は車に向かう。助手席のドアを開けて、緋天が乗るのを待った。彼女があわてて駆け寄って、蒼羽はその背中を優しく押して、ドアを閉める。

 

もう一度自分に会釈してから、運転席に座る蒼羽を眺めて、改めて感心した。

「・・・なんか、本当にあの子は完璧だなぁ。なかなか、ああいう事はできないよ」 

「あぁ、素敵。やっぱり育ちが違うのね。イギリスは紳士の国だもの。それに、あの『蒼羽さんスマイル』は確かに危険だわ。緋天ちゃんが、力説してたのも、判るわぁ」  

 

 

 

 

「びっくりしたー。なんか敬語で話してる蒼羽さん、ベリルさんっぽかったよ」

車を走らせて、緋天が口を開く。

「昨日、ベリルに『礼儀正しい青年』って設定で、特訓させられたんだ。うまくできたか?」

「うん。すっごいかっこよかったよー。ドア開けられた時、紳士っぽかった。多分、お母さん達も驚いてる」

横目で彼女を見て、その笑顔を確認した。本当は目を見て問いかけたいが、運転に意識を向けながら大事な事を音に出す。

「・・・昨日はちゃんと眠れたか?」

「え・・・うん。一回起きちゃったけど、すぐに寝れた。昨日、一人で寝ないで、お母さん達と寝たよ」

緋天が正直に話した事に、少なからず安心する。ここでまた何もなかったと言われたら、どうしようかと思っていたのだ。

「今日、雨が降ったら、流れそう?」

「ああ・・・多分今日は流れない。穴の向こうは晴れてる」

「良かったー。やっぱり晴れてた方が気持ちいいよね」

 嬉しそうにするその表情が、自分が彼女の傍にいられる事に対してだといいと切に願ってしまう。

 自分だけを頼りにしてくれたら、甘えてきてくれたら。

 そんな事はありえないと判っているだけに、そうなったら自分は彼女を片時も手放す事ができなくなると確信する。想像を打ち切って。隣で微笑む緋天から、前方に視線を移した。

 

 

 

 

 

「緋天ちゃん、おはよう。ビデオ持ってきてくれたー?」

「持ってきましたよー。あとねー、今日はわらび餅の柚子バージョン作ってきましたよ。ベリルさん、食べたものしか作らないって聞いたし」

「あぁ!蒼羽から聞いたよ。気になってたんだ。食べたら作れるかも」

「じゃあ、これからどんどん、和食を作るからベリルさん食べて下さいよ。日本の味も結構おいしいですよ」

「あー、なんか新しい技を習得する事に燃えそう」

うっとりするベリルに、緋天は携帯を差し出す。

「ベリルさん、これ見てー。昨日、友達が撮って送ってくれたんです」

 携帯を受け取って、まじまじとその画面をベリルは見つめる。

「うわー・・・。これは・・・すごいね、何か映画のポスターみたいだ。これ、どうやって撮ったの?」

「携帯のカメラで撮ったんですけど。偶然、駅の灯りがうまく蒼羽さんに当たって。かっこいいでしょー?待ち受けにしたんですよ」

「携帯のカメラって・・・ああ、あの時・・・あっ!カメラ付きの携帯かー。私も欲しくなってきたよ。機種変更しようかな」

うっかり、口を滑らしたベリルが、あわてて話題を変える。

「あ、そうだ、ベリルさんの写真も撮っていいですか?友達に送りたいー。かっこいい人の写真のお礼返し」

「いいよー。あ、この服でいい?今日もアーミーだけど」

「あー、米軍兵のカリスマっぽくていいかも。じゃあ、撮りますよー。・・・はい」

「どれどれ。あ、いい感じだね。薄暗いバーで飲む、金髪の兵隊」

ベリルが笑ってうなずく。

「本当だー。これもかっこいいー。蒼羽さん、見て見てー」

緋天が携帯を持って、自分に見せる。少し横を向いたベリルが、そこに収まっていた。

「これがいいのか?」

「うん。かっこいいよー。蒼羽さんのも。昨日友達が撮ったやつ」

そう言って、ボタンをひとつ押して、画像が変わる。無機質な自分の顔が見えた。

「あぁ・・・昨日のはこれか。何でこれがいいんだ?」

「ええ?蒼羽さん、自分のかっこよさを判ってないー。もう。あー、これをそこの駅前で売ったら、すぐに売れそう。ベリルさんと合わせて、すごい人気になりそうだよー」

「おお、いいねー。サインとかしちゃったりして。一枚五百円位?」

「それは安すぎですよー、サイン入りは五千円は取れるはず」

 

 

 

 

 センターのいつもの部屋に到着して、蒼羽が自分を覗き込んでくる。

「帰りは俺かベリルが迎えに来るから。絶対一人になるな」

そこまでしなくても大丈夫、と答えようかと思ったが、彼のその真っ直ぐな視線に素直に頷いた。

「うん。ありがとう」

蒼羽は微笑してそれに答えて、頬に手をやってすばやくキスをして去って行く。

「・・・なんか、もうあれは蒼羽さんじゃない気がする・・・蒼羽さんの殻かぶった別人じゃないのか・・・?」

その光景を見ていたマルベリーが口を開く。それを聞いて周りの数人もうなずいた。恥ずかしくなって、下を向いていると後ろから声がかかった。

「緋天さん」

「あ、オーキッドさん・・・また見られてました・・・?」

「あはは。君達の動きはみんな見てるよ。まあ、蒼羽もそのうち落ち着くだろうから。しばらく付き合ってあげてくれないか?」

「はぁ・・・。ベリルさんにも同じような事言われました・・・」

「おや、ベリルは私に、さらにエスカレートしそうだ、と昨日言っていたよ。ああ、それより、今日は君の結晶を用意したんだ。こちらにおいで」

口元に微笑を浮かべたまま、オーキッドが促す。なんとなく、蒼羽がいなくなったのを、淋しく感じる自分に驚きながら、足を進めた。

 

 

 

 

「緋天ちゃん、いつも通りに見えたけど、あれは空元気だね」

 ベースに戻ると、カウンターからベリルが出てきて言った。

「ああ。親の前でも普通にしてたけど。やっぱり夜中に一度目を覚ましたって言ってた」

ベリルが厳しい顔をして、天井を見る。

「嫌な夢を見て起きるんだよね?それって何の夢なのかな?この前、熱を出した時も、お母さんがそう言ってたよ。うなされて、目が覚めたら泣いてるんだ、って。あれは怪物に会う前だから、関係ないのかな」

初めて聞くその話に、疑問がわきあがる。

「金曜の夜から、それが始まったのは、怖い気持ちが戻ってきたせいだろう・・・?それで不安定になってるから、嫌な夢を見るとして。じゃあ、この前熱を出した時は、何で同じような状態になってたんだ?」

「まあ、熱がある時は嫌な夢を見やすいけど。蒼羽の事を気にして、不安定になってたから、そのせいかな?」

自分のせいで彼女が熱を出してしまったのかと思うと、途端に苦いものがわきあがった。

「・・・。それなら、あいつの気持ちが不安定な時は、いつも嫌な夢を見てるって事か・・・?それにしては、目が覚めた時に怯えすぎだ。今までとは、違うんじゃないか?似てるかもしれないけど」

「そうだなぁ・・・。こればっかりは緋天ちゃんに聞かないと、内容は判らないし。今はこのまま様子を見るしかないかな」

ベリルが固くなった表情を戻してのんびりと言う。

「だけど。早く何とかしてやりたいんだ。ベリルは見てないから判らないけど、本当に異様に怯えるんだ。その瞬間、周りが見えてない。声をかけて、やっと気付く」

自分だけ、あの不安定極まりない彼女を見ているのだ。ベリルがどの程度、緋天の不安を理解しているのかは判らないが、もうこれ以上、泣きながら目を覚ます彼女を見たくなかった。

「・・・じゃあ、聞けそうな時に聞いてみよう。今日の帰りにでも。無理ならすぐに止める」

「ああ。それならベリルが帰りにセンターに迎えに行って聞いてみてくれ。そういうの得意だろう?」

「うん、まあね。君よりは。とりあえず、今日はその方向で」

「ん。そうだな」

うなずいて、昨日センターから持ち帰ったデータの紙の束を手に取って、めくりだした。それを見て、ベリルが困惑した顔になる。

「早い所、確認したいなぁ。今、怪物化しそうなアウトサイドいるか?明日も雨みたいだけどさ」

「・・・ああ。弱めの奴ならいるけど。怪物化するかしないか、微妙な所だな」

「じゃあ、今から行って、蒼羽がつっついてみれば?普通なら怒られるけど、緋天ちゃんの件の方を確かめる為なら、そっちの方が重要度が上だし」

ベリルが急にいたずらを思いついた子供のような表情をして、こちらを伺う。

「お前・・・よくそんな事思いつくな・・・。処分されるぞ」

「何言ってるんだよ。今は一刻を争うんだから。これが本当の事なら、上の人間だって目をつぶるさ」

手元の資料をカウンターに置いて、しばらく左手の人差し指の間接を噛んで、黙り込む。

「ちょっと吹き込んでさ。感情が爆発した後は、うまく言いくるめればいいじゃないか。外に感情を出したら、放心状態になるし」

 さらにベリルが言葉を続けた。確かに彼の言う通りだが、故意に緋天に危険が及ぶような事に決定を下すには抵抗があるのだ。

「それで私がセンターに緋天ちゃんといるから。結晶の反応がセンターに向かったらそれで確信できる。いつも柵の中で怪物化するんだから」

普通に暮らしていれば。こちらに来なければ。

緋天が怖い思いをするような事はないのだ。彼女が不安を覚えた時に、自分が一番近くにいてやりたいのに。今回はそうする事ができない。

「・・・その間、街の人間を外に出さないように統制できるか?センターの人間全員でやらないと無理だ。緋天がセンターの中にいるなら、怪物化するのは、建物の前だな・・・。いつもの警告じゃ駄目だ。レベルを一つ上にしろ」

 

 

 ベリルが口の端を上げる。

「やる気になったか?・・・決行は明日だ。降水確率は80%」

 

「・・・・・・お前がセンターに行って説明してこい」

少々どころか、かなりの規格外れな考えだとは思うが、確かめなければ解決の糸口に手が届かない。

「俺は今から、アウトサイドに探りを入れに行く」

 

 

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