29.

 

「ただいまー」

昨日は妹の子供を見に実家に帰った。そのまま泊まって、ベースに戻るとソファに座った蒼羽が、眉間にしわを寄せて自分を見た。何やら自分を待ち構えていたようで、緋天ならいざ知らず、その珍しい行動に驚いてしまう。

「昨日は私がいないからって、緋天ちゃんに変な事してないだろうね?」

「さあな」

 からかいまじりに声をかけると、蒼羽が薄く笑いながら答える。その笑みに緋天が心配になって、追求しようとした時、当の本人が扉を開けた。やはり緋天を待っていたようだ。

「おはようございまーす」

 即座に蒼羽が反応して、ソファから腕を伸ばす。

「おはよう緋天ちゃん。蒼羽はえらそうだなぁ。全く」

 その手に捕まえられていいものか、緋天が迷って立ちすくむと、蒼羽が立ち上がって、引き寄せながらキスを落とす。

 恋人同士の当たり前のあいさつだと思いながらも、そういう行動を取る蒼羽を目の当たりにすると、やはり驚かされた。

「センターに呼び出されてるんだ。すぐ戻ってくるから」

「うん。今日は蒼羽さんのお手伝いだから。待ってるね」

 名残惜しそうに緋天を離して、蒼羽が玄関へと向かう。緋天がそれを微笑んで見送っていた。

「・・・びっくりした。緋天ちゃんも普通にしてるし」

 蒼羽が去った後、思わずそう口にすると、緋天が苦笑いして答える。

「あー・・・。なんか慣れてきました。あまりにも自然なんで。外人さんみたいに、それが普通なんだー、って」

「そうか。緋天ちゃんは日本人だからね。って、私が驚いてるのは、蒼羽がああいう行動を取る事なんだけど」

 そう言うと、緋天が一瞬目を泳がせてからおずおずと切り出した。

「・・・ベリルさん、あの、蒼羽さんって今まで付き合ってた人いるんですか?」

「緋天ちゃん・・・それは絶対ないよ。ありえない。そもそも蒼羽が、他人に対してこんなにコミュニケーションを取ってるのは初めてなんだ」

 蒼羽がどれだけ他人と接していなかったかを、緋天は知らないのだ。彼が今までにない気遣いや優しさを向けるのは、緋天だけなのに。

「よく、判らない・・・。だって、蒼羽さん、すごく慣れてる感じがするんですけど?付き合ってる人がいなかったら、あんな自然にできないですよ・・・」

 視線を床に落とす緋天に、どう説明すればいいものか悩んでしまう。

「あのさ、とにかく蒼羽が本気で大事に思うのは、緋天ちゃんが初めてだから。そうだ、その手の事は私よりフェンに聞いた方が早いし確実だよ。今度聞いてみなよ」

 蒼羽がどれだけ緋天に執着しているか、長々と説明したくなったが、それはやめにして、フェンネルに上手く言ってもらう事にする。

「フェンさん?あ、そうですね、月曜日あたり服返しに行くから、その時聞いてみます」

 何かを考えているような顔で、片手でのどを押さえて緋天が答える。そこには淡いピンクのスカーフが巻かれていて、白いシャツの下に収まっていた。この季節に長袖のシャツとスカーフ。暑くはないのかと思って聞いてみる。

「緋天ちゃん、それ、暑くないの?」

「え・・・?あ、ちょっと、包帯とか傷が見えるのも嫌だったので」

 どこか上の空でそう答えてから、はっとした表情になって緋天が自分を見る。そのまま聞き流す事はできなかったので、その目を見返した。

「傷、って・・・何かあったの?」

「・・・あの、蒼羽さんから聞いて下さい」

 一瞬怯えた目をして、それから申し訳なさそうな声を出す。

 そこにはこれ以上踏み込めない空気を感じて、この話題は良くないと本能が告げる。緋天の言葉通り、後で蒼羽に聞く事にして違う話題を探す事に脳を働かせた。

 

 

 

 

「蒼羽、こっちだ」

 センターに着くなり、険しい声でオーキッドが手招きをする。昨日の件について呼び出されているのは判っているが、早く帰って緋天の側にいたい気持ちが先走ってしまう。普段はあまり使われない会議室に入って行くと、そこにはフェンネルと若い警備兵が席についていた。

 部屋に入った自分に気が付いて、眉をしかめたフェンネルが口を開いた。

「あの後、緋天ちゃんは大丈夫だったのかよ?」

「ああ。戻ってから判ったんだけど、割と早くにお前が見つけたみたいだな。だから未遂だ」

「っはー。良かったなぁ。オレはてっきり・・・。おいおい、ちょっと待て。って事は、どうなるんだ?」

 一度は嬉しそうな顔をして、それから元の表情に戻って警備兵の方を見やる。その様子をオーキッドが見て、両手を上げてみせた。

「待て待て。蒼羽、とりあえずお前も座れ」

 自分も席について、全員が落ち着いた事を確認するとオーキッドが話を始める。

「よし、いいか?蒼羽、ここにいるのはラビッジ。昨日の件に関わった警備兵の中で、彼が私達とのパイプ役をしてくれるそうだ」

 緊張したような固い表情で、ラビッジが頭を下げる。どこかで見た顔だと思っていると、フェンネルが声を上げた。

「おいー、蒼羽?同じ学校にいただろ?」

「ん・・・見覚えがある」

 そう答えると、ラビッジが微笑を浮かべて緊張を解くのが判った。

「それで、緋天さんは今どうしてる?」

 オーキッドが気遣わしげに問い掛けてくる。フェンネル達がどう報告したのかは判らないが、かなり詳しく説明されているのだろう。その顔には、めったに見ない怒りの表情が見え隠れしていた。

「今はもう落ち着いてます」

「・・・そうか。じゃあ、ラビッジ。さっきしていた話を、もう一度蒼羽にしてやってくれ」

 その言葉にうなずいて、ラビッジが話し始めた。

「昨日、あの後・・・蒼羽さん達が帰られた後に。緋天さんを襲った5人を取り調べたんです」

「・・・認めたのか?」

「いえ。何もしていない、と全員が言い続けていて。どうもプロットが、あ、黄色い目の男です・・・他の4人に言い含めたんだろうと、そう判断しました」

「だけど、蒼羽の話からすると緋天ちゃんは無事だったから、奴らは本当の事を言ってた」

 フェンネルが嫌悪感を表に出して言う。

「緋天が気にしていたんだ。未遂で終わったから、あいつらが罰せられるかどうか。それを教えてくれ」

「余罪もありそうなので、詳しくはまだ判りませんが・・・罰を受けた後もこの地方からの追放は確実だと思います」

「・・・判った。次に顔を見たら確実に殺す。そう伝えておいてくれ」

 聞きたい事は聞いたので、帰ろうと立ち上がる。

「蒼羽?もう帰るのか?」

「ああ。それだけ聞きに来たんだ。緋天を置いてきたから早く帰りたい」

「あ、そうか・・・。じゃあまたな」

「あの・・・スキンへッドの男を覚えていますか?」

 引き止めるように片手を上げて、ラビッジが言う。

「まだ何かあるのか?」

「ええ。奴がしきりに妙な事を言うんです。それが少し気になっていて。奴らが緋天さんを、その・・・、襲おうとした時に、急に緋天さんが消えかけた、と言い張るんです。それで驚いて何もせずに引き上げようとしたんだと。始めは嘘だと思っていたんですが、その場にいた他の2人も同じ事を言い出したので・・・」

 そこで言葉を切ると、助けを求めるかのように自分を仰ぎ見る。オーキッドが顔をしかめて、口を開いた。

「どうせ取調べを混乱させようとして、口裏を合わせているんだろう。気にする事はない」

 うなずいて見せると、フェンネルもラビッジにうなずく。

「そうだよ、ラビ。あんな奴らの言う事なんか気にしてたら、おかしくなるぜ。バシバシ取り調べてくれよ」

 そう言われてラビッジが苦笑する。

「変な事言って、引き止めてすみません。また何かあったらお知らせしますので」

「ああ、蒼羽。もし緋天さんが、しばらくこの辺りへ来たくないと言うなら、その通りにしてくれ。当分は蒼羽といた方がいいだろう?」

「はい。そうします」

 

 

 

 

 心配顔のオーキッドに答えてから、蒼羽はラビッジに目を向ける。

「悪いがフェンを通すか、センターに伝言しておいてくれ」

 ラビッジがうなずいたのを確認すると、足早に部屋を去って行った。緊張が解けたのか、ふぅ、と小さく溜息をついたラビッジを見て、ふいに感じる違和感。

「なんか・・・蒼羽、思ったより穏やかだったなぁ」

「おや、フェンもそう思ったかい?私ももっと手が付けられない程に荒れているかと思ったよ。昨日君が言っていたように、相手を殺そうとしていたのも本気だったろう」

 ぽつりと出した言葉にオーキッドも賛同して首をひねる。

 昨日、目にした蒼羽。その尋常でない怒りを実際見ていたから、今日もここにさえ来ないではないかと思っていたのだ。それがああやって普通に受け答えしていたという事は喜ばしい事であるが。

「むしろ、今の蒼羽は機嫌のいい方だ」

 蒼羽の去っていった廊下を振り返ってオーキッドが口を開く。彼の言う通りで、確かに今の蒼羽はかなり穏やかだった。

「昨日の事件を消せるようないい事が、何かあったんですかねー?」

「何かあったとするなら・・・それは緋天さん関係の事だろうな」

 苦笑してそういうオーキッドの言葉を聞いて。それもそうかと納得した。

 今の蒼羽にとっては、良くも悪くも、その感情の原点は緋天が中心なのだ。 

 

 

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